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ノーベル平和賞 ジャーナリスト受賞の意味

出川 展恒  解説委員 安間 英夫  解説委員

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(出川)
今年のノーベル平和賞に、海外の2人のジャーナリストが選ばれました。フィリピンのマリア・レッサ氏と、ロシアのドミトリー・ムラートフ氏です。2人とも、強権的な政権を批判する報道を貫いてきたことが評価されました。ノーベル平和賞が「報道の自由」を理由に授与されるのは、第2次世界大戦後、初めてです。今回の受賞には、どんな意味があるのか、安間委員と考えます。

安間さんは、長年、ロシア報道に携わってきましたが、ムラートフ氏は、どういう経歴の人ですか。

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(安間)
ムラートフ氏は、ロシアの独立系の新聞、「ノーバヤ・ガゼータ」の創設者の1人で、通算24年にわたって編集長を務めています。ロシア語で「新しい新聞」を意味する「ノーバヤ・ガゼータ」は、一貫してリベラルの姿勢をとり、チェチェン紛争などをめぐって徹底した調査報道を展開し、政権に批判的な報道で知られています。そして、これまでに殺害された記者らは6人にのぼっています。
私はそのうちの1人、アンナ・ポリトコフスカヤ記者が2006年に殺害されたときに、現地で取材しました。新聞社は深い悲しみに包まれていましたが、それでも変わらず臆せずに調査報道を続けるというムラートフ氏の姿勢と信念に深い敬意を覚えた記憶があります。この事件から15年経ちましたが、事件の全容は解明されていません。

ノルウェーのノーベル賞委員会は、ムラートフ氏が、「何十年にもわたってロシアの言論の自由を守り、汚職や警察当局の暴力、それに選挙の不正などに関する批判的な記事を発行してきた。殺害や脅迫にもかかわらず、新聞の独立性を放棄せず、ジャーナリストが書きたい記事を書く権利を守り続けた」と授賞の理由を説明しました。
受賞の知らせに、ムラートフ氏は、殺害された6人の名前すべてをあげ、自分ではなく、「殺害された同僚に授けられた賞だ」と述べました。

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(出川)
一方のマリア・レッサ氏は、アメリカ・CNNテレビの特派員として活躍した後、9年前、母国フィリピンで、インターネットメディアの「ラップラー」を設立し、現在も代表を務めています。ドゥテルテ政権が、容疑者の殺害も辞さない強硬なやり方で、麻薬犯罪を取り締まる実態を調査報道で明らかにし、人権と法の軽視を厳しく批判しました。レッサ氏は、ドゥテルテ大統領から敵視され、これまでに、名誉棄損などの理由で、2度逮捕され、「ラップラー」も訴追されています。

ノーベル賞委員会は、レッサ氏について、「権力の乱用や暴力の横行など、ドゥテルテ政権のもとで専制主義が強まる実態を暴いた。また、SNSが、どのようにフェイクニュースを広め、世論操作に使われているかを伝えた」と授賞理由を説明しています。
受賞を知らされたレッサ氏は、「事実のない世界というのは、真実と信用のない世界です。私たちは、事実を追い求める闘いを続けていきます」と述べました。


(安間)
出川さんは、レッサ氏と会ったことがあるということですが、どういう印象を持ちましたか。

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(出川)
私は、以前、報道の自由をテーマにしたシンポジウムで、レッサ氏と議論を深めたことがあります。「不正について沈黙することは共犯者になることと同じだ」と述べるなど、気さくで明るい人柄の中にも、事実を掘り起こし、不正を告発する強い使命感を感じました。

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(安間)
ではなぜ、今回、ノーベル賞委員会が、2人のジャーナリストに平和賞を与えるのか、そこが最も重要です。ライスアンネシェン委員長は、「自由で独立し、事実に基づいたジャーナリズムこそが、権力の乱用と戦争への扇動から人々を守る」と指摘したうえで、「民主主義と報道の自由が逆境に直面する世界で、2人は理想の実現のために立ち上がるすべてのジャーナリストの代表だ」と述べました。ノーベル賞委員会には、世界の「報道の自由」が脅かされている現状に警鐘を鳴らすねらいがあったと考えられます。

