ロシアによるウクライナへの軍事侵攻で戦術核兵器が使われる事態が懸念されています。60年前、ソビエトによるキューバへのミサイル配備をきっかけに、人類が核戦争の深淵を垣間見たキューバ危機。あの“10月の悪夢”が現代に蘇りつつあるのです。
核戦争の危機は回避できるのか?60年前の教訓を紐解いて、現状を考えます。
髙橋)
オンラインでミサイル発射訓練を見守るプーチン大統領。ウクライナで戦闘が続くなか、いまロシアとNATO=北大西洋条約機構は、それぞれ核戦力の軍事演習を進めています。核抑止力は保たれているか?確認が目的だとしています。
石川さん、こうした核抑止力を支えるのが「戦略核兵器」。いま心配されているのは「戦術核兵器」と呼ばれるものですね?
石川)
今一番懸念するのは、戦場での使用を目的とする戦術核兵器です。米ロの条約によって運搬手段や核弾頭の数が規定された戦略核兵器とは異なり、戦術核兵器を縛る条約はありません。
ロシアは多種多様な戦術核を所持、弾頭数ははっきりしません。さらに発射装置は、短距離ミサイル、爆撃機、巡航ミサイル、自走砲など通常兵器と同じものが使われています。多くの兵器が実際にウクライナへの攻撃で使われています。
プーチン大統領は「ウクライナで核を使用する必要はない」と述べ、アメリカ政府も「ロシアが戦術核兵器を使用する兆候はみられない」としています。ウクライナで直ちに核兵器が使用される状況ではないようです。
しかしプーチン大統領の発言は非常に懸念されます。
ロシアの軍事ドクトリンでは通常兵器による攻撃であっても国家存亡の危機の時には核兵器を使用すると明記されています。
27日、プーチン大統領は、核使用の条件として、「国民の安全を守るために国家主権、領土の一体性の防衛」と述べました。「国家存亡の危機」に領土の一体性を含めるという考えを示唆しました。ウクライナの占領地を一方的に併合した今、核使用の敷居を著しく下げることにならないでしょうか。
髙橋)
いまのウクライナ危機で、そうした戦術核が使われる“まさかの事態”は、どうすれば防げるでしょうか?過去の重い教訓となるのが、偶発的な核戦争勃発の寸前だったキューバ危機でした。
60年前の10月、ソビエトが革命政権下のキューバに密かに中距離核ミサイルを配備していることを知ったアメリカの当時の大統領ケネディは、対抗措置に乗り出します。
当初アメリカ軍幹部らは空爆を主張して、政権内で対応の意見が割れました。
対応策に選んだ「海上封鎖」は、戦争行為とみなされるため、敢えて「隔離」と表現しました。
キューバ上空でアメリカ軍偵察機が撃墜され、緊張は極限まで高まりました。
結局、ケネディは、ソビエトがミサイルを即時撤去すれば、アメリカはキューバに侵攻しないと約束し、さらに、公表しないことを条件に、同盟国トルコに配備した弾道ミサイルも半年以内に撤去する妥協案を提示。核戦争はギリギリで回避されました。
そもそも、当時のソビエトはなぜキューバに核ミサイルを配備したのでしょうか?
