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円安が影落とす日本経済

神子田 章博  解説委員

急激な円安がもたらしたコスト高が企業活動に影を落としています。とりわけ立場の弱い中小企業は、原材料の値上がり分を価格に転嫁できず、収益を悪化させる要因となっています。こうした現状と、問題解決に向けた動き、そして円安の背景となっている金融政策について考えていきたいと思います。

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解説のポイントは三つです
1) 価格転嫁進まぬ実態
2) 許されぬ中小企業への圧力
3) 円安歯止めに金融政策は

① 価格転嫁進まぬ実態
まず円安の影響は、製造業でより色濃く出ています。

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今月3日に発表された短観と呼ばれる日銀の調査。これは、全国の企業を対象に、3か月ごとに景気の現状について質問し、良いとこたえた企業の割合から悪いと答えた企業の割合を引いた数を指数として、景気判断の変化をとらえるものです。それによりますと製造業では大企業がプラス8ポイントと、前回6月の調査を1ポイント下回り、中小企業では、マイナス4ポイントで前回と横ばいと、全体としてやや悪化、大企業・中小企業いずれも改善した非製造業と比べ冴えない結果となりました。製造業をめぐっては、部品の供給不足が解消されるというプラス材料もありましたが、円安などによる原材料価格の高騰でコストが増加し収益を圧迫する形となりました。

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問題は、コストの上昇分が価格に必ずしも転嫁されていないことです。短観では、企業の原材料の仕入れ価格と、製品の販売価格について「上昇した」と答えた企業から「下落した」と答えた企業を引いた数字を価格判断指数として表し、この数字が高いほど価格の上昇度合いが大きいとしています。調査結果によると、製造業のうち大企業では仕入れ価格判断指数が65ポイント、販売価格判断指数が36ポイント、中小企業では仕入れ価格指数が77ポイント、販売価格指数が37ポイントと、いずれも仕入れの指数が販売の指数を大きく上回っています。このことは、仕入れ価格の上昇に販売価格が追い付いていない、つまり価格転嫁ができていないことを示しています。

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そのうえで、二つの価格指数の差を見てみると、中小企業の数字は大企業を大きく上回っていて、大企業以上に価格転嫁が進んでいないことをうかがわせています。

②  許されぬ中小企業への圧力
 この背景には、中小企業は取引先の大企業に対する立場が弱く「コストの上昇分を取引価格に転嫁したい」といっても認められないケースがあるといわれます。

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東京や神奈川に85の店舗をもつ城南信用金庫が、取引先の中小企業に仕入れコストの増加分を販売価格に転嫁できているか聞き取り調査を行ったところ、「まったくできていない」「ほとんどできていない」「一部できていない」という答えが合わせて84%に達しました。さらに中小企業庁が行った価格交渉をめぐるアンケート調査では、「取引先との関係悪化を恐れて協議を申し込めなかった」とか「協議を申し込んだが応じてもらえなかった」「逆に値下げを要求された」など、およそ1割の取引先が、協議にすら応じてもらえなかったと回答しています。またこれとは別の聞き取り調査では、取引先から「値上げ、を言える立場なのか?」とか「他社は言ってきていませんよ」と他社への乗り換えをほのめかす言葉が投げつけられるケースもあったということです。下請中小企業振興法では「取引価格は合理的な算定方式に基づいて下請け事業者の適正な利益を含むよう、十分に協議して決定する」と定めています。親企業が正当な理由なく値上げ交渉を拒むのは法律の趣旨に反します。

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それだけでなく、中小企業がコストの上昇分を取引価格に転嫁できなければ、それだけ収益が削られ、賃金をひきあげるための原資が確保できないということになります。日本経済は、多くの企業が値上げに踏み切るようになった今、価格の上昇が企業の売り上げや利益の増加につながって賃金が上昇し、それが消費を拡大させていくという好循環になるかどうか、大事な局面を迎えています。こうした中で、従業員数の7割を占める中小企業で賃上げができないようでは、経済の好循環の広がりも期待できません。政府は、大企業が下請企業による正当な値上げ交渉を拒むなど、いわゆる下請けいじめが行われていないかを隠密に調べる調査員を今年度から倍増していますが、こうした監視の目を一段と光らせるとともに、大企業の側も下請けのコストに見合った値上げを認めるよう求められています。

③ 円安歯止めに 金融政策は

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次に物価高の大きな要因となっている急激な円安と金融政策について考えていきたいと思います。
円安の背景には、記録的なインフレを抑えるため超急速な利上げを行うアメリカと、超低金利政策を続ける日本の間で金利差が広がり、投資家が円を売ってより高い利回りを見込めるドルを買う動きを強めていることがあります。日銀の黒田総裁は、「日本経済は賃金が上がり物価も上がるという好循環になっていない」として、いまの金融政策の方針は2,3年は変わらないという考えを示しています。こうした中、円相場は、先月政府日銀が円を買ってドルを売る市場介入に踏み切ったにも関わらず11日も1ドル145円台の後半まで値下がりするなど円安の動きが続いています。これについて専門家の間では、日銀が政策金利を固定していることが、円相場の動きを一段と大きなものにしているという指摘が出ています。

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海外に目を転じると、物価が急激に上昇する中で政策金利を大幅に引き上げる動きが相次ぎ、このうちヨーロッパ中央銀行とスイスの中央銀行ではマイナス金利政策が解除されました。その主な狙いはインフレを抑えることですが、各国の通貨はドルに対して値下がりしていて、専門家の間には、アメリカに歩調をあわせて金利をひきあげることで、自国の通貨が売られにくくする、通貨防衛の狙いもあるのではないかという見方が出ています。こうした中で日銀も、マイナス金利を解除することで円を売られにくくするようにできないのかと思われる方もいるかもしれません。これについて黒田総裁は、欧州各国とは物価上昇率に大きな差があるなど経済状況が異なるとして、「あちらがなくなったから日本もなくす必要があるということにはならない」としています。

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さらに気にとめる必要があるのが、今後の世界経済にただようリスクです。コロナやウクライナ情勢に加えて、最近ではアメリカで1年の間に4%以上も金利があがることで景気が後退するおそれも指摘されます。外国為替市場ではいまは円安傾向が続いていますが、アメリカ経済が想定以上に悪化し、金融政策の方向が金利引き上げから引き下げに転じれば、これまで金利の上昇を理由に買われていたドルが売られて逆に円が買われ、急激な円高が進むことも考えられます。その時、円高を止めるには、逆に金利を下げる必要がありますが、すでにぎりぎりまで金利を低く抑えている日銀にとっては、マイナス金利をさらに引き下げることが唯一のカードともいわれます。そのためにもマイナス金利をやめるわけにはいかないと考えているようです。

未知の感染症への対応策の副作用として現れた記録的なインフレ。そして、これに対応するための急激な利上げが逆に景気を後退させるおそれが指摘されるなど、世界経済は方向感の見えにくい状況に陥っています。めまぐるしく変わる情勢に機敏に政策対応をはかることが、これまで以上に求められることになりそうです。

神子田 章博 解説委員


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