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サッカーW杯開幕へ 求められる人権意識

二村 伸  専門解説委員

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4年に1度のサッカーの祭典、ワールドカップカタール大会の開幕まであと5日に迫りました。全世界で35億人が視聴するといわれる大会に日本はじめ各国で関心が高まっていますが、一方で人権問題を理由にカタールでの開催に批判的な声がヨーロッパを中心に根強く聞かれます。ワールドカップの開幕を前にスポーツと人権について考えます。

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中東初のサッカーのワールドカップは、今月20日、日本時間の21日未明から来月18日まで32の代表による熱戦が繰り広げられます。通常ですと大会はヨーロッパの主要なリーグがオフシーズンとなる6月から7月に開催され、20年前の日韓大会も5月末から6月末にかけて開催されました。しかし、中東の砂漠地帯にあるカタールは6月や7月は気温が40度をこえることも珍しくなく、選手ばかりでなく観客にとっても危険なため11月から12月にかけての開催となりました。さらに暑さ対策としてスタジアムに冷房システムが導入され、大会の組織委員会は世界初の冷房完備の快適な大会だとアピールしています。

しかし、開幕が近づくにつれカタールでの開催に反対する動きがヨーロッパを中心に広がっています。

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フランスではパリやマルセイユ、リヨンなどの主要都市でパブリックビューイングが中止され、ワールドカップを報道しないと発表した新聞もあります。
スペインでもバルセロナがパブリックビューイングの中止を発表。
ドイツやベルギーでも一部のスポーツバーが試合の中継を取りやめると発表しました。サッカーはヨーロッパで最も人気のあるスポーツで、パブリックビューイングを相次いで中止するのは異例のことです。

なぜ大好きなサッカーを見ないのか、その理由は人権問題です。

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カタールはアラビア半島東部に位置し面積は秋田県よりやや狭いくらいです。その国で首都ドーハをはじめ5つの都市の8会場で1次リーグから決勝トーナメントまであわせて64試合行われます。そのために7つのスタジアムが新たに建設されました。国家の威信をかけた一大事業にインドやパキスタン、バングラデシュそれにアフリカ諸国などから160万人の労働者が集まったといわれます。

カタールの人口はおよそ290万人。そのうちカタール国籍を持つ人は1割程度にすぎず、インフラの建設は外国人労動者に頼らざるを得ないのです。
ところが労働者は劣悪な環境のもとで1日12時間も働かされたり、粗末な宿舎に大勢詰め込まれたりしていると伝えられ、雇用主の同意なしに転職できないなど過酷な労働条件に批判が相次ぎました。去年2月にはイギリスの新聞ガーディアンがカタールのワールドカップ開催が決まった2010年以降外国人労働者6500人が死亡したと伝えました。死者は1万人を超えているといった報道もありますが、正確な数はわからずカタール政府は搾取や強制労働だといった批判を真っ向から否定しています。
問題はそれだけではありません。イスラム教を国の宗教としているカタールでは同性愛を法律で禁じており、同性愛を理由に拘束された人が虐待を受けていると人権団体は指摘し、海外からの観客の安全を危ぶむ声も上がっています。
ドイツのフェーザー内相は先月、カタールの人権状況に懸念を表明し、「こうした国には開催権を与えない方がよい」と述べ、カタール政府が強く反発しています。

各国の選手やサッカー連盟にも抗議の動きが広がっています。

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▼デンマークはユニホームを赤と白の2着の他に建設現場で亡くなった労働者を追悼する黒のユニホームを追加。選手たちは抗議の意味を込めて家族をカタールに帯同しないことを発表しました。
▼オランダは選手たちが試合前に現地で外国人労働者に会って話を聞くことにしている他、大会で使用したユニホームをオークションにかけ、収益を労働者支援にあてることにしています。
さらにオランダをはじめイングランドやベルギーなどの主将は差別に反対し平等を訴える意味の腕章をつける方針です。
▼ヨーロッパだけではありません。オーストラリアでは選手たちが先月27日、カタールでの外国人労働者やLGBTQの人たちに対する扱いに抗議し、改善策を講じるよう求めるビデオ・メッセージを公表しました。代表チームがこうした声明を出すのは異例のことで、オーストラリア・サッカー連盟も「ワールドカップのために外国人労働者が受ける苦しみは無視できない」として「スポーツでは誰もが安心し真の自分でいられるべきだ」との声明を発表しました。

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各国の批判を受けてカタール政府は、最低賃金制度の導入や転職を認めるなど
労働条件を改善し、国籍や人種、宗教、性的指向に関係なく全ての人を歓迎するとして批判の払しょくに努めています。しかし、その後も突然宿舎を追い出され、賃金も払われなかったなどといった証言が相次いでいます。
大会期間中カタールには120万人の入国が見込まれています。もちろんイスラムの教えを重視する国に西側の価値観を押し付けるのではなく現地の文化や習慣を尊重すべきです。ただワールドカップのように世界中から大勢の人が集まるイベントを開催する以上、それに関わる全ての人が安全で安心できる大会となるように努力が必要です。

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批判の矛先は主催者であるFIFA・国際サッカー連盟にも向けられています。カタール開催を決めた当時のFIFA会長だったブラッター氏は「カタールでの開催は間違いだった」と今になって述べています。国土が小さいうえ灼熱の地でのワールドカップ開催には当初から反対の声が上がっていましたが、カタールへの誘致にあたって大規模な不正があったと伝えられFIFAの幹部らが収賄容疑で逮捕されました。そうした経緯を経ての大会だけに人権問題を含め様々な疑惑や問題点に対し、FIFAには責任ある対応が求められます。
ヒューマン・ライツ・ウォッチやアムネスティ・インターナショナルなどの人権団体はFIFAに対しカタールで死傷した労働者や賃金を受け取っていない人への金銭的な補償を求め、欧米のサッカー連盟は救済基金の設立に次々と支持を表明しています。
これに対しFIFAは今月初め各国代表チームに、「スポーツをイデオロギーや政治に引きずり込まず、サッカーに集中するよう」文書で要請しました。
しかし、ドイツやベルギー、イングランドなどヨーロッパの10のサッカー連盟は4日公開書簡を発表し、FIFAに対して外国人労働者の人権改善のために行動を起こすよう改めて求めました。「人権は普遍的なものでありどこであっても適用されるべきだ」書簡はこう訴えています。

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人権問題をめぐっては今年開かれた北京オリンピックでも開催国の中国に対して批判の声が上がり開会式に首脳が出席しないいわゆる外交的ボイコットの動きが一部の国で見られました。今後も様々なスポーツで人権問題がクローズアップされることが予想されます。それだけに開催する側には人権への最大限の配慮が求められ、私たちスポーツを見る側も人権問題への意識をもっと高く持つことが求められてきます。沈黙するのは人権侵害に加担するのと同じだともいわれます。
2030年の冬季オリンピック・パラリンピックの開催を札幌市がめざしており日本も人権問題に無関心ではいられません。日本のサッカー界にとってカタールはワールドカップ初出場を逃した「ドーハの悲劇」で知られる場所です。その地で開催される本大会で、日本代表が活躍し同時にスポーツと人権のあり方を見直す契機となるよう期待したいと思います。


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