最高裁判所の裁判官に任命された人たちが、その職にふさわしい人物かどうかを私たちが審査する「国民審査」。
最高裁は、選挙のように海外で投票することができない今の制度は憲法に違反すると判断しました。国や国会は改正を迫られることになります。
ただ、国民審査には興味がない、国内に住んでいるから関係ない、と思う方も多いかもしれません。
最高裁が違憲判断に踏み込んだ意味や、国民審査という制度の意義を考えたいと思います。
はじめに、国民審査とは何か、簡単に説明します。
衆議院選挙の投票に行くと、選挙とは別に、もう1枚の投票用紙が配られます。
これが国民審査の投票用紙です。
用紙には、前回までの選挙の際に審査を受けていない、新たに就任した裁判官の名前が書かれています。
この中で、「最高裁の裁判官にふさわしくない」と思う人がいれば、「×」をつけて投票します。ふさわしいと思う人には何も書きません。
「○」などを書くと無効になります。
そして、「×」が有効投票の過半数に達した裁判官がいれば、罷免されます。
ただ、「何を基準に判断すればいいのかわからないので何も書かずに投票した」という人も少なくないと思います。
何も書かない白紙の投票は「全員を信任した」とみなされます。
これまで最も「×」が多かった人でも有効投票の15%あまりで、罷免された人は1人もいません。
「制度が形骸化している」という指摘もあります。
しかし、今回の裁判は、国民審査に意義を感じている人たちが起こしました。
海外に住む日本人たちです。
実は、海外では国民審査の投票ができません。
一方で、国政選挙は、この20年ほどの間に制度が改正され、今では選挙区・比例代表ともに海外で投票することができます。
原告は、海外に住む人だけが権利を行使できない今の国民審査法は、公務員を罷免する権利を保障した憲法に違反すると訴えました。
一方、訴えられた側の国は、こんな主張をしました。
「国民審査は議会制民主主義のもとで不可欠の制度とまでは言えない」
「民主政の過程に直接関わる選挙権とは本質的に異なる」
選挙権ほど重要なものではない、という主張です。
最高裁はどう判断したのか。
原告の訴えを認め、憲法に違反するという判決を言い渡しました。
15人全員一致の結論です。
国民審査は選挙権と同じように平等に審査権が保障されると指摘し、やむを得ない事情がないのに海外での審査を一切認めないのは許されないと判断しました。
国の主張を真っ向から退けた形です。
国は、海外で実施するのは技術的に難しいということも訴えましたが、最高裁は認めませんでした。
一方で、原告が、「次の選挙の機会に国民審査に参加できないのは違法だ」と訴えた点は認めました。
さらに、国会は、国政選挙は海外でも投票できるように改正したのに国民審査は長期間改正しなかったとして、国に賠償を命じました。
法律が憲法違反だという判断は、戦後70年あまりで11件目です。
日本の司法は憲法判断に消極的だ、とも言われますが、今回は「伝家の宝刀」とも呼ばれる違憲判断を示しました。
その理由は、裁判所が持つ権限の大きさにあります。
日本は、国会、内閣、裁判所の3つの機関が、お互いにチェックし合う「三権分立」の仕組みで成り立っています。
国民審査は、主権者である私たちが、国会を通さず、裁判所のトップを直接チェックする仕組みです。
今回の裁判で国は、こちらの仕組みでチェックは十分だということも主張しました。
最高裁の長官を指名し、そのほかの裁判官を任命する権限を内閣が持つという仕組みです。
国会で信任された内閣が人事上の影響力を行使しているから問題ないというのです。
しかし、最高裁はこの主張を退けました。
裁判所は、国会が制定した法律や内閣が出した命令や処分について審査できる唯一の機関です。
憲法に違反すると判断された法律は改正を求められ、命令や処分は取り消されることもあります。最高裁が「憲法の番人」と呼ばれる理由がここにあります。
しかし、裁判所がその権限を振りかざして、特定の勢力だけを優遇したりするような事態も想定しておかなければなりません。
だからこそ、いざという時には、私たち主権者の投票で辞めさせることができる制度に意味があるのです。
今回の判決で、国や国会は制度の改正を迫られることになります。
木原官房副長官は「厳粛に受け止めている。立法的な手当ては必要だろうと考えている」と話しました。
それでも国民審査の意義を実感できない、という方もいると思います。
これまで1人も罷免されていないことが影響しているかもしれません。
ただ、最高裁に対する意思表示になったと考えられるケースもあります。
最高裁の裁判官は、地裁や高裁と違って、自分の意見を個別に示すことができますが、その結果が不信任を示す「×」の割合に影響したとみられるケースがあるのです。
国政選挙の「1票の格差」をめぐるケースや、夫婦が別々の名字を選べる「選択的夫婦別姓」をめぐるケースです。
明治大学の西川伸一教授は、各裁判官の判断と「×」の割合を照らし合わせたところ、「今の制度は憲法違反ではない」、つまり「問題ない」と判断した裁判官は「×」の割合が比較的高かったと指摘し、「裁判官の判断が投票行動に影響した可能性が高いと考えられる」と話しています。
この2つは社会の仕組みや生活に深く関わり、賛否が分かれているテーマなので、国民審査での関心も高かったとみられます。
裁判官にとっては、「国民に見られている」という緊張感を持って裁判に臨むことにつながります。
それでは、国民の意思を正確に示し、より実質的な審査にするには何を考えるべきでしょうか?
1つは、投票方法です。
今は、空欄のまま投票すると「信任した」とみなされますが、本当に信任したのか、判断できずに棄権したのか、区別できません。
西川教授は、罷免させたくない裁判官には「〇」、罷免したい裁判官には「×」、判断がつかない・わからない裁判官は空欄にする三択に改め、「信任」と「棄権」を区別するよう提案しています。こうすれば、「信任」の意味で「〇」を書く人の票が無効になるのを防ぐこともできます。
もう1つは、十分な情報や判断材料の提供です。
国民審査が行われる際に、各世帯には国民審査の「公報」が配布されます。
裁判官の写真や略歴、これまでに担当した主な裁判や心構え、人によっては趣味も書かれています。
ただ、裁判の詳しい内容は記載されていません。
こうした姿勢が形骸化を招いているのではないでしょうか?
「公報」以外の手段はないのか、裁判官の判断をより詳しく、わかりやすく紹介することはできないのか、「顔」が見える情報発信はできないのか、国や最高裁には十分に検討してもらいたいと思います。
この問題は、報道機関にも関わります。
NHKは去年の国民審査の際に、裁判官がどんな裁判でどんな判断を示したのか、一目でわかる特設サイトを設けました。
去年、私たちが信任した裁判官が、その後どんな判断を示したのかも紹介しています。ぜひご覧ください(文末にURLがあります)。
ふだん、最高裁のことを身近に感じる機会は少ないかもしれませんが、その判断は私たちの社会の仕組みや生活に深く関わっています。
国や国会には、この機会に、国民審査の制度について改めて議論してもらいたいと思いますし、私たちも関心を持って審査に臨む必要があると思います。
(山形 晶 解説委員)
【NHK国民審査特設サイト】
https://www3.nhk.or.jp/news/special/kokuminshinsa/2021/
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