国際社会で核の軍備管理の根幹ともいえるNPT・核拡散防止条約の再検討会議がニューヨークの国連本部で7年ぶりに開幕しました。条約の理念に反して、世界最大の核保有国ロシアはあろうことか核兵器を脅しに使ってウクライナに軍事侵攻を行いました。NPTの核拡散防止体制は崩壊の危機に瀕しています。
世界が直面する核兵器をめぐる課題について考えます。
解説のポイント
▼核保有国による軍事侵攻の衝撃
▼止まらぬ核戦力増強
▼崩壊の危機を乗り越えるために
NPTの冒頭には、「核戦争は人類に惨状をもたらすものであり、その危険を回避するためにあらゆる努力を払わなければならない」と条約の理念が書かれています。NPTは、アメリカ・ロシア・中国など5つの国だけに、核を保有できる“特権”を認め、そのかわり「誠実に核軍縮交渉を行うこと」を義務づけています。5年に一度の再検討会議は本来2020年に開催される予定でしたが、コロナ禍で4度にわたって延期され、ようやく7年ぶりに開催にこぎつけました。今月26日まで続く会議では、条約の履行状況のチェックや、核をめぐる様々な課題について話し合いが行われ、その成果は全会一致の合意文書としてまとめられます。
■核保有国による軍事侵攻の衝撃■
しかし今、NPTは、条約発効以来、最大の危機に瀕しています。
最大の理由は、核保有国ロシアによるウクライナ侵攻です。プーチン大統領は軍事侵攻を開始した日の演説で「ロシアは今も世界最強の核保有国のひとつだ。ロシアへの直接攻撃はどんな潜在的侵略者にとっても壊滅的な結果をもたらすだろう」と発言。さらに、核抑止力を担う部隊を特別警戒態勢にするよう命じました。これは、「核の使用」をちらつかせた明らかな威嚇でした。これに対し、アメリカのバイデン大統領は「第三次世界大戦を回避しなければならない」として、軍事介入はしない考えを繰り返し表明しました。結果として、ロシアの侵略行為を誰も止められなかったことで、「核によるどう喝」が効果をあげたとの受け止めが広がりました。“戦争を抑止する”と説明されてきた核兵器が、“戦争を始める”ための道具として使われたこと、そしてそれが、本来、核軍縮の責任を負う核保有国によって行われたことは、国際社会にとって大きな衝撃でした。専門家の間では、これをみていた中国や北朝鮮が「核でどう喝すればアメリカは軍事介入できない」と考えるかもしれない、といった議論も巻き起こりました。
さらに、ウクライナで続く戦争は、核兵器が使われるリスクもはらんでいます。
ウクライナとの戦いでロシアが窮地に陥った場合、プーチン大統領は小型の核を使いかねないという懸念です。小型の核は、都市そのものを破壊する「戦略核」ほどの威力はないため、ロシアは使用のハードルは低くみている可能性があります。しかし、小型であっても通常兵器とは比較にならない破壊力や放射能被害があり、ロシアの意図がどうであれ、広島・長崎以来一度も使われたことのなかった核兵器が万一使われてしまえば、国際情勢にもたらす影響は計り知れないでしょう。
■止まらぬ核戦力強化■
ロシアのウクライナ侵攻の前から存在する問題も深刻です。それは、核保有国による核戦力の増強です。
最大の懸念の一つは、アメリカと激しく対立する中国の軍拡です。
中国の核戦力を具体的に規制する軍縮条約は何も存在せず、中国は保有する核兵器の情報を一切公表しないまま、増強を続けています。中国が現在保有する核弾頭は、米ロの10分の1以下のおよそ350発と推定されていますが、アメリカ国防総省の報告書は「中国が2030年までに1000発以上の核弾頭を保有する可能性がある」と指摘しています。▽兵器に転用可能なプルトニウムを大量に生成しうる核施設が建設中であることや、▽新型ICBM・大陸間弾道ミサイル発射用の地下サイロが数多く建設されているためです。
また、日本やグアムを攻撃可能な数多くの中距離弾道ミサイルに加え、大気圏内をマッハ5以上のスピードで飛ぶ「極超音速兵器」など核を搭載する様々なミサイルの開発と配備を進めています。
NPTが義務付ける肝心の核軍縮交渉については、「米ロが減らすのが先だ」と極めて後ろ向きの姿勢です。
ウクライナ侵攻によってアメリカとの対立が一層深刻化しているロシアも核戦力を増強しています。ロシアは、アメリカに対する通常戦力の劣勢を補うため核兵器を重視する戦略をとっています。アメリカのミサイル防衛システムを突破する新型の弾道ミサイルやマッハ20で飛ぶ極超音速兵器などアメリカや同盟国を核で攻撃するための兵器の開発や配備を加速させています。
一方、アメリカのバイデン政権は、核戦力増強に舵を切ったトランプ政権時代の核戦略を一部修正したものの、核爆発の威力をおさえた「低出力」の弾頭の導入は引き続き進めています。これについては、核兵器が使われる可能性を広げてしまうと危惧する声が出ています。また、INF条約が失効した今、ロシアとの唯一の軍縮条約である新STARTも4年後に失効します。ウクライナ侵攻後、ロシアとの直接交渉がストップしていることも大きな懸念材料です。
このように、核保有国が戦力強化を続けていることに対して、核を持たない多くの国々からは厳しい批判が出ていて、双方には大きなあつれきが生じています。
■崩壊の危機を乗り越えるために■
国際情勢が一層厳しさを増し、参加国の間の溝が深まる中、今回の再検討会議は、前回に続いて、合意文書をまとめるのは極めて困難との見方が早くも出ています。
今回の会議では、ロシアのウクライナ侵攻が議論のテーマとなることは間違いなさそうです。ロシアに対する非難が集中することも予想され、この問題をめぐって新たな分断が生じれば、全会一致の合意は一層難しくなります。
この状況で、会議は何を目指すのか。国連の軍縮部門のトップである中満泉事務次長は開幕を前に、「核兵器のリスクは冷戦の最盛期と同じくらい高まっており、この危機を一刻も早く軽減しなければならない。再検討会議を軍縮の道に立ち戻る機会にしてほしい」と締約国に協力を訴えました。
NPTは、5つの核保有国を含む191もの国や地域が、人類の存亡にかかわる核の問題について法的拘束を負う唯一の枠組みです。核が使われかねない危機がそこにありながら、この再検討会議が何の成果もなく決裂してしまえば、NPTの存在意義そのものが問われることになるでしょう。核保有国はもちろん、会議に参加するすべての国が未来につながる歩み寄りを見せられるのか問われています。
最後に日本の役割についてです。日本の総理として初めて再検討会議に出席した岸田総理大臣が、注目の集まる初日に演説をする機会を得たことは国際社会から日本への期待の表れでもあります。かつてない危機だからこそ、唯一の戦争被爆国として、そしてアメリカの核の傘のもとにいるという立場も利用しつつ、会議を合意に導くため、核保有国と非保有国の橋渡しとなれるのか、日本は重い責任を負っているのだと思います。
軍縮の義務に逆行し続ける核保有国。すでに5つの国以外に核が拡散している現実。機能不全に陥っているとまで指摘されるNPTですが、いまこそ、その役割が問われる時です。「人類に惨状をもたらす核戦争を回避するためのあらゆる努力を払う」とした条約の理念を体現する結果に期待したいと思います。
(津屋 尚 解説委員)
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