ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まってまもなく1年、長期化する戦争の影響で、世界的な食料価格の高騰が続いています。専門家は、今後、途上国を中心に食料不足や飢餓の問題が深刻化すると警鐘を鳴らしています。広く世界の人々の命と暮らしを圧迫するこの問題を考えます。
解説のポイントは、▼この戦争は世界の食料危機にどんな影響を与えているのか。▼今後懸念される事態は何か。そして、▼国際社会はどう対応すれば良いか、です。
■先週日本を訪問したFAO=国連食糧農業機関のチーフエコノミスト、マッシモ・トレロ氏に、世界の食料危機の現状について聞きました。FAOは、世界の食料生産と流通を改善する役割を担う国連の機関で、5月に広島で開かれるG7=主要7か国首脳会議の準備のための訪問です。
トレロ氏は、「世界の食料価格は、開戦直後の歴史的な高騰こそ落ち着いてきたものの、依然として高い水準にある」としたうえで、「ことしは、アフリカ、中東、アジアなどの貧しい国々で、必要な量の食料を入手できなくなり、飢餓が広がるおそれがある」。「まずは、ウクライナの穀物輸出を継続させるため、ロシアとの合意を更新することが必要だ」。このように述べて、強い危機感を示しました。
■ロシアとウクライナは、ともに穀物の輸出大国です。小麦の輸出量は、戦争前、ロシアが世界第1位、ウクライナが第5位で、この両国で、世界のおよそ30%を占め、とうもろこしも、両国で20%を占めていました。両国からの輸出が大きく減り、世界の食料価格が高騰しました。
FAOは、主な穀物の国際価格をもとに、毎月「穀物価格指数」を発表していますが、去年5月、統計を取り始めて以来、最も高い値を記録しました。ロシア軍が黒海に面したウクライナの港を封鎖したため、ウクライナからの穀物輸出ができなくなったのが主な原因です。その後、国連とトルコの仲介で、両国の間で合意が成立し、穀物輸出が再開されたため、指数は下がりましたが、依然、戦争前より高い水準です。肉類や乳製品を含めた食料価格全体を表す「食料価格指数」も、3月以降、毎月下がってきていますが、去年1年間の平均値は、史上最高を記録しました。
紛争や災害に見舞われた国や地域に食料支援を行っているWFP=国連世界食糧計画によりますと、去年(2022年)、世界で差し迫った食料不足に直面した人は、これまでで最も多い、およそ3億5000万人に上りました。(前の年より、6000万人増えています。)地域別には、アフリカ大陸が、およそ1億4000万人と、前の年から3割近く増えています。このうち、ウクライナとロシアから小麦の9割を輸入していたアフリカ東部のソマリアの状況は極めて深刻で、140万人の子どもたちが急性の栄養失調状態に陥り、うち33万人以上が命の危険にさらされています。
食料に加えて、肥料の価格が高騰している問題も見過ごせません。農作物の生産コストを上昇させ、世界の食料と農業に、極めて深刻な影響を与えているからです。ロシアは、世界有数の化学肥料の生産国で、各国に大量に輸出し、需要をまかなってきましたが、ここ3年ほどで、2倍から3倍以上に値上がりしました。化学肥料の製造に使用する天然ガスの価格が上がったことや、欧米の金融制裁の影響で、ロシアから肥料を輸入するのを控える国が増えたこと。そして、プーチン大統領が、肥料を「戦略物資」として、敵対する国への供給を制限した影響もあって、価格が高騰したのです。アフリカなどの貧しい国では、必要な量の肥料を調達できなくなっています。今後、農作物の生産量が大幅に減ることが懸念されます。
■こうした事態が起きないようにするには、ウクライナでの戦争を一刻も早く終わらせることが重要で、少なくとも、早期の停戦実現が不可欠です。しかしながら、ロシアもウクライナも、目標を達成するまで戦い抜く姿勢を崩していません。
このため、目下の最優先課題は、ウクライナからの穀物輸出を可能にするロシアとの合意を、期限が切れる来月末までに更新し延長することです。そのための交渉の仲介役は、国連とトルコが務めると考えられますが、トルコを襲った大震災の影響が心配されます。そして、ロシアは、自国の穀物と肥料の輸出も確保されなければならないと主張し、それが認められない場合には、合意を破棄する可能性もちらつかせています。交渉の行方は、戦況とも密接に絡んでおり、目が離せません。
■現在起きている世界的な食料危機は、さまざまな要因が重なり合って起きた複合的な危機です。ウクライナとは別に、世界各地で起きている紛争。干ばつや洪水など異常気象による災害。さらに、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、すでに高い水準にあった食料価格が、ウクライナでの戦争の影響でいっそう上昇し、供給不足を招いたのです。
FAOのチーフエコノミスト、トレロ氏は、「ウクライナでの戦争と、新型コロナウイルスの感染拡大は、現在の食料と農業のシステムが、どれほど脆弱であるかを浮き彫りにした。各国は、いつ起きるかわからない食料危機に対応できるよう、1つの国や地域からの輸入に依存するのを改める一方、持続可能な食料生産を推進してゆく必要がある」
と指摘しました。
■わたしたちは、今、起きている食料危機、そして、今後もさまざまな原因で起きる食料危機に、どう対応してゆけば良いのでしょうか。
▼まず、各国ができるだけ食料の生産を増やすこと。
▼そして、食料の貿易体制を維持することが大切です。自国の食料を確保するための輸出制限は、価格をつり上げてしまうため、避けなければなりません。
▼食料の供給ルートを多元化する取り組みも重要です。たとえば、ロシアとウクライナからの輸入に頼ってきた国は、別の調達先や、代わりとなる作物を探すこと。食料備蓄を増やし、各国どうし融通しあうことなどが求められます。
▼そして、食料危機の犠牲になるのは、最も弱い立場にいる人々。紛争や貧困に苦しむ国や地域で暮らす人々であることに留意して、国際社会全体で、こうした人々への食料を確保し、人道支援を急ぐ必要があります。WFPなどの国連機関や、赤十字、各国のNGOが、緊急の人道支援活動を担っています。また、FAOは、価格高騰によって、十分な食料を確保できなくなった国が、融資を受けられやすくするしくみを、新たにつくりました。(FIFF=世界食料輸入金融ファシリティーと呼ばれるものです。)現在4か国にとどまっている参加国を増やしてゆくのが当面の課題です。
■世界全体を巻き込み、多くの人々の命を危険にさらす食料危機は、各国が自国の利益ばかりを考えていては克服できません。国際的な協力体制をつくり、情報を共有し、有効な対策を立案し、実施してゆくことが大切です。
そして、G7の議長国を務める日本の役割は重要です。5月に開かれる広島サミットでも、世界の食料危機を主要な議題とすることが期待されています。食料の生産、供給、貿易の体制を確立して、貧しい国にも食料が行き渡るようにすることが求められます。
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