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石油国家備蓄放出~疑われる効果

神子田 章博  解説委員

止まらぬ原油高に、石油の消費国が協調して対応をとることになりました。政府は、アメリカなどと足並みを揃えて、有事に備えた石油の国家備蓄の一部を初めて放出することを決定。原油価格の上昇を一定程度抑える狙いです。異例の措置の背景には何があるのか。これでガソリンなどの価格がさがることになるのか。この問題についてとりあげたいと思います。

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解説のポイントは3つです。
① 異例の対応の背景は
② ガソリン価格は下がるのか
③ 原油高の行方

1) 異例の対応の背景は

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 まず石油備蓄と放出の具体的な内容についてみてゆきます。
石油備蓄は、災害などの有事に備えて国や民間で行っているもので、このうち、国家備蓄は、今年9月末の時点で、国内需要のおよそ145日分を保管しています。政府はこのうち数日分、数百万バレルを、石油元売り会社や商社などを対象とした入札を通じて、市場に売却するとしています。石油備蓄法では、石油の供給が不足する事態などに備蓄の放出が認められて、過去にも2011年に東日本大震災が起きた際に一部の製油所で操業が止まったときなどに民間の備蓄を放出したことがあります。しかし、価格上昇の対応としての放出は想定されておらず、国家備蓄の放出も今回が初めてです。政府は、過去の消費の実体にもとづいて決めた備蓄量が、その後、省エネなどが進んだため、余剰となっている。その余剰分を放出とするとしており、法律の枠組みの中での放出が可能だとしています。

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異例の措置の背景には、原油価格高騰の国内経済への影響があります。国際的な原油の先物価格WTIは、世界経済の回復を受けて需要が急拡大したことなどから、先月25日には1バレル85ドル台と7年ぶりの水準にまで値上がりしました。これにともなって、日本でもガソリン価格が前の年の同じ月に比べて21.4% 灯油は25.9%も上昇し、家計を直撃しています。また石油からつくる化学製品などの原材料も値上がりし、企業の収益を悪化させることが懸念されます。

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しかし、今回の備蓄放出決定の背景には、こうした国内事情に加え、アメリカの政治情勢が大きく作用したと言われています。
車社会のアメリカでは、家計に占めるガソリンへの支出の割合が高く、ガソリン価格の高騰は市民の生活を直撃し、時の政権への不満につながります。選挙の投票行動にも影響するといわれており、実際に今月2日に行われたバージニア州知事選挙では、与党民主党の元知事が共和党の新人候補に敗北。対立候補は、公約の中に、州のガソリン税の増税凍結をかかげ、ガソリン高騰に不満を強める有権者の支持を広げたといわれています。こうした中で、バイデン政権は23日、日本に先立って、石油備蓄をむこう数か月であわせて5000万バレルを放出すると発表。アメリカはこれまでも原油価格の上昇を抑えるために、備蓄の放出を行ってきたことがありますが、バイデン政権の高官は、今回は、対決色を強める中国を含め、インドや日本など主要な消費国と協調した初めての取り組みだとアピール。バイデン大統領の支持率が、就任以来、最低の水準にまで下がる中、加えて、一年後には議会の中間選挙を控える中で、国民の暮らしに配慮する姿勢を一刻も早く示したかったものとみられます。日本が異例の国家備蓄放出に踏み切った背景には、こうしたバイデン政権からの強力な働きかけがあったのです。
 
2)ガソリン価格は下がるのか

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 では、日本では、石油備蓄を放出することでガソリン価格を抑えることができるのでしょうか。
 過去の放出の例を見ますと、例えば東日本大震災の際には25日分の備蓄を放出するなど、まとまった量を放出。ところが、今回は数日分にとどまる見通しで、価格抑制の効果は限定的だという見方が出ています。
一方、政府がさきにまとめた経済対策の中で打ち出したガソリン価格の抑制策も、効果が見通せないという声が出ています。ガソリンは、石油元売り会社が輸入した原油から精製し、各地のガソリンスタンドに卸して、最終的に消費者に販売されます。政府が打ち出した価格抑制策は、ガソリンの小売価格の全国平均が1リットルあたり170円を超えた場合に、石油元売り会社に卸売価格を引き下げてもらうよう協力を求め、その引き下げた分を政府が補填する仕組みです。ただ小売価格は、ガソリンスタンドがそれぞれの経営判断にもとづいて決定するため、経営の厳しい店などでは、卸売価格が引き下げられても小売価格が下がる保証はありません。政府は全国におよそ29000あるガソリンスタンドの小売価格をチェックし、下がっていないケースが確認されれば値下げをお願いするとしていますが、法的な拘束力はありません。さらにこの制度では、ガソリン価格が1リットル170円を1円超えるごとに1円ずつ補填額が増えるものの、それも5円が上限です。さらに、来年3月末までの時限的な措置とされています。原油価格の上昇トレンドが続けば、ガソリン価格を抑えることができなくなるおそれもあります。

3)原油価格の行方

ではガソリン価格を決める元となる原油価格はこの先どうなるでしょうか。市場関係者の間では高止まりが続くという見方が強まっています。ひとつは石油備蓄放出による価格抑制効果に疑問が生じていることです。

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今回の備蓄放出は、対立する米中も足並みを揃えるなど国際協調をとる形とはなったものの、その放出量は全部あわせても世界の1日あたりの石油の消費量に達するかどうかというところで、効果は限定的という見方が強まっています。実際にバイデン政権が備蓄放出を発表した後の23日の原油市場では先物価格は値上がりに転じています。
一方で、サウジアラビアなど産油国は、去年、コロナ禍で原油価格が大きく下がったことから、国の財政が悪化。それを埋め合わせるためにも歳入を増やしたいと考えており、原油価格の値下がりを望んでいないといわれます。実際に今月5日の主要産油国の会合では「コロナ禍の行方によっては需要が落ちこむ可能性もある」として増産に消極的な姿勢を示しました。こうした中で、消費国が協調して備蓄を放出して原油価格を抑えようとしたことは、逆に産油国に追加の増産を行わない口実を与え、かえって価格の高止まりを招くのではないかという見方も出ています。

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もうひとつ、原油価格の高止まりが予想される背景には、脱炭素化の動きがあります。
アメリカで大量に生産されるシェールオイルは、採掘コストが高く、以前は原油価格が上昇する場面では、採算がとりやすくなって増産の動きがひろがり、供給の増加を通じて価格が抑えられてきました。しかし脱炭素化が世界の潮流となる中で、投資家の間では、化石燃料への投資を避ける動きが強まっています。このため、関連企業がシェールオイルの増産に必要な投資をしたくても、資金を確保しにくくなっていると言われます。

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温暖化対策に力を注ぐバイデン政権も、石油のパイプラインの建設を止めるなど化石燃料からの脱却を進めてきた手前、いまさら国内の原油増産を打ちだすわけにはゆかず、さりとて、再生可能エネルギーはまだ十分に確保できない状況で、原油高に対する国民の不満が強まる中でも有効な手立てを見いだせない、いわば自縄自縛に陥っているようにも見えます。
 こう考えると今回の原油高は、社会が脱炭素化に向かう途中の段階で、払わざるをない代償とも考えられます。政府には、産油国に対する増産の働きかけが引き続き求められますが、エネルギーを消費する側も、しばらくは価格の高止まりが続くことを覚悟しておいたほうが良いのかもしれません。

(神子田 章博 解説委員)


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