国際法を踏みにじりウクライナに侵略したロシアの蛮行は、この1年で世界のありようを大きく変えました。欧米のように、ロシアを脅威と見なし、エネルギーのロシア依存から脱却を図る国がある一方で、ロシアに協力する国もあり、世界の分断が広がっています。国際安全保障に詳しい津屋尚解説委員と世界各地の紛争やヨーロッパなどを長く取材してきた二村伸専門解説委員が、ロシアのウクライナ侵攻によって世界はどう変わり、これからどこに向かっていくのか考えます。
■歴史的意味
津屋:二村さん、ロシアの侵略は世界をどう変えたと見ていますか?
二村:ポスト冷戦の時代の終焉、つまり欧米主導で決められた国際社会のルールがもはや絶対的なものではなくなりました。そしてエネルギーや食料、工業製品などを他国に依存するリスクが高まりブロック化が進んだことで東西の垣根を越えて広がった90年代以降のグローバリゼーションが終わろうとしているのではないでしょうか。
■国連の戦争回避の仕組み崩壊の危機
津屋:ロシアによる軍事侵攻は、世界全体の安全保障を大きく揺るがしました。国連安全保障理事会の常任理事国のロシアが自ら侵略を行ったことで、国連創設の理念である「戦争の回避」という最も重要な機能が崩壊の危機に瀕しています。力による現状変更で国際秩序を乱し、数々の戦争犯罪も明らかになったロシアに対する警戒は世界に一気に広がりました。
■欧州の安全保障環境が一変
津屋:中でも、安全保障環境が一変したのがヨーロッパです。NATO・北大西洋条約機構は去年6月に「マドリード宣言」を出し、10年ぶりに“戦略概念”を見直しました。「戦略的パートナー」としていたロシアを「最も重大で直接的な脅威」だと戦略を大転換させました。加盟国は、ロシアの脅威を前に国防力の強化に舵を切りました。中立を保ってきたフィンランドとスウェーデンもNATOへの加盟申請を行いました。NATOは数年前、その足並みの乱れから、主要国の首脳から「NATOは脳死状態だ」との発言まで飛び出したほどでしたが、ロシアをウクライナで決して勝たせてはならないと、急速に結束を強めています。
■ドイツの大転換 「普通の国」に
津屋:二村さん、ヨーロッパ各国はウクライナに強力な軍事支援をしてきましたが、中でもドイツの対応が注目されていますね?
二村:ヨーロッパは冷戦終結後、敵がいなくなり徴兵制を廃止したり軍事予算を削ったりする国が相次ぎ平和にどっぷりと浸かっていましたが、ロシアの侵略で目を覚ましました。もっとも変わったのがドイツです。ショルツ首相は、侵略の3日後に連邦議会で演説し、「もはや以前の世界ではない。ロシアがヨーロッパの秩序を破壊した」とプーチン大統領を非難したうえで、国防費をGDP比で2%以上に引き上げ、ウクライナに直接武器を供与することを表明しました。アメリカから信頼できない同盟国とまで酷評されたドイツの安全保障政策の大転換に議場はどよめきに包まれました。ナチス時代の反省から軍備の増強を抑えNATO域外への武器供与を禁じた「控えめな国」からいわゆる「普通の国」に舵を切ったのです。また経済的な関係を強化すればロシアが変わるという考えは幻想にすぎなかったことをドイツは思い知ったのです。
■アジアでは台湾有事への懸念
津屋:ロシアによる侵略は、欧州のみならず、日本を含むアジアの安全保障にも大きな影響をもたらしています。国家間の大規模戦争はもはや起きないとの楽観論は一気に縮小し、ロシアが自らの勢力圏と見なすウクライナに侵攻したように、アジアでは中国が、自国の一部と見なす台湾の武力統一に踏み切る事態について専門家の間でも真剣に議論されるようになっています。
また日本の同盟国アメリカは、ユーラシア大陸の東西で、ロシアと中国に同時に向き合うことを余儀なくされ、日本に対して、同盟の抑止力強化のため、より大きな役割と負担を求めています。ウクライナ侵攻がもたらした情勢の大きな変化が、日本が防衛力の抜本的強化に乗り出した背景でもあるのです。
■多極化する世界
津屋:さて、世界の構図はこれからどうなっていくのか。二村さん、より混とんとした方向に進んでいるように感じますが、どう考えますか?
