日銀の黒田総裁の在任期間が今週、歴代最長となる見通しです。この機会をとらえ、黒田総裁が行なってきた金融政策の意味と今後の課題について考えてみたいと思います。
解説のポイントは3つです。
1) バズーカの功罪
2) 黒田日銀の変遷
3) 残る任期で求められること
1) バズーカの功罪
まずは黒田総裁の在任期間を振り返ります。
黒田氏が日銀の総裁に就いたのは、2013年の3月。2018年に再任され、8年半に及ぶ在任期間は、今週29日、終戦直後に総裁を務めた一萬田尚登(いちまだひさと)氏を超えて、歴代最長となります。
就任直後に、「2%の物価上昇率を2年程度で達成する」と宣言した黒田総裁。その手法は、日銀が市場から巨額の国債を購入するもので、黒田バズーカと呼ばれました。異次元とも言われた政策の背景には、大量の資金供給を通じて人々の期待に働きかけることで物価を上昇させることができるという考えがあったといいます。実際に黒田総裁、講演の中で、ピーターパンの物語にある「飛べるかどうかを疑った瞬間に永遠に飛べなくなってしまう」という言葉をひき、日銀が約束する将来の物価上昇を企業や個人に信じてもらうことで、実際の物価上昇がもたらされるという考えをにじませています。
物価があがるのを望まない人もいるなかで、なぜ物価の上昇をめざしたかというと、当時の日本は物価の下落が経済の縮小につながるデフレスパイラルに陥る懸念があり、物価を上昇させることでその悪循環を断ち切る必要があるといわれていたからです。
その一方で、当時の日銀は「新しい試みに消極的」「政策は小出し」で、「これではデフレから抜け出せない」と批判を浴びていて、黒田総裁は、「日銀は変わった」ことを鮮烈に打ち出す必要があったともいわれています。
では黒田バズーカは日本経済にどのような影響を与えたでしょうか
黒田総裁の就任前に、4%台だった完全失業率は、コロナ禍前の一昨年の12月には2.2%にまで低下しました。
さらに、リーマンショックの後円高方向で推移していた為替相場は金利を低く抑え続けたことで、円安方向に進み、ほぼ1ドル100円から110円の間で安定。それが輸出企業を中心に業績の大幅な改善につながりました。
一方、物価はどうなったでしょうか。物価上昇率は、黒田総裁就任後にマイナスからプラスに転じた後、2014年の春にかけて1%台の半ばに達し、デフレではない状況を実現しました。しかし、消費税率引き上げや、原油価格の下落の影響もあって、二年程度の間に2%には届かず、いまの任期中には達しない見通しです。
2) 黒田日銀の変遷
短期決戦の目論見が崩れる中で黒田総裁は2016年1月、「マイナス金利」という新たな策に打って出ます。しかしその後に待っていたのは、政策がもたらす副作用との戦いでした。
短期の金利を0.1%とするマイナス金利政策は、日銀の予想に反して、10年を超える超長期の金利まで大幅に低下させました。その結果、保険や年金などの運用利回りが低下し年金生活者への影響も懸念されるようになります。これに対し日銀は、10年ものの長期国債の金利をピンポイントで0%程度に固定するという「世界で初めての政策」を導入。10年より短い金利を抑える一方で、超長期の金利を上向かせます。金利をターゲットにした背景には、長期戦を強いられる中で、いつまでも大量の国債を買い続けることはできないという懸念が強まっていたこともありました。
しかし、長期金利が固定され、国債の価格が動かなくなったことで、今度は国債を売買する取引が低調となりました。いわば「市場が価格を決める機能」が失われる事態が発生したのです。市場が決める価格というのは、経済の体温のようなもので、医者が患者の体温を見ながら病状を探るように、政策当局にとって日本経済の実情を知る重要な手掛かりとなるものです。その後日銀は、長期金利の変動幅を広げる対応をとらざるをえなくなります。
マイナス金利の副作用としては、もうひとつ、銀行の稼ぐ利ザヤが減り経営を悪化させたという指摘があります。黒田総裁は当初「金融政策は金融機関のためにやっているのではない」としていましたが、日銀は今年3月、コロナ禍で苦しむ企業に融資を行った金融機関が日銀に預ける資金について、政策金利の引き下げに応じて利子を上乗せする、いわば補助金のような仕組みを導入。これには金融機関の経営の悪化が、貸し出しの減少や金融システム不安を招かぬようにする配慮があったのではないかといわれています。
こうしてみますと、同じ黒田総裁のもとでも、前半戦は他のことを犠牲にしてでも物価の上昇を最優先する構えだったのが、物価目標の達成に長い時間がかかるとわかってからは、市場機能の維持や金融システムの安定にも配慮せざるをなくなるという変遷があったように思います。その間、黒田総裁は、当初の戦略がそのままではうまくいかないから修正をおこなったようにしか見えないのに、「手詰まりになったということはない」と述べるなど、説明責任を誠実に果たしていたか、疑問も残しました。
3)残る任期で求められること
最後に、黒田総裁の残る1年半の任期の課題について考えたいと思います。
黒田総裁の8年半の成果について、日銀の関係者やエコノミストの間からは「金融政策だけでは物価はあがらないということを証明したことだ」という声を聴きます。これは皮肉ではなく、物価を上げるには、日本経済の成長力を高めて賃金を引上げ、消費を拡大する必要がある。その重要性を再認識させる意味があったというのです。
実は、日銀が、黒田総裁の就任前に政府と合意した共同声明は、成長力強化に向けた取組みの進展が2%の物価目標の前提だとも読める書き方がされています。当時の日銀の関係者は、2%とは、経済成長があって初めて実現できる数字だと考えていたといいます。
これに対し黒田総裁は、あくまで金融政策の力で2%を達成できると言い続けたものの、それが結果に結びつかなかったことから、日銀の政策が一段とわかりにくいものになったように思います。本来であれば、2%の目標が早期に達成できないとわかった時点で、金融政策の限界を認め、政府に成長戦略の実行を強く求める。そして2%という目標についても、物価がなかなか上がらないという現実に即してより中長期的な目標としたうえで、物価の上昇に向け政府と日銀が役割分担をどう行っていくべきか、虚心坦懐に話し合っていくべきだったのではないでしょうか。それはこれからの課題でもあると思います。
そしてもうひとつ気になるのが、日銀の独立性です。
日銀が国債の金利を低く抑えていることで、政府が借金をしやすい状況が生まれていますが、本来、借金が膨らめば金利が上昇し、政府の債務増大に警告を発することになるはずです。
これについて黒田総裁は、「物価の安定と金融システムの安定を目指して金融政策を行っているわけで、政府の財政を助けるという目的で行っているわけではない」と繰り返し強調しています。しかし、気になるのは「政府が支出を拡大する場合に、金利の上昇が防がれるという意味では、財政政策と金融政策の協調が行われている」とも発言していることです。確かに日銀は政府と政策協調をはかることが求められていますが、この発言は、日銀が政府が借金するのを手伝っていると言っているようにも聞こえ、「政府に従属しているかのような印象」をもたれかねません。黒田総裁としては、政府から独立した中央銀行のトップとして、財政規律の重要性について政府に強く訴え続けていく事が求められているのではないでしょうか。
黒田氏が在任期間の長さだけでなく、後世に対しても責任を果たした日銀総裁として名を残すことになるのか。最後まで注目していきたいと思います。
(神子田 章博 解説委員)
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