NHK 解説委員室

これまでの解説記事

ノーベル平和賞 戦争を超えたメッセージ

安間 英夫  解説委員

【はじめに】
ことしのノーベル平和賞が発表されました。
ロシアによるウクライナ軍事侵攻という世界を揺るがす事態が進行する中、選考委員会がどのように平和へのメッセージを込めるかが注目され、結果は、軍事侵攻に関係するロシアとウクライナ、ベラルーシの3か国の団体と個人の同時受賞となり、人権と民主主義に焦点をあてたものとなりました。
終わりの見えない戦争の先に何を見据えたのか、ノーベル平和賞のメッセージについて考えたいと思います。

j221012_1.jpg

j221012_2.jpg

【受賞者は】
ノルウェーにある選考委員会は7日、ことしのノーベル平和賞に
▼ベラルーシの人権活動家のアレシ・ビャリャツキ氏、
▼ロシアの人権団体「メモリアル」、そして
▼ウクライナの人権団体「市民自由センター」を選んだと発表しました。

ベラルーシは「ヨーロッパ最後の独裁者」と言われるルカシェンコ大統領が28年にわたって権力を握っている国です。
そうしたなかでビャリャツキ氏は、ソビエト時代の1980年代に始まった民主化運動を率い、人権団体「春」を設立し、政治犯に対する当局の拷問を記録し、抗議してきました。
2020年の抗議デモの取り締まりで、再び刑務所に収監されています。

ロシアの人権団体「メモリアル」は、旧ソビエトも含め人権と自由の尊重をうたった1975年のヘルシンキ宣言をもとに1987年に設立されました。
スターリン時代の政治弾圧の告発やロシアのチェチェン紛争での人権侵害を記録し、監視に当たってきましたが、去年12月に“法律違反”を理由に解散を命じられ、活動を停止しています。

ウクライナの人権団体「市民自由センター」は2007年に設立され、ウクライナの人権問題や民主化に取り組み、ことし2月、ロシアがウクライナに軍事侵攻したあとは、戦争犯罪の疑いのある事実を記録しようと、各地で市民の聞き取り調査を重ねています。

j221012_3.jpg

選考委員会は授賞理由について「それぞれの国の市民社会を代表する存在」としたうえで、「長年にわたり市民の基本的人権や権力を批判する権利を守る活動を続け、戦争犯罪や人権侵害、権力の乱用を記録するために卓越した努力を払ってきた。平和と民主主義にとって市民社会が重要であることを実証している」としています。

j221012_4.jpg

【熟慮された選考】
ノーベル平和賞の発表を読み解くと、3か国の団体と個人の同時受賞、そして人権と民主主義に焦点をあてた点で、熟慮された絶妙な選考だったことに気づきます。

【3か国の団体と個人の同時受賞】
まず受賞対象となった3つの国は旧ソビエトのスラブ系の民族的に近い隣国ですが、ロシアとその同盟国のベラルーシ、これに対するウクライナの間で対立が激しくなり、終わりの見えない戦いが続いています。
ライスアンネシェン選考委員長が述べていたとおり、ここには「平和のために近隣国は共存すべき」というメッセージが込められています。
3か国のどの国を欠いてもバランスを失い、異なったメッセージとなったはずです。

旧ソビエトでノーベル平和賞を受賞したのは、去年プーチン政権に批判的な独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のムラートフ編集長らが受賞したのに続き、異例の2年連続となりました。
さらに推薦の締め切りはことし1月末で、2月に始まったウクライナ軍事侵攻は締め切りを過ぎていました。
選考委員会はやはりロシアによるウクライナの軍事侵攻を見過ごせず、ほかの地域から選ぶのではなく、もう一度平和に向けて警鐘をならす必要があったと考えたのではないでしょうか。

j221012_5.jpg

【人権と民主主義の価値観】
次にことしの選考で取り上げられた価値観が「人権と民主主義」だったことについてです。
事前の予想では、有力候補としてベラルーシとロシアの反体制派活動家の名前があがり、さらにはウクライナのゼレンスキー大統領の名前も取り沙汰されてきました。
しかしベラルーシとロシアの反体制派活動家は政治家であり、今回選べば、ノーベル賞委員会が反体制派を支持して内政に踏み込むことになり、ゼレンスキー大統領についても戦争が続く中で一方の当事者を支持することになります。

