イギリスのトラス首相の辞任表明を受けて行われた与党・保守党の党首選挙は、7月まで財務相をつとめていたリシ・スナク氏が党首に選ばれ、次の首相に就任することになりました。この7週間で3人目の首相で、政治への信頼をいかに取り戻すか難しい課題が待ち構えています。また、ヨーロッパでは先週、イタリアとスウェーデンで右派政権が相次いで発足しました。ウクライナ危機による物価高騰への国民の強い不満が背景にあります。今日はイギリスのトラス首相辞任の背景と今後の行方、そしてヨーロッパはロシアの侵略に対し結束して立ち向かうことができるのか現状と課題を考えます。
トラス首相の後任を決める与党・保守党の党首選挙は24日、日本時間の今夜10時に立候補の届け出が締め切られ、必要な100人以上の議員の推薦を取り付けて立候補したのはスナク元財務相1人でした。立候補に意欲を示していたジョンソン前首相は23日、モーダント下院院内総務は24日立候補を断念し、スナク氏は無投票で保守党の党首となりチャールズ国王の任命を受けて首相に就任します。イギリス初のアジア系の首相誕生です。
スナク氏は42歳。両親がアフリカから1960年代にイギリスに移住したインド系イギリス人で、大手金融会社などに勤務したあと下院議員となり、39歳でジョンソン政権の財務相に就任しました。しかし、不祥事が相次いだ首相に見切りをつけて辞表を提出、首相を退陣に追い込んだと党内で批判されてきました。前回の党首選挙では5回の議員投票すべてトップでしたが党員による決選投票でトラス氏に敗れました。
与党の党首選挙が2か月足らずで2度も行われるのは、政治の混乱と劣化を象徴していると指摘する声も聞かれます。トラス首相は、ロシアのウクライナ侵攻後の記録的な物価の高騰に対処するため、財源の裏付けもなしに大規模な減税を進めようとしました。「富裕層や大企業の税負担を軽くし、経済を活性化させれば物価高騰にあえぐ国民の生活も良くなる」。いわゆる「トリクルダウン」を政策の柱としましたが、富裕層や大企業優遇だとの国民の反発は強く、IMF・国際通貨基金も「不平等を拡大し物価上昇に拍車をかける可能性がある」と異例の警告を発しました。さらに多額の国債発行を前提とした450億ポンド、日本円でおよそ7兆5000億円に上る減税には財政収支悪化の懸念が強まり、国債の価格や通貨が急落、ポンドはドルに対して最安値を記録するなど市場が大混乱に陥りました。このためトラス首相は減税策を相次いで撤回しましたが、政権支持率は7%まで落ち込み、保守党内からも首相の責任を問う声が強まっていました。
もともと党内の基盤が弱く発足当初から短命政権に終わるのではないかともいわれていましたが、尊敬するサッチャー氏がイギリスで最も長い11年間首相をつとめたのに対し、トラス氏は史上最短の45日での辞任表明でした。
イギリスの首相が任期半ばで辞任するのは2016年以降4人目です。国民投票でEU離脱となった責任をとり当時のキャメロン首相が辞任、その3年後に離脱をめぐる党内の混乱によりメイ氏が辞任し、あとを継いだジョンソン氏は不祥事により首相の座を失いました。選挙ではなく政治の混乱や不祥事を理由とした相次ぐ首相の辞任は、政治の劣化を印象づけ、国民の政治不信を助長し国際社会でのイギリスへの信頼を損なう結果となりました。イギリスはロシアの侵略後ウクライナを積極的に支援、インド太平洋地域の安定にも関与し中国に厳しい姿勢をとってきただけに政治の混乱が続けば、G7をはじめ欧米諸国の結束にも影響しかねません。
政治の安定と経済の立て直しに向けてコロナ禍で財務相としての手腕が高く評価されたスナク氏への期待は高いものの最新の世論調査では保守党の支持率は野党・労働党に37ポイントもの差をつけられ、政権運営は容易ではありません。労働党は国民の信を問うために直ちに総選挙を行うよう求めており劣勢の与党保守党が応じる可能性は低いと見られますが、国民の信頼を取り戻すためには出直すくらいの覚悟が必要だと思います。
ウクライナ危機に揺れるヨーロッパではイギリス以外でも先週から新たな政治の動きが見られます。
イタリアではドラギ首相の辞任を受けて先月行われた総選挙で第1党に躍り出た右派政党「イタリアの同胞」のジョルジャ・メローニ党首がイタリア初の女性首相に就任し、戦後最も右寄りといわれる政権が22日に発足しました。
イタリアはロシアのウクライナ侵攻前は天然ガスの輸入の4割をロシアに依存しエネルギー価格の高騰に対する国民の不満が自国優先主義を掲げるイタリアの同胞を中心とした右派政権発足を後押ししたと言えそうです。
メローニ首相は15歳のときにムッソリーニが率いたファシスト政党の流れを汲む極右「イタリア社会運動」に参加しました。その後ベルルスコーニ政権の閣僚を経て10年前「イタリアの同胞」を設立しました。かつて移民の受け入れや多文化主義、同性婚に反対しプーチン大統領を称賛したこともありますが、選挙戦では「極右」を否定しウクライナ支援を表明するなどEUに融和的な姿勢を示してきました。しかし、連立を組む極右ともいわれる「同盟」のサルビーニ党首はこれまで対ロシア制裁に反対し、モスクワを何度も訪問。「フォルツァ・イタリア」のベルルスコーニ党首もプーチン大統領と親しいことで知られています。一部の国からはイタリアの右傾化を危惧する声も上がっておりロシアに対してヨーロッパ各国と足並みを揃えることができるかは不透明です。また、右派政権は選挙戦で大幅な減税と最低賃金の引き上げを公約に掲げましたが、財源の裏付けはなく、イタリア発の債務危機を危惧する声も聞かれます。
スウェーデンでも17日、右派の3党による連立政権が発足し、中道右派の穏健党のクリステション党首が首相に就任しました。反移民を掲げ選挙で第2党に躍進したポピュリスト政党ともいわれる「スウェーデン民主党」は連立には参加せず閣外協力にとどまりましたが、右派の少数政権に対して影響力を持つことになりそうです。
ヨーロッパではウクライナ危機でエネルギー価格が高騰、新型コロナの感染拡大に伴うサプライチェーンの混乱もあって記録的なインフレが続いています。
ヨーロッパ経済をけん引するドイツもインフレ率が8%をこえ来年はマイナス成長が予想され、景気後退に陥るとの見通しも示されています。各国で国民の不満、将来への不安の受け皿として極右やポピュリスト政党が支持を広げる可能性があり、この冬エネルギーの供給不足が深刻化すれば自国優先主義が広がり、ウクライナへの支援疲れや対ロシア制裁を見直す動きが出る可能性もあり、ロシアに対する結束を乱しかねません。
このようにヨーロッパ各国はロシアへの制裁強化の一方でインフレ対策と財政安定化のバランスをとりながら成長戦略を打ち出すという難題に直面しています。共通の課題を抱える日本としても対岸の火事とせず、イギリスから教訓を読み取り国民生活を守るために危機感を持って取り組んでほしいと思います。
(二村 伸 専門解説委員)
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