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来年度税制改正大綱~賃上げは実現するのか

神子田 章博  解説委員

岸田総理大臣がめざす成長と分配の好循環。そのカギを握る賃金の引上げを税制の面から後押しする政策がまとまりました。税制改正の中でもとくに関心の高い賃上げのための税制にしぼって、その具体的な内容と効果、そして賃上げに向けて税制面以外でどのようなことが求められるのか考えていきたいと思います。

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解説のポイントは三つです
1) 法人税の負担を減らし賃上げを促す
2) 疑問視される政策の効果
3) 税制以外に求められること

1)法人税の負担を減らし賃上げを促す
 まず自民公明両党が決定した賃上げのための新しい税制について具体的に見ていきます。今回の改正では、企業により大きな賃上げを促すため、賃金の引上げ額の大きさに応じて、法人税の控除率を段階的に引き上げる仕組みとなりました。

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具体的には、大企業や中堅企業は、基本給やボーナスなどを含めた賃金などの総額が前の年度より3%以上増えた場合、賃金全体が増加した分の15%にあたる額を法人税から差し引きます。そして4%以上増えていれば控除する率を25%に拡大、さらに、賃上げ率が3%を超えた企業を対象に従業員の教育訓練費を前の年度より20%以上増やした場合には控除率をさらに5%上乗せすることで、最大で30%とします。

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一方、中小企業は、賃金の総額が前の年度より1.5%以上増えた場合、「増加額」の15%を法人税から差し引き、▽2.5%以上増えていればその率を30%まで拡大、さらに、▽教育訓練費を前の年度より10%以上増やした場合には控除率を10%上乗せして最大で40%とします。

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政府・与党が「賃上げ税制」を強化しようとした背景には、企業が稼いだ利益が従業員に十分に還元されていないという課題があります。企業が、稼いだ利益のうち手元に残しておくいわゆる「内部留保」は9年連続で過去最高を更新する一方で、賃金はほぼ横ばいの状況が続いています。岸田総理大臣としては、「税制改正」を通じて賃金を引き上げ、それによってGDP=国内総生産の半分以上を占める個人消費を伸ばすことで企業の利益を拡大させ、それがまた賃金として還元されるという成長と分配の好循環を生み出したい狙いがあります。

2)疑問視される政策の効果
しかし、今回の税制改正については、実際に賃金の引き上げにつながるか疑問だとする声がでています。

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企業は、賃金の引き上げを行った場合、それにともなって社員の年金のために支払う社会保険料の額も増えるなど、将来にわたって人件費の負担が増していく事になります。さらに「賃金は一度上げると下げにくい」など慎重な声も根強く聞かれます。また、経営の厳しい中小企業は、60%余りが赤字で、もともと法人税を納めていないため、減税が効果を生まないという指摘もあります。
一方で、今回の税制改正で賃上げが実現したとしても、それが消費の増加に結び付くか不透明だという指摘もあります。

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一般に人々は、企業の業績に応じて変動するボーナスなどの一時金というより、基本給などのいわゆる月給が安定的に増えていく事で、安心してお金を使うようになると言われています。しかし今回の税制では、基本給の引き上げなどだけでなく一時金も賃上げの増加分に計算できることになりました。このため、企業の中には、一度上げたら下げにくくなる基本給でなく、柔軟に増減できる一時金の引き上げで対応するところが増えるのではないか、その結果お金が消費にまわる効果は限られるのではないかという見方が出ているのです。今回の税制議論でも、基本給などの着実な引き上げにつなげることをめざしましたが、企業がそれに慎重な姿勢を見せる中、新たな税制が利用されなければ意味がないという判断もあって、一時金も計算に入れることになったようです。

3)税制以外で求められること
ここからは、賃金の引上げにむけて税制面以外で求められることは何かを考えていきたいと思います。

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岸田総理大臣は、先月、「来年の春闘では3%を超える賃上げを期待する」と政治の立場から経済の三団体のトップに呼びかけました。これに対し、経団連が、収益が拡大している企業の基本給については「ベースアップの実施を含めた賃上げに前向きな方針を示す見通しとなる一方で、中小企業の声を反映する日本商工会議所の三村会頭は、「賃上げの余力のない企業もたくさんあり配慮も必要だ」として、一律の引き上げは難しいという認識を示しました。このように経済界の反応はまちまちなうえ、そもそも、賃金は労使協議で各社が自主的に判断して決めるのが原則だという指摘もあります。
ではこの問題の当事者といえる企業にはどのような対応が求められるでしょうか。

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まず大企業は、継続的に賃金を引き上げられるよう、自ら収益力を高めていくことです。
今年6月に政府がまとめた成長戦略では日本の成長率が低い理由として、労働生産性が低いこと。その要因として、モノやサービスを十分な利益を確保できる価格で販売できていないことがあると指摘しています。このグラフは、コストを分母に、販売価格を分子にとって、コストに対しどれだけ高く売れたかを示すマークアップ率という数字を主要先進国と比較したものですが、日本が最も低くなっています。政府はその背景として、新しい製品やサービスを投入した企業の割合で見劣りしている実態があると分析しています。求められるのは、大企業が潤沢な手元資金を有効に活用して研究開発や設備投資を強化し、付加価値の高い商品を生みだして収益力を高める。それが賃金の上昇につながっていくという姿ではないでしょうか。

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一方、経営規模の小さな中小企業の多くは、ぎりぎりの経営が続き、賃上げどころか生き残るだけで精一杯というのが実情ではないでしょうか。中小企業の賃上げを実現するにはより市場規模の大きな事業への転換や、関連する企業との統合などを通じて経営基盤を抜本的に強化することが求められているのですが、そうした中で気になるのが、減税の効果が及ばない赤字の中小企業に賃上げを促すために、補助金を増やす政策が検討されていることです。
赤字企業というのは、そもそも、市場が縮小傾向にあって、採算がとりにくい、収益性が低い状態にあり、その多くがいわば衰退産業で事業を続けています。一方で、政府は、業務のIT化や自動配送といったデジタル分野、再生可能エネルギーや脱炭素といったグリーン分野など成長分野での産業育成をかかげています。そうした中で赤字企業へ補助を増やして賃金の引き上げをはかるということは、生産性の低い衰退産業に労働力をおしとどめ、需要の拡大する成長産業で必要となる人材の確保を阻むことになるという指摘が出ています。むしろ今後求められるのは、衰退産業で働く人々に対して、デジタル分野など新しい時代に即した知識や技術を身につけてもらうための職業訓練を行い、成長産業への移動を後押しする政策です。政府もさきの経済対策に労働移動の円滑化と人材育成にむけた具体策を盛り込みましたが、専門家は、成長産業をより迅速に育てていくためには、例えばデジタルなど多くの産業で共通に必要とされる人材について、個別の企業や産業の枠を越えた教育や訓練の場を設けるなど、国や産業界が一体となってもっと大掛かりな仕組みをつくっていく必要があると指摘しています。

岸田総理大臣がめざす幅広い国民の賃金の引き上げを実現するためには、税制面の改革にとどまらず、雇用の7割を占める中小企業も含め、成長力の高い分野に人材をどうシフトさせていくか。そうした大きな絵図を描くことが求められているのではないでしょうか。

(神子田 章博 解説委員)


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