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エリザベス女王死去

二村 伸  専門解説委員

70年間にわたって君主の座についていたイギリスのエリザベス女王が8日亡くなりました。スコットランドのバルモラル城やロンドンのバッキンガム宮殿には女王の死を悼む市民の姿が絶えず、存在感の大きさを改めて感じさせます。イギリス以外にも14の国の元首で世界中の人々に慕われてきた女王の死は1つの時代の終わりを意味するのではないでしょうか。エリザベス女王が在位した70年間を振り返り王室存続の危機から開かれた王室への取り組みと世界との関係を見ていきます。

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エリザベス女王は第2次世界大戦後の激動の世界を見守ってきました。1926年、のちの国王ジョージ6世の長女として生まれ、10歳のときに叔父の国王エドワード8世が離婚歴のあるアメリカ人と結婚するため退位し、急きょ父親のジョージ6世が国王に即位したことから後継候補になりました。やがて第二次世界大戦が勃発。戦争が終結し冷戦体制が始まってまもない1952年、父親の急死に伴い25歳の若さで国王に即位しました。チャーチル首相の時代です。ことし6月には在位70年を祝う祝賀行事「プラチナ・ジュビリー」が催されました。在位期間はイギリス最長、世界でもフランスのルイ14世の72年に次ぐ史上2番目に長い君主となりました。

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亡くなる2日前には静養していたスコットランドのバルモラル城で保守党の新しい党首となったエリザベス・トラス氏をイギリスの首相に任命したばかりでした。在位中に任命した首相は14人に上ります。「軍隊を率いることはできないが、国民に献身的に尽くすことはできる」、国民に寄り添い続けた女王の言葉です。女王はさらに節目節目で国民向けにメッセージを発し、EUからの離脱をめぐって国内の分断が深まっていた2018年には、意見が異なっても同じ人間として敬意をもって接するよう国民に結束を呼びかけました。おととし4月には、新型コロナの感染拡大により家族と離れなくてはならなかった人たちを勇気づけ、私たち全員が成功し、良い時代が来ると国民を励ましました。

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エリザベス女王は、この地図で青く塗られた国々、イギリスの他カナダやオーストラリア、ニュージーランド、それにカリブ海諸国や南太平洋の国々などイギリス連邦加盟国のうち14の国と海外領土などの元首でもあり、イギリス国教会の首長もつとめてきました。かつて覇権を握っていたイギリスは20世紀に入って国際社会での影響力が低下し、1956年のスエズ運河国有化への対応をめぐって関係が悪化したアメリカや、経済共同体への参加をめぐり対立を深めたヨーロッパ、それに東南アジアやアフリカを訪問し関係強化に努めました。公式訪問は100か国をこえ、イギリスのロングボトム駐日大使は「世界のどの君主よりも広く海外を訪問し、もっともすぐれた外交官だった」と述べています。

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エリザベス女王の死を悼む各国首脳の言葉は、女王がいかに世界の人々から尊敬を集めていたかを物語っています。アメリカのバイデン大統領は、「一人の君主以上の存在で1つの時代を築いた」と功績をたたえ、国葬に出席する意向を表明。EUのミシェル大統領は、「国家間の懸け橋となり信頼を築くという女王の特別な遺産を受け継いでいく」と述べ、ドイツのシュタインマイヤー大統領は、「女王は戦争の傷を癒すことに貢献した。戦後のドイツに和解の手を差しのべた」と声明を発表、ロシアのプーチン大統領や中国の習近平国家主席も哀悼のメッセージを発表しました。

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日本の皇室とも深い関係を築いてきました。即位の翌年行われた戴冠式には日本の皇室から昭和天皇の名代として当時皇太子だった上皇さまが参列されました。1971年、昭和天皇が戦争のわだかまりが残るイギリスを訪問しエリザベス女王の歓迎を受け、75年には女王がイギリスの国家元首として初めて日本を訪問し友好関係を深めました。皇居で宮中晩さん会が開かれた翌日、女王はフィリップ殿下とNHKを訪れ、大河ドラマ「元禄太平記」の制作スタジオや日本の伝統芸能を紹介する番組の収録を見学し、記念撮影をしたり出演者に質問したりしました。

一方、国内ではイギリス王室のあり方が問われ、改革を余儀なくされました。

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1996年、当時のチャールズ皇太子とダイアナ妃が離婚。女王が別居中の二人に離婚をすすめたといわれます。当時の世論調査では「イギリス王室が21世紀には消滅する」と答えた人が43%と、「存続する」と答えた人を10ポイント上回り、王室存続の危機と言われました。翌97年ダイアナ元妃が交通事故で亡くなった際に沈黙を続けた女王に批判が殺到。女王はテレビを通じて哀悼のメッセージを読み上げ、ダイアナ元妃の名誉回復とともに王室の信頼回復に努めました。さらに女王は、「開かれた王室」をめざして改革に取り組み、王室に多額の税金が投じられているといった誤解を解くために王室予算の独立性と透明性を高めるよう提案し、2011年の法改正につながりました。さらに男子を優先していた王位継承権を男女を問わず第一子が継承権第一位となるように改革案を示し、イギリス政府は2013年に法律を改正しました。バッキンガム宮殿の一部を一般市民に開放したのも「開かれた王室」の一環です。
とはいえ、王室ではおととしエリザベス女王の孫のヘンリー王子夫妻が公務を退くことを発表、王室内で差別的な発言があったとのコメントが物議を醸しました。ことし1月には次男のアンドルー王子が、女性への性的虐待疑惑により軍の名誉職と慈善団体の役職を事実上はく奪されるなど王室はいまも問題を抱えています。

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では、新しい国王に即位したチャールズ3世とはどんな人物でしょうか。1948年11月生まれで、2か月後には74歳になります。貧困問題や環境問題に高い関心を示し、とくに貧困層の若者に教育や職業訓練の機会を与える活動に積極的に取り組んできました。リベラルな発言でも知られており、イスラム教など他の宗教にも寛容でチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世とも交流を深める一方、中国には厳しい姿勢をとってきました。ダイアナ妃との離婚をめぐる国民の批判も最近は和らいできましたが、7月末には国際テロ組織アルカイダの最高指導者だったビンラディン容疑者の一族からかつて寄付を受けていたことが報じられました。政治的な発言への批判も多く、信頼の回復が今後の課題です。

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最後にエリザベス女王なきイギリスはどこへ向かうのか考えます。イギリスではボリス・ジョンソン前首相が、不祥事により辞任に追い込まれました。EUとの間では離脱協定をめぐって今も対立が続いています。さらにロシアのウクライナ侵攻が長期化して物価が高騰、ストライキが相次ぐなど課題が山積する中、トラス新首相のもと政治への信頼を取り戻し国を一つにまとめることができるか問われています。政治への介入が認められていないものの緊急事態に陥った際にエリザベス女王が発したメッセージは国民の心に大きく響きました。チャールズ3世の発言と行動も今後イギリス、そして国際社会で注目されることになります。チャールズ3世は9日テレビで国王としての決意を表明、10日国王としての正式な宣言を行います。女王の死を乗り越えて、国民に寄り添い、世界の平和に寄与することを願います。

(二村 伸 専門解説委員)


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