二村:中国とインド、将来的にはアフリカが影響力を増すことが予想され、世界の多極化がさらに進むでしょう。侵略から1年になるのを前に23日国連総会で行われたロシア軍の即時撤退を求める決議案の投票では141か国が決議案に賛成した一方、反対と棄権は39か国で13か国は投票しませんでした。中国だけでなく、インドやアフリカ、ラテンアメリカなどのいわゆるグローバルサウスの国々が欧米に追従するのではなく国益を前面に打ち出すようになったのです。日本や欧米が拠り所とする法の支配や価値観は必ずしも世界のスタンダードではないことを念頭に、今後の外交・安全保障政策を進めていく必要があると思います。
■ロシアの国力は低下へ
津屋:世界秩序の今後は、ロシア自身の動きも重要な要素です。経済制裁などの包囲網に直面する中、ロシアは中国やイランなどとの関係強化によって生き残りを模索し、そのことが、欧米との対立をさらに深め、事態を一層不安定させる恐れがあります。
また、この戦争の末、ロシア自身はどうなるのか。プーチン大統領は戦場に動員した国民の犠牲を一切顧みることなく「大義なき戦い」に邁進し、国家が本来守るべき生命や財産を消耗させています。いつしかこの戦争が終わった時ロシアの国力と国際社会での存在感は、著しく低下しているのではないでしょうか。
二村:ロシアはすでに制裁の影響が出始めており、IMFは去年の経済成長率をマイナス2%ほどと推計しています。今後エネルギーのロシア依存からの脱却が進み国際社会でのロシアの影響力の低下が予想されます。1979年、当時のソビエト連邦はアフガニスタンに武力侵攻しましたが10年後に屈辱的な撤退を余儀なくされ、まもなく国家が崩壊しました。アフガニスタンとウクライナは国力も民族も大きく異なりますが、軍事的・経済的な圧力をかけ続ける必要がことを歴史が示しているのではないでしょうか。
■中国の影響力さらに拡大か
津屋:この先、ロシアの力が衰え、中国への依存を強めれば、中国の台頭が一層進み、影響力を拡大する可能性もありますね。
二村:そうですね。ただ東南アジアもアフリカの国々も中国に支配されることは望んでおらずむしろ恐れています。中国かアメリカかの二者択一ではなくどちらとも関係を維持したいのです。私たちはそのことを理解し、価値観の押し付けでなく対等の立場で向き合うことが重要だと思います。
■日本の役割とは
津屋:見てきたように、世界は不確実性を増しています。そして、ウクライナでは日々多くの人命が失われ続けています。最後に二村さん、日本の果たすべき役割は何でしょう?
二村:G7議長国としてできること、またすべきことは少なくありません。軍事的貢献の代わりに日本が求められているのが人道支援と復興への貢献です。各国が表明した支援額を見ますとこのグラフのように日本は人道支援でも他の主要国より大幅に少なく今後さらなる貢献が求められそうです。日本としてはG7の結束をより強固なものとすると同時に、オーストラリア、インド、それにASEAN諸国との連携に主導的な役割を果たすべきだと思います。
また12月には国連のグローバル難民フォーラムが開かれ日本は共同議長をつとめます。ウクライナ難民の保護と支援に積極的に取り組む姿勢を国際社会にアピールする機会となります。
さらに日本には紛争の仲介役を期待したいと思います。仲介役をつとめてきたトルコが大地震の対応に追われているだけに日本ができることがあるのではないでしょうか。
■ルールと正義に基づく世界をあきらめないこと
津屋:ロシアのウクライナ侵攻から1年、戦争の終わりは一向に見えず、世界は、戦争前の状態に戻ることはもはや想像できない「新たな対立の時代」に入っています。武力ではなく、ルールに基づき、正義や自由が優先される秩序を守り続ける努力を、それが困難であるからこそ、国際社会も私たちも惜しんではならないと思います。
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