(出川)
「報道の自由が脅威にさらされており、何とかしなければならない」という危機感が、今回の平和賞の背景にあるわけです。

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世界各国の言論弾圧の実態を調査している国際的なNGOの「CPJ=ジャーナリスト保護委員会」によりますと、取材活動を理由に投獄されているジャーナリストが、去年12月の時点で、世界全体で274人にのぼり、調査を始めた1990年代以降、最も多くなっています。国別には、中国(47人)、トルコ(37人)、エジプト(27人)、サウジアラビア(24人)の順に多くなっています。

また、国際NGOの「国境なき記者団」によりますと、当局による弾圧などを背景に、今年すでに、世界各国の報道関係者、合わせて28人が殺害され、460人が投獄されています。「国境なき記者団」は、3年前、サウジアラビアの著名なジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏が、サウジアラビア政府の関係者らによって殺害された事件について、今年3月、「人道に対する罪」で告発を行いました。

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(安間)
その「国境なき記者団」ですが、世界180の国と地域を対象に、毎年、報道の自由度ランキングを発表しています。最新の報告書では、フィリピンは138位、ロシアは150位となっています。しかし、これよりランキングが低い「中国」(177位)や「北朝鮮」(179位)、「サウジアラビア」(170位)や「イラン」(174位)などは、報道の自由はいっそう厳しい状況に置かれていて、ノーベル平和賞は、こうした国々にも警鐘を鳴らしていると言えます。

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(出川)
今年は、先進国、途上国を問わず、報道の自由を脅かす出来事が相次いで起きています。
▼アメリカでは、1月、大統領選挙の結果に不満を持つトランプ前大統領の支持者らが、連邦議会の議事堂に乱入して、死傷者が出る事態となりました。ネット上を中心に、根拠のない誤った情報が広がったことも背景にあったと指摘されます。
▼香港では、6月、言論弾圧を強める中国政府に批判的な新聞が、廃刊に追い込まれました。
▼ミャンマーでは、2月、軍のクーデターが起き、抵抗する市民を武力で抑え込む一方、ジャーナリストが拘束されたり、拷問を加えられたりしています。
▼アフガニスタンでは、8月、イスラム主義勢力「タリバン」が武力で実権を握り、あらゆるメディアに対し、厳しい取り締まり行っています。

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(安間)
ここで翻って、日本の報道の状況について見てみたいと思います。
日本は、「国境なき記者団」の報道の自由度ランキングでは、67位です。G7=主要7か国では最下位。アジアでも42位の韓国の下に位置しています。
「国境なき記者団」は、日本の状況について、「慣習や利害関係によって、記者が権力監視の役割を十分に果たすことが難しいと感じている」と指摘しているほか、「記者クラブ制度」や「特定秘密保護法」をめぐる問題についても言及しています。

日本では、ジャーナリストが、フィリピンやロシアほど、厳しい環境に置かれているわけではありませんが、ジャーナリズムが目指すもの、求められるものは変わらないと感じます。ムラートフ氏は、ジャーナリストが危険を冒してでも報道に取り組むのは、「世の中を少しでもよくしたいという思いからではないか」と述べています。
今回のノーベル平和賞を受賞した2人から、私自身も、事実を追い求めて、人々に伝え、判断材料を提示することが、社会をよくすることにつながるという、民主主義にとって当たり前で大切なことを改めて教えられたと考えています。

(出川)
今回のノーベル平和賞、私たちを含め、報道に携わる者すべてに投げかけられた強いメッセージと受け止めています。授賞理由に明記されていた「報道の自由を守ることが、民主主義や恒久的な平和の前提となる」という指摘が何より重く響きます。
合わせて、SNSを使った世論操作や、ネット上に氾濫するフェイクニュースも、民主主義の根幹を揺るがし始めています。「報道の自由とは何か」、「民主主義とは何か」について、改めて考える機会を与えられたという思いです。

(出川 展恒 解説委員/安間 英夫 解説委員)


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