法務省の調査では、戸籍を持たない人は全国で800人あまりにのぼっています。
「無戸籍問題」と呼ばれ、住民票やパスポートの取得といった当たり前のことすら困難になる、深刻な人権問題です。
以前から対策を求める声があり、大きな原因となっている民法の改正が議論されてきました。
法制審議会の部会は、今回、改正の骨格となる要綱案をまとめました。
どこまで解決につながるのかを考えます。
【なぜ無戸籍に?】
そもそも、なぜ無戸籍になるのでしょうか?
戸籍には、本籍、本人や親の名前、生年月日、結婚した相手などが記載されています。
日本の国籍を持つ人すべてが対象で、親族関係のつながりを正確に把握できる仕組みです。
住民票などさまざまな行政手続きはこれに基づいています。
子どもが生まれた時に役所に出生届を出すと、親の戸籍に子どもが入る形で子どもの戸籍ができます。
しかし、さまざまな事情で出生届が提出されないことで無戸籍の問題が起きています。
【原因は「嫡出推定」】
なぜ出生届を出さないのか?と疑問に思う人もいるかもしれません。
法務省は2014年から実態調査を行っていて、1月10日の時点で全国で825人が無戸籍の状態でした。
そのうちおよそ72%が原因だと答えたのが、民法の「嫡出推定」という規定です。
「嫡出」というのは結婚している夫婦から子どもが生まれることです。
「嫡出推定」というのは、結婚を基準に子どもの父親を定めるルールです。
DNA鑑定がなかった明治時代に、子どもの幸せのために保護者となる父親を早く確定させようと設けられました。
その仕組みです。
夫婦が結婚してから200日以内に生まれた子は、夫の子とは限らないということで、嫡出推定のルールでは父親は定まりません。
それを過ぎると、夫の子と推定されます。
離婚した場合も、300日以内に生まれた子は、結婚している間にできた可能性が高いということで、離婚した元夫の子だと推定されます。
しかし現実には、結婚生活が破たんしていても離婚の成立に時間がかかり、その間に新しいパートナーができるケースも珍しくありません。
新しいパートナーとの間にできた子が嫡出推定の及ぶ期間に生まれると、出生届には元夫の子と書かなければ受理されません。
嫡出推定によって、法的に父親とされる人物が実際とは違ってしまうという問題が起きるのです。
夫から暴力などのDV被害を受けていた場合は特に深刻です。
出生届を出せば、加害者が子どもの父親になり、関わりたくなくても関わりができてしまうからです。
こうしたことが無戸籍の主な原因となっています。
【無戸籍 何が問題?】
無戸籍の人には、さまざまな不利益が生じます。
住民票を作るのも困難で、住民票がなければ、選挙で投票することもできません。
パスポートや運転免許証の取得、銀行の口座の開設も難しくなり、遺産相続にも影響します。
戸籍がないということは、生活の基盤が損なわれることを意味します。
20年ほど前から無戸籍の実態が少しずつ知られるようになり、大きな社会問題になっていきました。
国も対策に乗り出し、離婚から300日以内でも、離婚した時点で妊娠していなかったことを示す医師の証明書があれば、元夫を父親としなくても出生届を受理するという通達を出しました。
また、相談窓口を設けて、家庭裁判所の手続きや支援策の周知に取り組んでいます。
家庭裁判所の手続きというのは、嫡出推定を外すための手続きです。
離婚前から別居していたといった客観的な事情をもとに、元夫と接触がなかったことを裁判所に示すことができれば、元夫の子ではないと認められます。
そうすれば実態に合った出生届を出して戸籍を作ることができます。
国は、特例措置として、こうした手続きをとっている人については、すぐに住民票を作れるようにしました。
問題は、この手続きに元夫が関わる可能性があることです。
裁判官が元夫から話を聞く必要があると判断する場合もあるからです。
DV被害者にとっては、元夫と関わりができると考えるだけで、強い不安や恐怖を感じ、手続きを利用できなくなります。
このため、嫡出推定そのものを見直すよう求める声が高まりました。
これを受けて法制審議会の部会は、2年半にわたる議論の末、法改正の骨格となる要綱案をまとめました。
【嫡出推定 どう見直す?】
嫡出推定がどう変わるのか、見てみます。
改正後は、結婚から200日以内に生まれた場合でも夫の子とみなします。
そして、離婚後300日以内に生まれた子は元夫の子とするルールは残しつつ、これを再婚によって「上書き」できるようにします。
再婚による嫡出推定の方が優先されるため、再婚後に生まれた子は現在の夫の子とされます。
この場合は、家庭裁判所の手続きをとる必要はなくなります。
こうした改正が行われれば、いつ再婚しても嫡出推定が重複することはなくなるため、「女性の再婚を100日間禁止する」という民法のルールも廃止されます。
一方で、課題も残されました。
再婚しなければ何も状況は変わらず、救済されないのです。
現実には、新しいパートナーができて子どもが生まれても、再婚しない、あるいはできない場合も珍しくありません。
法務省がおととし行った無戸籍の実態調査を見ると、今回の改正によって救済の対象となる「母親が300日以内に再婚したケース」は全体の35%にとどまっています。
改正後も、一定の割合で無戸籍になる人が出てくることが予想されます。
【課題はどうなる?】
一方、今回の改正では、別の手続きを使えるようにするという対策も盛り込まれました。
「嫡出否認」という手続きです。
今は元夫などが「自分は父親ではない」と否認する場合しか使うことができません。
改正後は、子どもやその母親の方からも「この人は父親ではない」という訴えを起こせるようにするのです。
手続きの選択肢は増えますが、元夫が相手方になるため、関わりが生まれてしまいます。
法制審議会の部会では、DV被害を受けた女性の支援にあたっている弁護士から、この手続きは利用しにくいとして、そもそも嫡出推定のルールじたいをなくすべきだという声が上がりました。
しかし、部会では、嫡出推定は維持する方向で議論が進められてきました。
嫡出推定によって父親を早く確定させた方が子どもの利益になるという意見が多かったからです。
今はDNA鑑定という方法もありますが、それでも親子関係を早く安定させて父親の保護を受けられる方がメリットは大きいという考え方です。
そこで、部会では、新たな方法も議論されました。
裁判所の手続きではなく、行政の窓口への届け出によって救済できるようにするという方法です。
具体的には、元夫と別居するなど夫婦生活の実態がなかったことを示す客観的な資料を提出すれば、出生届の父親の欄が元夫になっていなくても受理するという案です。
しかし、この案は採用されませんでした。
どのような資料を出せば受理するのか、要件の設定が難しいといった否定的な意見が相次いだからです。
今回の改正では、無戸籍になるケースを完全に防ぐことはできません。
国や自治体には、制度や手続きをより広く、より丁寧に周知する努力が求められます。
さらに、裁判所の手続きの中でDV被害者をどう保護するか、被害者の目線で考えていく必要があります。
戸籍は日本の制度の根幹とも言える仕組みです。
無戸籍の人の立場に立って今回の改正の効果を検証し、1人でも多くの人が救済されるように、議論を続けていくべきだと思います。
(山形 晶 解説委員)
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