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労働移動は進むのか?雇用ミスマッチの壁

牛田 正史  解説委員

「企業が出す求人が増え、持ち直しの動きが見られる」
これは今の雇用情勢に対する国の見解です。
一方で、求人が増えても、就職する人の数は、この間、一向に増えていません。
そこには、雇用のミスマッチによって、業種間などの移動、つまり「労働移動」が、十分に進んでいない実情があります。
これは雇用や経済が直面する、大きな課題だと考えます。

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まずはデータを基に現在の雇用情勢をみてみます。

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企業が出す求人の数は、新型コロナの感染拡大で、一時、大きく低下しましたが、その後、徐々に増えてきています。
これを基に国は「幅広い業種で求人が増え、雇用に持ち直しの動きが見られる」と評価しています。

ただ気になるのが「就職件数」です。
実際に職に就いた人の数は、この2年近くでほとんど増えていません。
ことし4月の実数は、去年の同じ月と比べて、逆に8%減少しています。
企業からの求人が増えても、就職件数の伸びに結びついていないのです。

これはなぜなのでしょうか。
1つの理由として、希望に合う求人が増えていないという側面が考えられます。
それを示唆するデータがあります。

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仕事を探している失業者の中で「希望する種類や内容の仕事が無い」と答えた人は、コロナ前(2019年1月~3月)は、44万人でしたが、去年のはじめには(2021年1月~3月)64万人と、20万人増加しました。
そして今年です(2022年1月~3月)。この1年間に求人数は、40万件、率にして2割以上増加しましたが、「希望する種類や内容の仕事が無い」という人は62万人と、ほとんど減っていません。
つまり、求人の数自体は増えても、希望にあう内容の仕事は、必ずしも増えていないと考えられます。
仕事を探す人の希望と、求人の内容が一致しない「ミスマッチ」が、一定程度、続いているのです。

このミスマッチによって、これまで働いていた業種では仕事が見つからない場合、多くの人は、ほかの業種にも目を向けて、就職先を検討すると思います。
では、実際に業種を変える人、つまり「労働移動」は増えているのでしょうか。

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これは例えば、コロナの影響で、宿泊や飲食、それに娯楽業などで仕事を失った人たちが、人手不足が深刻な介護や建設、あるいはデジタルをはじめとした成長分野に転職するというケースなどです。
実際、宿泊・飲食業では、働く人の数がコロナ前と比べて50万人以上減り、生活関連サービス・娯楽業でも20万人以上減少しています。

ところが、こうした「労働移動」は、十分には進んでいないこともわかってきました。

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「介護」と「建設」では。毎月の就職件数がコロナ前と後でほとんど変わっていません。
有効求人倍率を見ても、「介護サービス」では3.3倍、「建設や採掘」では4.6倍と、全体の平均の1倍あまりを大きく上回り、深刻な人手不足は一向に解消されていません。
実際、介護事業所に話を聞いても、「飲食業などから、ある程度、人がやってくると思ったが、期待したほど来なかった」という声も多く聞かれます。
またデジタル化が進む中で、IT人材の需要も高まっていますが、こちらも人手不足が続いています。

なぜ働く業種を変える労働移動は十分に進んでいないのでしょうか。
介護や建設など、人手不足が深刻な業種の多くに当てはまるのは「必ずしも、仕事に見合った賃金が得られない」という声があることです。

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例えば介護職員です。平均賃金は徐々に上がってきていますが、全ての産業と比べると、おととしの時点で、まだ、月額で6万円近く低くなっています。
また、建設業でも、現場で働く男性の生産労働者の平均賃金は、製造業や、全産業の平均よりも、まだ低い水準です。
この賃金が上がれば、希望者が増える可能性があることから、国はことしに入って、介護職員で月額9000円の賃上げ政策を実施。
また建設業でも主要な業界団体と3%の賃上げを目指すという申し合わせを行いました。
ただ、正直もっと早くから強い手を打てなかったのかとも思いますし、一度の政策で状況が打開できるわけではありません。
労働移動を促すためにも、継続的に賃上げ政策を打ち出してもらいたいと思います。

また、国の「労働移動の支援策」が、海外の先進的な国よりも弱いという指摘があります。
これはどういうことなのか。例えば、「職業訓練」を見てみます。

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新たな職種に挑戦するため、技能や知識を学ぶ重要な政策ですが、専門家の算定によりますと、日本は、労働力人口に占める実施率が、0.2%と、先進的な取り組みを進めるドイツなどより、低くなっています。
また「雇用を促進するための助成制度」も見てみます。
事業所に雇用を促すために、賃金などを助成する政策で、日本では試験的に雇用した事業所に助成金を支払う「トライアル雇用制度」があります。
こちらも日本は、先進的なスウェーデンなどより、規模が小さいことが分かります。
算定した日本総研の山田久副理事長は「労働移動を円滑に進めるための国の対策の弱さが、結果として労働移動を遅らせ、生産性を低迷させている可能性がある」と指摘し、対策の強化を求めています。
特に職業訓練でいえば「実践的なメニューをもっと増やすべきだ」という指摘もあります。
これには企業がもっと訓練に関わっていく必要があります。
現場で求められる技能を習得でき、訓練と就職がより強く結びつくような改善が必要だと感じます。

そしてもう1つ、労働移動が進まない背景を考える上で、一部で指摘されるのは、雇用を維持する政策を必要以上に行うと、人の移動を妨げるのではないかという点です。
これについても考えてみたいと思います。

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国はコロナ禍で、雇用を維持する政策に力を入れてきました。
例えば、休業を余儀なくされた事業所に、国が助成金を支払い、従業員を雇い続けてもらう「雇用調整助成金」の制度です。
コロナで上限額を引き上げるなどの特例措置を設けました。
支給件数は累計で600万件を超え、多くの人の雇用を繋ぎ留め、事業所も守っています。
ただその分、他の業種に移る人は減ります。
これをどう考えるのか。
私は、この雇用維持の政策をすぐに縮小してまで、労働移動を促すべきだとは思いません。無理に進めようとしても、望まない転職を増やすだけ、だからです。
これでは生産性は上がらず、仕事も長続きもしないおそれが十分にあります。
重要なのは、多くの人が望んで転職していくことです。
もちろん政策が、必要以上に人の囲い込みに繋がっていないか、あるいは必要以上に事業所を保護しているのではないかという検証も必要だと思います。
しかしまずは、人手が不足する分野の処遇を上げて、前向きな労働移動を促すことを、第一に考えるべきだと思います。

政府はこの程、「新しい資本主義の実行計画」を公表し、賃上げや能力開発、それに再就職の支援などを強く推し進めていくという方針を打ち出しました。
これを掛け声だけで終わらせてはなりません。
社会の変化に対応するには、成長分野、あるいは人々の暮らしに欠かせない分野に、自然と人が移っていく、そんな環境を整えていく必要があります。
それが進んでこそ、真の雇用回復に向かうと言えるのではないでしょうか。

(牛田 正史 解説委員)


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