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氏名の読みがな 法制化への課題

清永 聡  解説委員

私たちの名前に関する法律が見直されることになります。国の法制審議会は2日、戸籍法の改正要綱の案をまとめました。
これは国民全員の氏名の「読みがな」を戸籍に記載するというものですが、さまざまな課題も見えています。

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【いまは「読みがな」に法的根拠なし】
私たちにはそれぞれ名字と名前があります。
戸籍にその文字は記載されますが、読みがなは書かれません。氏名の読みに、今は法的な根拠はないのです。
かつては明治時代から「傍訓」という読みがなをつけることもできるという制度がありました。ただ、これは必須ではなく、平成6年に廃止されています。

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現在は子どもが生まれた時、私たちは出生届に氏名と読みがなを書き、役所に提出します。この読みがなのデータは住民基本台帳に残されますが、戸籍には反映しません。こちらは出生届の例ですが欄外に「戸籍には記載されません」と記されています。

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それからパスポートにも、ローマ字で氏名の読みが記されます。およそ3000万人分がありますが、これも戸籍とは別です。

ところが政府によるデジタル化推進のためデータベースやシステム処理、さらに検索がしやすいよう、「デジタル・ガバメント実行計画」の中に読みがなの法制化が閣議決定されました。ただ、これらは主に行政側の利便性です。
この他にマイナンバーカードに読みがなをつける目的もあり、法制審議会の戸籍法部会で研究者や関係機関による検討が行われていました。

【全国民をどうやって登録するのか】
この制度、まず大きな課題は全国民の読みがなの登録をどう進めるか、という点です。

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法律がスタートして1年以内に自分の読みがなを、自治体に届け出てもらう方針です。書面またはマイナポータルを使う予定です。
議論の途中では国民の届け出を義務にして、守られない場合過料つまり制裁金を命じてはどうかという意見もありました。しかし入院中の人や、体が不自由で届け出がすぐにできない人もいます。結局過料は見送られました。
しかし、1年で1億2000万人が届け出をできるでしょうか。

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そこで届け出がない人は、自治体が職権で全員の読みがなをつけるとしています。
1人ずつの氏名を判断するのは大変です。このため法務省は今後、さきほど述べた出生届の情報、つまり住民基本台帳の読みがなのデータを使い、1人1人に確認してもらう方法を検討しています。またパスポート情報の利用も考えられます。
しかし戸籍は法務省。住民基本台帳は総務省。パスポートが外務省と担当する官庁がばらばらです。これから省庁の垣根を越えて調整を急ぐ必要があります。

【いろいろな事例も考えられる】
ほかにも様々な事例が考えられます。出生届の時と異なる氏名の読み方をしている人は少なくないとみられます。この場合どうなるのでしょう。

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法務省は、すでに使っている人の氏名の読み方は認める方針です。
ただ、戸籍が別でも兄弟や親子で「山崎」を「ヤマザキ」と「ヤマサキ」。あるいは「小山」を「コヤマ」と「オヤマ」で届け出る人がいるかもしれません。
また、パスポートやクレジットカードと異なる読み方の届け出もありえます。
ただでさえ大量の登録を行う自治体の担当者が戸惑ったり、窓口で対応に苦慮したりすることがないよう、事前に十分な調整や説明が必要です。

【新たな名前はどこまで認めるのか】
一番の問題は、これから生まれる子どもの名前をどこまで認めるかです。
法改正で、新たに生まれた子どもの読みがなは、届け出の際に審査が行われることになります。
出生届の読みがなはかなり自由で、最近は「キラキラネーム」と呼ばれる、すぐに読めないような名前も多くみられます。
法務省の調査では、高齢の世代を中心に「本来の音読みや訓読みしか認めるべきではない」という意見もあります。

【法制審議会での議論の内容は】
では、法制審議会の議論はどうだったのでしょう。本来の読み方以外の例です。

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▽1つはいわゆる「名乗り訓」という読み方。人名に用いられる独自の読みです。例えば「勇人」。この字「勇」は本来「はや」とは読みませんが、すでに多く使われています。
▽読みの一部だけ使う読み方。「心」と書いて「コ」とか「ココ」など。
▽外国語の発音と関連付ける読み方。「海」と書いて「マリン」など。
▽漢字の意味などから連想する読み方。「星」と書いて「ヒカル」など。
▽さらには正反対の意味の事例。「高」と書いて「ヒクシ」と読ませるもの。
▽読み間違いかどうかはっきりしない、あるいは連想できない事例もあります。「太郎」と書いて「ジロウ」「ジョージ」などと読ませる場合です。

【厳格すぎると歴史や伝統の名前の否定にも】
これらをどこまで認めるか。
まとまった要綱案は「文字の読み方として一般に認められているもの」などの基準を示しました。
ではこの「一般」とはどの範囲でしょう。
「本来の音読み訓読みしか認めない」としてしまうと、「名乗り訓」も使えなくなります。例えば源頼朝の「朝(トモ)」も名乗り訓。これでは歴史的な名前も否定されます。このため名乗り訓は認められる見通しです。
一方で、混乱が生じかねない下の2つは認められないとみられます。このほかにもあまりに非常識な事例などは認められません。

【“不公平”なケースもある?】

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では、残りはどこまで許容されるのでしょう。
法務省は「辞書にない場合も、説明を聞いて判断する」としていて、柔軟な姿勢で個別に検討する見通しです。
ただ、先ほど述べた通り、現に名前を使っている人は、その読み方が認められます。つまり同じ読み方でも今いる人は認められ、これから生まれる子どもは認められない、「不公平だ」と感じられる事例があるかもしれません。

政府は今の国会に法律の改正案を提出する方針です。法務省は今後「通達」で具体的な事例を示すとしていますが、窓口が混乱しないよう、ガイドラインなどの整備が求められます。

【たくさんの「愛」の名前】
最後に、1つの文字がどれだけ名前の読み方を持っているのか。一例を紹介します。
法制審議会戸籍法部会の委員で早稲田大学の笹原宏之教授は、約60万人から「愛」という1文字の名前を持つ人の読み方を調べました。
1200人余りで実に26種類もの読み方があったそうです。

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先ほどの分類だと「アイ」や「エ」などが<本来の読み>。歴史ある<名乗り訓>は「チカ」「ナル」。<意味やイメージ>から「ココロ」「ヒカリ」。
さらに「カナサ」という読みもあります。これは愛を意味する沖縄の方言です。ほかにも「マナ」「マイ」「メグミ」など。実に多種多様です。
1つ1つ名前には親の願いや望み、時には地域性や歴史が込められることもあります。どこまで認め、どこから除外するか、簡単には割り切れません。
笹原教授は「中国から輸入した文字をカスタマイズし多様化していくことは、日本語では伝統的にみられることで、これからも新しい名前は生まれるだろう。今後も可能な限り尊重していくことが望ましい」と指摘します。

この問題は単なる読みがなの話やキラキラネームの話にとどまらず、日本語の氏名の多様さと柔軟さを、法の規定とどう両立させるかということではないでしょうか。

【理解を得られる制度設計を】
氏名は私たち個人の人格の象徴です。
確かにあまりに非常識だったり、誰も読めなかったりすれば、名前の役割も果たせなくなります。一方で制限しすぎると、日本語の命名文化が損なわれます。
この制度は多くの国民や親になる人々の理解を得られ、さらに自治体の負担を軽減できるよう、これから具体的な制度設計が望まれます。


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清永 聡  解説委員

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