こうした中で独裁的、強権的な体制のベラルーシとロシアにあっても、人権と民主主義はかたちのうえで、あるいは表向きは守らなければならない、否定できない価値観です。
ロシアの憲法でも、民主主義や基本的人権の擁護が規定されています。
選考委員長は、「市民社会が独裁政治に道を譲らなければならないとき、平和はしばしば次の犠牲となる」と述べ、平和の基盤には、人権と民主主義にもとづく市民社会があるという考えを示しました。

j221012_6.jpg

ウクライナの「市民自由センター」について、選考委員会は、ことし2月のロシアによる軍事侵攻のあと戦争犯罪となり得る事実を記録していることを授賞の理由に挙げました。
ただ、もともとはウクライナの政権による人権侵害や汚職などを調査し、市民の人権を守る活動をしてきました。現政権にとっても耳の痛い事実を指摘してきたのです。
市民の側が事実でもって権力と対峙するという点で3者の活動は共通しています。
この点からフェアと言えるのではないでしょうか。

ウクライナへの軍事侵攻について、選考委員長は「目先の平和の見通しはない」として、「非常に暗い状況だ」と指摘しました。
戦争に終わりが見えないなかで、「人権と民主主義」という普遍的な価値観が、将来、憎しみを乗り越え、和解につながるのではないか、
先を見据えてひとつの道筋を示したかったのだと思います。

j221012_7.jpg

【流れは変わるのか】
では、各国政府はどのように受け止めているでしょうか。

欧米諸国や国連事務総長が一様に賞賛する一方、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの大統領はコメントを発表していません。
ベラルーシ外務省の報道官は7日、「ノーベル平和賞の決定はあまりに政治的だ」とコメントしました。
またウクライナのポドリャク大統領府顧問は、「ウクライナを攻撃した国の代表者にもノーベル賞を与えるのなら、『平和』ということばについて興味深い解釈をしている」と投稿し、皮肉を交えて批判しました。
こうした反応からもノーベル平和賞の選考委員会が願うほど、和解や平和共存は容易ではないことを示しています。
戦闘が続く中で、ノーベル平和賞に目を向ける余裕がないのかもしれません。

ウクライナでは、ノーベル平和賞の発表があったあと、戦況がいっそうエスカレートしています。
発表の翌日、ウクライナ南部のクリミアとロシアをつなぐ橋で爆発がありました。
これに対し、ロシアのプーチン大統領は10日、「ウクライナ側によるテロ行為だ」と非難し、ウクライナの各地に報復攻撃を行ったことを明らかにしました。
ロシアによるミサイル攻撃はその後も続き、緊張は一層高まっていくばかりです。

j221012_8.jpg

【人権・民主主義にプーチン大統領は・・・】
ではノーベル平和賞が提起したことに、プーチン大統領はどのように考えてきたのでしょうか。
プーチン大統領が主張してきたのは、欧米の言う民主主義の価値観は絶対的なものではなく、ロシアにはロシアなりの民主主義のあり方があっていいというものでした。
そのロシアなりの民主主義というのは、次第に反対派に対する弾圧を強め、人権や民主主義、市民社会の育成より、国家の安定、他国への警戒に重きを置くものとなりました。
選考委員会が見据えた姿とは、かなりかけ離れたものになっていると言えるでしょう。

【終わりに】
停戦や終戦に向けて、そしてウクライナの人たちが本当に平和を実感することができるようになるのにはどうすればよいのか、今回のノーベル平和賞がその助けになるかどうかは未知数です。
戦争は最大の人権侵害と言われます。
プーチン大統領、ルカシェンコ大統領、さらにはゼレンスキー大統領にとっても、ノーベル賞委員会のメッセージを受け止め、人権と民主主義、平和について改めて考えて欲しいと思います。

(安間 英夫 解説委員)


この委員の記事一覧はこちら

安間 英夫  解説委員

こちらもオススメ!