石川)
米ソの核戦力はアメリカが優位で、特にトルコに配備されたアメリカの核ミサイルはソビエトにとって脅威でした。ソビエトのフルシチョフ首相には、アメリカ本土を射程に収める核ミサイルをキューバに設置することで核の均衡を達成しようという思惑がありました。アメリカの反応がどのようなものとなるのか、十分考慮することなく進めたフルシチョフの冒険主義的な危険な一手でした。今のプーチン大統領によるウクライナ侵攻にも同様の判断の誤りがあります。
ウクライナにも通じる教訓は戦術核の危険性です。
実はキューバにはこのほか、戦場で使われる射程の短いミサイルや爆撃機用の核爆弾など160個が配備されていました。アメリカはその事実を全く知りませんでした。恐ろしいことに現地司令官にはアメリカが軍事侵攻した場合の使用権限が与えられていました。
【キューバ派遣部隊司令官(当時) ヤゾフ元国防相 2006年取材】
「アメリカの空挺部隊が上陸作戦を行ったら躊躇無く戦術核兵器を使用したでしょう」
つまりケネディが軍部の強硬策に同意して軍事侵攻していたら核戦争となった可能性が高いのです。
さらに両首脳が核戦争回避の必死の秘密交渉を続ける中、両首脳が全く知らないところで最大の危機が発生しました。10月27日、ソビエトの潜水艦を発見したアメリカの空母部隊が浮上を促すために機雷を投下、ソビエトの艦長は攻撃が始まったと誤解して、アメリカの空母に対して核魚雷の発射命令を出したのです。このときは艦内にいた参謀の一人が浮上を促す合図ではないかと冷静に判断し、発射は行われませんでした。
キューバ危機の教訓はお互いの意図と能力の誤解を呼び起こしやすい戦術核兵器が如何に危険な存在であるかです。核戦争を避けられたのは偶然という面もあるのです。
髙橋)
では、この危機をアメリカの若き大統領は、どのように乗り切ったのでしょうか。
ケネディは、就任早々CIAが計画したキューバのカストロ体制転覆作戦を承認しましたが、その失敗を深く後悔し、熟慮を重ね、慎重な判断を下すようになったと言われます。
フルシチョフ首相と何度も書簡を交換するだけではなく、正式な外交ルートと並行して、非公式なバックチャンネルでも意思疎通に努めました。
偶然もありました。ケネディは、刊行されたばかりの「八月の砲声」という一冊の本を読んでいました。戦争は誰も望まないのに、誤解や判断ミスによって、第1次世界大戦に至った過程を描き出した名著でした。
過去の失敗を教訓に、自らの思い込みを戒め、相手の立場に想像力を働かせる。そうした柔軟な精神が、この大統領にはあったのでしょう。
いまバイデン大統領も、当時のケネディと同様に苦悩していることでしょう。
ロシアが戦術核を使ったら「アメリカと同盟国は断固対応する」としながらも、直接介入すれば、米ロの全面核戦争になりかねません。
ロシアの戦術核使用を抑止できるかは、アメリカにとって、きわめて難しい課題です。
石川)
プーチン大統領はアメリカによる広島、長崎への原爆投下を戦争犯罪と厳しく批判しながらも、“前例”を作ったと述べています。ウクライナによる汚い爆弾使用の恐れという情報キャンペーンも続けています。プーチン大統領はもしかしたら戦闘を停戦に持ち込むことを目的として、低出力の戦術核兵器の使用の可能性を考えているのかもしれません。
しかしそれは大きな誤りです。ロシアが核使用したら、欧米は軍事面を含めて厳しく対応し、限定的な核使用であってもエスカレーションの恐れは大きいのです。
戦争というすでに最悪の事態が続いている状況において、戦術核兵器の使用権限をキューバ危機のような“偶然”に委ねる事態があってはいけません。米ロの対話のチャンネルは政府首脳と軍のレベルで維持し、少なくとも戦術核兵器をロシアとそしてアメリカも厳重に管理し、制御していることを相互に確認する必要があります。
「核戦争に勝利はなく、核戦争を決して起こしてはならない」。米ロなど核保有する五大国は今年1月、この原則を確認する共同声明を発表しました。戦争を始めたプーチン大統領にはこの原則を最低限遵守することを強く求めます。
髙橋)
「人類は核という名のダモクレスの剣の下で暮らしている。剣は細い糸でつるされ、誤算や狂気でいつ糸が切れるかわからない」古代ギリシャの故事を引用し、ケネディはそんな言葉も遺しました。キューバ危機から60年。今なお危うい現実を私たちは生きています。
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