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菅首相 自民総裁選立候補せず 影響と焦点

曽我 英弘  解説委員

菅総理大臣は3日、自民党総裁選挙に立候補しないことを表明しました。これにより9月末に総裁としての任期が満了することに伴い、総理大臣を退任することになります。なぜこのタイミングでの表明となったのか。その背景と影響、そして今後の焦点を考えます。

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【強気の姿勢一転 不出馬表明】

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菅総理大臣は記者団に対し、総理就任後1年間、新型コロナ対策を最優先に取り組んできたとしたうえで、「コロナ対策と選挙活動を考えたときに莫大なエネルギーが必要だ」と強調しました。そして「両立はできず、どちらかに選択すべきだ」と決断の理由を明かしました。
自民党総裁選挙で現職の総理・総裁が敗れたことは過去に1度しかないにもかかわらず、菅総理は苦戦の可能性も取りざたされていました。それでも強気の姿勢をこれまで崩さず、きのうも再選を目指して立候補する意思を二階幹事長に伝え、週明け6日に党役員人事も予定していました。それだけに、このタイミングでの表明には与野党から驚きの声も上がっています。

【コロナ感染収束せず】
菅総理の発言のポイントは、新型コロナ対策の徹底と自らの再選をともに果たすことは、現状では困難だと判断したという点でしょう。

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まず新型コロナの感染状況の厳しさです。9月12日には、21の都道府県に出されている緊急事態宣言などの期限を迎えますが、新規感染者数は東京で減少傾向をみせつつあるものの先行きは予断を許さない状況が続いています。全国の重症者数は過去最悪の高い水準のままなかなか改善せず、自宅で亡くなる人も相次いでいます。このため17日の総裁選告示を前にさらなる延長は避けられないとの見方が閣内からも出ていました。

【再選戦略に手詰まり感】
さらに菅総理を取り巻く政治状況も悪化し、再選戦略には手詰まり感が強まっていました。菅総理は党役員人事で二階幹事長をはじめ党四役の刷新を検討し、これには人心の一新を印象付け、局面を変えたいという狙いがうかがえました。しかし党内からは政権が低迷する責任を二階氏らに押し付け、自らの延命を図ろうとしているのではないかという批判や、人事は総裁選で勝利してから行うべきだという強い疑問の声も出されていました。また月内に衆議院の解散に踏み切り、総裁選の先送りを検討しているという憶測に党内から激しい反発を受けて「(新型コロナの)今のような厳しい状況では解散できる状況ではない」と打消しを迫られたことで、解散権が事実上封印された形となっていました。内閣支持率が最低を更新し、国政・地方選挙ともに敗北や苦戦が続くなか、選挙基盤が盤石とはいえない中堅若手議員などから「菅総理のもとでは衆議院選挙を戦えない」という不安が急速に高まっていました。

【総裁選振り出しに】
菅総理の立候補断念で、総裁選挙はいわば振出しに戻る形となりました。

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これまでに岸田前政務調査会長が立候補を表明し政策の準備なども進めてきていて、高市前総務大臣は必要な推薦人の確保に自信を示しています。さらに菅総理の不出馬表明後、河野規制改革担当大臣は立候補を検討していることを伝え、野田聖子幹事長代行は周辺に意欲を示しました。また石破元幹事長、下村政務調査会長も「同志や仲間と相談したい」としています。去年に続いて複数の候補者による選挙戦となる公算が大きく、今後駆け引きが活発になるとみられます。

【派閥の動向】

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去年の総裁選挙では党内7つの派閥のうち5つが菅総理の支持に回りましたが、これまで大半の派閥は態度決定に至らず、菅総理が立候補すれば事実上の自主投票となる可能性も指摘されてきました。しかし菅総理が断念したことで、1年前菅氏を支持した派閥、とりわけ安倍前総理がかつて所属し最大派閥の細田派、第2派閥の麻生派、そして菅総理の最大の後ろ盾となってきた二階幹事長率いる二階派が今回どのように判断するのかが、選挙の行方を大きく左右する可能性があります。一方で若手議員らには自主投票を求める派閥横断的な動きがあるほか、前回見送られた党員・党友の投票の動向も選挙戦に影響を与えそうです。

【権力構図継続か 新たな潮流か】
また選挙戦では7年8か月続いた安倍政権、そのあとを引き継いだ菅政権のもとで続いた菅総理をはじめ安倍前総理、麻生副総理兼財務大臣、二階幹事長らを中心とする自民党内のいまの権力の構図が継続するのか、それとも新たな流れが生まれるのかが、候補者の掲げる政策とあわせて、大きな焦点となりそうです。

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【衆院選日程ずれ込みも】
衆議院の解散総選挙の日程は一層不透明になってきました。

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これまで政権内で検討されていた有力な案のひとつが、解散をせずに行う「任期満了選挙」です。具体的には閣議で10月5日公示、17日投開票の日程を決めるシナリオでした。しかし菅総理が退任することで、衆議院選挙のタイミングは臨時国会で総理大臣指名選挙と組閣を行ったのち新しい総理総裁が判断することになります。このため選挙の実施が遅れ、10月21日の衆議院議員の任期満了後にずれ込む可能性が出てきました。今回最も遅いケースで11月28日の投開票も法律上可能です。ただ衆議院選挙が任期満了後に実施された例は過去になく、任期内に新たな議員を選ぶという「憲政の常道」に反するとの懸念も根強くあります。

【選挙戦略練り直しも】
また菅総理の退任で各党の戦略にも影響を与えそうです。

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立憲民主党の枝野代表は「新型コロナの感染爆発と医療崩壊の状況で政治は今、一刻を争う対応が求められている」と指摘したうえで「菅総理も無責任だし、こうした状況を作り出した自民党にも、もはや政権を運営する資格はない」と批判し、攻勢を強めています。ただ新たな総理・総裁が誰になり、どう対峙するのか。自民党の総裁選挙に埋没することへの懸念も出ていて、野党各党は今後衆議院選挙に向け戦略の練り直しを迫られる場面も出てくるかもしれません。

【政治が忘れてはならないものとは】
1年前国民のために働き、スピード感をもって実行に移すことを前面に打ち出した菅総理は、新型コロナのワクチン接種を加速化させ、行政のデジタル化や脱炭素社会の実現に向けて一歩前に踏み出したことに評価する声も出ていました。その一方で政治手法やスタイルをめぐっては政策決定や判断の過程が不透明で、国民に説明、説得し、納得してもらおうという姿勢にかけるという評価が常について回ってきたのも事実です。コロナ禍の下、実行した対策の成果は感染者数などで直ちに数値化され支持率にも連動するなど、誰が総理大臣であっても難しい対応が迫られるだけに、国民の理解と協力が欠かせません。そうした中で自民党総裁選挙、衆議院選挙と、政治の行方を決める重要な選挙が続きます。各党・各議員が選挙活動に追われ、必要な対策が疎かにならないか。コロナ後も見据えた将来に展望ある議論は行われるのか。国民が注視していることを、政治全体は決して忘れてはならないと考えます。

(曽我 英弘 解説委員)


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