昭和41年・1966年に静岡市で起きた一家4人の殺害事件、いわゆる「袴田事件」で、東京高等裁判所は13日、死刑が確定した袴田巌さんの再審・裁判のやり直しを認める決定を出しました。
異例の経緯をたどった事件と、証拠をめぐる制度の課題を解説します。
【ポイント】
解説のポイントは▽事件の経緯と最高裁が出した「宿題」。
▽きょうの高裁の判断。そして、▽証拠とは何のためにあるか、です。
【事件と再審請求の経緯は】
1966年、今の静岡市清水区で、みそ製造会社の役員の自宅が放火され、焼け跡から子どもを含む一家4人が殺害されているのが見つかりました。およそ2か月後、従業員だった袴田さんが逮捕されます。当時30歳でした。
袴田さんは無実を主張しますが、80年に死刑判決が確定しました。
ところがその後、異例の経緯をたどります。
再審請求に対し2014年に静岡地裁の村山浩昭裁判長(当時)は、再審を認めます。ここまでですでに事件から47年が経っていました。この時、合わせて袴田さんは釈放されます。
しかし2018年、東京高裁の大島隆明裁判長(当時)は、今度はこの再審開始を取り消す決定をします。
ところが2020年、最高裁判所第3小法廷の林道晴裁判長は、「取り消した決定」を取り消し、もう一度高裁で審理しなおすよう命じました。
【最高裁からの“宿題”】
まさに二転三転。
ただ、最高裁は差し戻す際にある「宿題」を出しました。それが「5点の衣類」についてです。
事件から1年2か月もたって、みそ工場のタンクから血の付いたシャツやズボンなど、「5点の衣類」が発見されます。
後になって見つかったのは、不可解なことでした。当時裁判所は、この衣類を犯行の際に袴田さんが着用していたと認定し、有罪の決め手とされました。
写真にはご覧の通り赤い血痕が残っています。捜査資料にも「濃い赤色」とされています。
最高裁は、見つかるまで1年2か月、みそが入ったタンクの中にあっても、本当に赤い色が残るのか。「血痕の色の変化」について審理を尽くしていない、と判断したのです。
最高裁の意図はおそらくこういうことです。
5点の衣類が、事件の直後にみそタンクに入れられていれば、殺害後袴田さんが、着ていた服をタンクに隠したという死刑判決の筋書きは間違っていないことになります。
しかし、もし1年2か月後に発見される、その直前に誰かが衣類をタンクに入れたとすれば、それは「何者かによってねつ造された証拠の可能性」があることになります。
そのためには血痕の色の変化を調べる必要がある、これが「宿題」だったのです。
【再実験の結果は】
結果はこちら。検察側が行った実験結果の画像です。こう見ると、色の違いは明らかです。
実験は弁護側検察側とも行い、弁護団は「1年以上みそタンクの中にあれば、血痕は化学反応で黒くなるはずだ」と主張しました。これに対して検察は「条件によっては赤みが残ることはある」などと反論しました。
【東京高裁決定「捜査機関の者による可能性」】
13日の決定で、東京高裁の大善文男裁判長は「1年以上みそ漬けされた衣類の血痕から赤みが消えることは、化学的な知識によって推測できる。5点の衣類は事件からかなり経過した後に、袴田さん以外の誰か・第三者がタンクに隠した可能性が否定できない」とねつ造の可能性を認めました。
さらに「この第三者には捜査機関も含まれる。事実上、捜査機関の者による可能性が極めて高い」とまで言及しています。
そのうえで「今回の新証拠があれば、そもそもの裁判で有罪の判断に達していなかったと思われる。無罪を言い渡すべき明らかな証拠だ」と結論付けました。
13日の高裁決定は、このほかにも様々な論点を詳細に調べていて、総合的に冷静に判断したと言えるでしょう。
【「証拠が後から出てくる」再審請求】
ところで、今回争点となった5点の衣類をめぐっては、衣類などを撮影した写真のネガについて、検察は「存在しない」と言ってきました。しかし実際は警察で保管されていたことが後から明らかになります。
長く再審の取材をしていますが、この「証拠が後から出てくる」事例は、何度も繰り返されています。
熊本県の松橋事件では、事件で使い燃やしたとされたシャツが検察庁から出てくる。
鹿児島県の大崎事件でも検察が「もはやこれ以上存在しない」とまで言っていたのに、18本のネガフィルムが出てくる。
布川事件では、検察が自分たちに不利な証拠を出さなかったことが、のちの民事裁判で賠償を命じられる(1審)理由の1つにもなりました。
【証拠開示制度の検討を】
どうして再審請求でこのようなことが繰り返されるのでしょう。
背景には再審請求で証拠を開示する仕組みがないことがあります。裁判員制度をきっかけに通常の刑事裁判の場合、裁判の前に検察が証拠をリストにして弁護側に示すなどの公判前整理手続きが始まっています。
しかし、再審請求はこの制度の対象ではありません。
証拠をどこまで出すという仕組みはなく、担当する裁判官が熱心に検察に開示を求めるかどうか次第です。
日弁連・日本弁護士連合会は、法律を改正し再審請求での証拠開示を制度化すべきだと主張しています。
確かに「証拠の後出し」が繰り返される現状をみると、再審請求でも証拠開示制度の検討に向けた議論を始める時期ではないでしょうか。
法務省では今、刑事手続きの在り方について協議会が開かれていますが、ここでも検討が求められます。
【証拠は何のためにあるか】
80年代。免田事件・財田川事件・松山事件といった死刑の再審事件が相次いだ時期に、最高検察庁が内部で報告書(「再審無罪事件検討結果報告」)をまとめていました。
この資料、今も一般には公表されていません。
報告書の中には、証拠の開示に関してこういう言葉が記されています。
「慎重に対処すべき問題」「必要最小限度の範囲内のものに限るべき」。さらには請求人が有利な証拠を探そうとすることを「証拠漁り」と表現し、「証拠漁りを許すようなことがあってはならない」とも記しています。
あくまで40年近く前の報告書ではありますが、当時の検察の、証拠に対する意識の一端がうかがえます。
検察からすれば、決まりがない以上、慎重に対応し開示しないのも自由だという考えなのかもしれません。
しかし、証拠とは何のためにあるのでしょう。
証拠はあくまで、真実を解明するためにあるはずです。捜査機関は保管しているという役割で、自分たちのものではありません。
そのことは忘れないでほしいと思います。
【袴田さんはいま】
袴田さんは、現在87歳。支えている姉のひで子さんは90歳です。
47年もの間勾留されていた袴田さんは、今もなかなか会話が成り立ちません。特に死刑確定から釈放まで30年以上、来る日も来る日も死刑執行におびえ続けた結果ともいわれています。
そうであれば、これほど残酷なことがあるでしょうか。
検察は今後、最高裁に特別抗告するかどうかを検討するとみられますが、もともと最高裁が論点を絞り込んで差し戻したという今回の経緯に加えて、長期間に及ぶ審理で袴田さんや関係者は高齢になっています。
検察が争い続けることは、再審請求の長期化の大きな要因にもなっています。
発生からすでに57年。歳月の長さを考えれば、できるだけ早くやり直しの裁判をスタートさせることが、望ましいと感じます。
合わせて、再審制度の改善に向けた議論を始めてほしいと思います。
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