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ソウル雑踏事故 日本の事故対策は

松本 浩司  解説委員

韓国ソウルの繁華街イテウォンで起きた事故では警備などの不備が次々に明らかになり警察への批判が高まっています。日本では21年前の明石歩道橋事故で警備態勢が強化され、その後大きな事故は起きていませんが、SNSの普及など社会状況の変化で新たな課題も出てきています。ソウルの事故を教訓に日本では何を確認し強化する必要があるのかを考えます。

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解説のポイントは
▼イテウォン事故と明石事故
▼渋谷ハロウィーンに見る現在の対策
▼雑踏事故対策の課題

【イテウォン事故と明石事故】

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156人が死亡したイテウォンの事故では事前に危険性が指摘されていたにもかかわらず群集の規制や誘導は行われず、通報への対応も遅れるなど警察の対応の不備が指摘されています。

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今回の事故は21年前に兵庫県明石市の歩道橋で起きた事故と類似点が多くあります。
11人が死亡し、日本の雑踏警備を大きく変えるきっかけになった事故です。

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まず群集の流れがぶつかったことです。今回の事故では繁華街から地下鉄の駅方向に進む人の流れと駅から街に向かう人の流れが衝突しました。明石の事故でも花火大会が終わり駅に向かう人たちと出店が並ぶ会場に向かう人たちが歩道橋の上でぶつかりました。雑踏事故の典型的な起こり方です。

次に警察が雑踏事故の危険性を軽視していたことです。今回の事故では市内のほかの場所で行われたデモに6000人あまりの警察官が投入されたのに対し、イテウォンに派遣されたのは130人あまりで、そのほとんどが薬物など犯罪対策の要員だったと伝えられています。

明石の事故でも暴走族など犯罪対策に300人の警察官が配置されたのに対し、雑踏警備はわずか36人で、事故の起きた歩道橋には全く配置されていませんでした。

さらに通報が生かされずに救助や救急搬送が遅れたことや死傷者に女性が多かったことも共通しています。

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明石事故の刑事裁判では明石市と警備会社、警察の責任者に有罪判決が下され、その後、雑踏事故対策が大きく見直されました。

警察は、それまで不明確だった警備の責任者を▼都道府県の警察本部と▼現場を受け持つ警察署でそれぞれ指定し、主催者などと連携し警備計画を立てることになりました。

また民間の警備員についても雑踏警備の国家資格が設けられ、資格取得が義務付けられました。

自治体も対策に積極的に取り組むようになり、例えば東京・渋谷区はハロウィーン期間中は路上での飲酒を禁止する条例を作りました。

【渋谷ハロウィーンに見る現在の対策】
いま雑踏警備はどのように行われているのでしょうか。
先週の渋谷のハロウィーンの状況を見ていきます。

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人数は公表されていませんが渋谷駅周辺には数百人の警察官が配置されたと見られます。
▼警備のひとつめのポイントは人の流れがぶつかりあうことを避けることです。駅からセンター街方向に向かう人たちと駅に向かう人たちが衝突しないよう警察官たちがテープで横断歩道を囲み、左側通行をするよう誘導しました。

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▼ふたつめは人の流れを止めないことです。写真撮影で立ち止まる人には「後ろの人が転倒する危険があるので立ち止まらないでください」と呼びかけました。

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▼みっつめは群集の密度を下げることです。駅前広場が群集でいっぱいになると、それ以上流入しないよう横断歩道を遮断しました。またセンター街から駅に向かう人には迂回する道や地下道を使うよう呼びかけました。

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一方、渋谷区の職員がパトロールし禁止されている場所で飲酒をしている人に注意をしていました。
こうした対応で今年のハロウィーンでは大きなトラブルはありませんでした。

【日本の雑踏警備の課題は】
ではソウルのような事故は日本では起きないのでしょうか。
研究者や警察OB、警備会社など多くの専門家に聞くと「ソウルの現場では雑踏警備がまったく行われておらず、同様の事故が日本で起こるとは考えにくい」と口を揃えます。ただ社会状況の変化などでリスクが増している面もあると指摘します。どのような課題があるのでしょうか。

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まず警備態勢の確認です。
警視総監や内閣危機管理監を務め、雑踏警備に詳しい東京大学生産技術研究所の伊藤哲朗(いとうてつろう)客員教授は「都道府県の警察ごとに現場でノウハウを蓄積して警備力を強化してきたが、地域によっては経験が少ないところもあり、ソウルの事故を機会に態勢を確認する必要がある」と話しています。

また伊藤客員教授は地下街や駅、ビルなどの通路の通行方法の問題点を指摘します。歩行者は左側通行が一般的ですが、統一ルールはないため右側通行にしている施設も少なくありません。そこで密集状態が発生した場合、その場の決まりに従って右側を進む人と普段の習慣から左側を通行する人の流れがぶつかりあって危険な状況になる恐れがあります。左側通行をルール化し、施設の設計段階から統一していく必要があると訴えています。

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次にイベントの主催者や警察、自治体、交通機関などの連携の問題です。
多くの人が集まるイベントの際、それぞれが自分が責任を負う範囲から人を外に出すことを優先し、結果としてスペースが狭くなっている、いわゆる「ボトルネック」の部分で危険な過密状態が生じることが少なくありません。

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これを防ぐためには各組織の連携が不可欠ですが、問題は調整機能が十分でない点です。群集マネジメントが専門で東京オリンピック・パラリンピックの群集誘導計画づくりにあたった東京大学先端技術研究センターの西成活裕(にしなりかつひろ)教授は「群集の行動や事故対策について高度な知識と権限を持ってさまざまな関係機関を調整する『群集マネージャー』という公的な資格を設けるべきだ」と提言しています。

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また事故防止に新しい技術を導入することも課題です。大学や電機メーカー、警備会社などが協力して東京ドームで群集の動きを分析するシステムの実証実験が行われています。ドーム周辺に12台のカメラを設置し、AIとディープラーニングの技術を使い、個人情報は収集せずに群集の人数を正確に把握し、10分後の状況を予測します。

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これによって危険性の高い場所を絞り込み、主催者や警備サイド、近くの駅などで共有し、群集の誘導や分散に生かそうという取り組みで、近い将来の実用化をめざしています。

一方、懸念されるのはSNSで拡散した情報で突然、群集が発生したり、予測できない動きが起きたりするケースです。

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ハロウィーンで渋谷に大勢の若者が集まるようになったのは8年ほど前からですが、最初の年はSNSの呼びかけなどで群集が急に発生し、警察の対応は後手にまわりました。SNSの情報をキャッチし警戒態勢につなげようという試みも行われていて、有効な手法の確立が急がれています。
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【まとめ】
これから年末に向けさまざまなイベントで大勢の人が集まる機会が増えます。雑踏事故防止は事前の対策が大きなウエイトを占めます。関係者は警備態勢づくりを急ぐこと、また参加する人は極端に混雑した場所には危険が隠れていることを知っておいて慎重に行動すること、このことがイテウォンの事故の第一の教訓だと思います。


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