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世界自然遺産登録1年 奄美・沖縄 迫られる対策

土屋 敏之  解説委員

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鹿児島県の奄美大島と徳之島、沖縄県の本島北部(いわゆるやんばるの森)と西表島の4島は去年7月、世界自然遺産に登録されました。しかし、実は登録にあたってユネスコの世界遺産委員会から日本政府に厳しい対策が求められ、その報告の期限が迫っていることはあまり知られていないかもしれません。貴重な自然を守るためなにが必要なのか考えます。

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奄美・沖縄の4島は、アマミノクロウサギやヤンバルクイナ、イリオモテヤマネコなど希少生物の宝庫で、国際的な絶滅危惧種だけでも百種類近くが生息する生物多様性が高い評価を受けています。
しかし、世界遺産となるまでの道のりは容易ではありませんでした。政府が最初にユネスコに推薦書を出したのは2017年。しかし、諮問機関の専門家による調査などの結果、予想外に低い評価を受け、政府はまさかの推薦取り下げを余儀なくされました。大きな原因は、この時の推薦地は小さな飛び地が多数ある形で、貴重な生き物の生息地を一体的に守っていくのが困難だと見なされたことでした。そこで政府は、沖縄本島では返還されたアメリカ軍北部訓練場の跡地を推薦地に加えて飛び地を結びつけるなど対策を進めました。そして再び推薦を行い、去年7月、ようやく世界遺産に登録されたのです。
日本には25の世界遺産がありますが、大半は文化遺産としての登録で、自然遺産は屋久島、白神山地、知床、小笠原諸島、そしてこの奄美・沖縄の5つだけです。

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ただ、実はこの登録決定に際して世界遺産委員会は、まだ4つの課題があるとして日本にその対策を求める決議をしています。
まず、世界遺産登録後に観光客が急増すれば、島の生態系に悪影響が出るおそれもあるため、特に西表島で観光客の数を現状以下にすること。2つ目は絶滅危惧種が車にひかれて死亡する事故を減らすこと。奄美・沖縄の島々では、車が普通に入れる舗装道路でも希少動物が見られ、交通事故が度々起きているためです。また、河川のコンクリートの護岸やダムなど人工的なインフラを、可能な限り自然をいかす形に変えること。さらに、世界遺産の周辺=緩衝地帯の森林伐採を制限すること、の4つです。
そして、今年の12月1日までに対策を進めて報告するよう日本に求めていました。
政府は今月末にまず報告書の日本語の案を完成予定です。どんな内容なのでしょう?

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国や地元自治体がこれまで事業者などの意見も聞きながらまとめてきたのは、このようなものです。
観光客の抑制については、西表島に入る観光客数自体は規制せず、島内の5つの地域で1日あたりの人数を決めてガイド付きのツアーに限定する。交通事故死の減少には、道路下に動物が通れるトンネルの整備などを進め、交通事故の実態調査をさらに行う。河川のインフラに関しては、ダムなど人工物の影響を調査した上で、影響があって置き換えが可能なものは自然を生かした工法での河川再生を検討する。森林伐採の制限については、伐採面積に制限を設けると林業事業者の経営に将来支障が出るおそれがあるため新たな規制は設けず、現在の法律のもとで適切に管理する、などとしています。
もちろん、ダムや堤防は災害から住民の命を守る役割もあり簡単に撤去できない面もあるとは言え、全体としてこれで世界遺産委員会の要請を実施していると言えるのか?疑問が少なくありません。

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特に具体的に地名も挙げられている西表島の観光客の抑制については、要請と対策のかい離が大きいように見えます。
世界遺産委員会は「影響がはっきりするまでは特に西表島で観光客数を現在のレベル以下にする」ことを求めています。決議の元になったのは2019年に諮問機関の専門家が行った現地調査などで、この年に西表島に入った観光客数は29万人でしたから、悪影響がないと判明するまではこれ以下に制限する必要があるとも思われます。
ところが、西表島の観光管理計画案では年間の観光客数は、震災やコロナ禍を除く10年間の平均だという33万人を基準にして、さらに毎年前年度比で1割までの増加はよしとする内容になっています。
そして、年間の観光客数よりピーク時の人数の方が影響が大きいのではないかとして、1日あたり1200人以下にするという目標を示しています。しかも、これも具体的に制限するわけではなく、混雑予測のカレンダーを公開し観光客に自主的に日程の分散を促す、という実効性があるのかもわからない内容です。
西表島は島の大部分が世界遺産になっており、島に入るのは基本的に隣の石垣島からの船になるため、船の予約などを通じて入島者数を規制することが考えられますが、沖縄県などが進めている検討では、住民の生活を支える航路でもあり事業者に対し船便を制限する法的根拠がない、として規制はしない方針です。

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では、どう抑制するかと言うと、こちらの5つの地域に限り資格を持ったガイド付きのツアーで一定人数のみ予約を受けつける方法が考えられています。ちなみにこの計画案の上限人数は、これまでの平均利用者数よりかなり多い数です。
地元からはコロナ禍でダメージを受けた観光の回復・増加への期待があると言います。しかし、濃い緑色で塗られた広大な世界遺産地域のごく一部だけ、しかもこの程度の制限をしたとして貴重な生態系を守ることが本当にできるのでしょうか?
西表島の食物連鎖の頂点に立つイリオモテヤマネコは生息数わずか100頭前後、絶滅のおそれが極めて高いとされる種で、山中に限らず海岸部にかけて広く行動しトカゲや昆虫に加え水辺の生き物も補食しています。そのため海岸沿いを通る道路で交通事故死するケースもあり近年増加傾向にあります。
こうしたことから、ユネスコの要請には交通事故対策も入っています。道路をくぐる動物用トンネルなどの整備は一定の効果があるとされますが、人や車の数が増えればそれだけリスクが増えるのは想像に難くありません。今後インバウンドの回復も含めて観光客数が急増する前に、世界遺産地域全体の実効性のある規制が必要ではないでしょうか?

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世界遺産委員会の要請に十分応えなかった場合どうなるのかははっきりしません。
ただそもそも、世界遺産は観光振興の起爆剤ではありません。これは、顕著な普遍的価値を持つ自然や文化を次世代に受け継ぐため、保全する義務を各国が負う国際条約であり、むしろ観光を管理するきっかけとする制度なのです。
過去に世界遺産にいったん登録されながら、その価値が損なわれたなどの理由で取り消しとなったものもイギリス、ドイツ、オマーンで計3件存在します。
数百万年かけて育まれた奄美・沖縄の生物多様性が、ひとたび失われてしまえば取り返しはつきません。コロナ禍で落ち込んだ地域経済の立て直しは極めて重要ですが、それは世界でここだけにしかない生態系を損なうリスクと引き替えにではなく、他の方法で実現すべきではないでしょうか。

私たちの社会はコロナ禍で行動制限をしつつも経済を回すといった難しい問題に取り組み、リモートやIT技術の活用など新たな方法も模索してきました。世界遺産登録から1年。対策の報告期限である12月までに奄美・沖縄の貴重な自然を次世代に受け継ぐことができる新たな制度設計が求められています。

(土屋 敏之 解説委員)

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