大きな災害が起きたとき、多くの人が「身内や知り合いが巻き込まれたりしていないか」情報を求めると思います。しかし最近の災害では死者や行方不明者の名前が公表されないケースが増えています。個人情報保護の流れを受けたものですが、匿名になることで捜索の効率が下がったり、災害の教訓が伝わりにくくなるという懸念も強まっています。
そこで防災の日の今夜は
▼氏名非公表の広がりを見たうえで
▼公表の公益性と個人情報保護のバランスはどうあるべきか
▼遺族に寄り添い教訓を伝えるために何が必要かを考えます。
【増える氏名非公表】
以前は災害時、自治体などは死者・不明者の名前をすぐに公表していましたが、6年前に個人情報保護法が改正されて要件が強化されてから大きく変わりました。その年の関東東北豪雨で茨城県などは行方不明者の名前を公表せず、生存している人を捜索し続けるという事態が起きました。西日本豪雨では被災3県の対応がわかれ、東日本台風では多くの県が公表せずに100人近い死者のうち公表されたのは3割ほどにとどまりました。
非公表の流れが強まる中、公表の必要性をあらためて認識させたのが今年7月の土石流災害です。熱海市は当初、安否不明者を20人ほどとしていましたが、その後147人に増え、確認は難航しました。それでも静岡県は名前の公表をためらい5日夜、いったんは見送ると発表しましたが、1時間後に64人の名前の公表に踏み切りました。名前が報道されると情報提供が相次ぎ、翌日の午前には不明者はいっきに27人まで減り、捜索対象を絞り込むことにつながりました。生存率が大きく下がるとされる72時間、ぎりぎりの判断でした。
【公表の公益性と個人情報保護】
なぜ判断が分かれるのでしょうか。
名前を公表するかどうか定めた法律はなく自治体は個人情報保護条例に基づいて判断しています。条例では▼個人情報の外部への提供を禁止する一方、▼「生命や財産保護のため緊急の必要がある場合などは提供できる」とするところが多く、解釈に幅があるのです。
このため全国知事会は公表のありかたを議論し、今年6月ガイドラインをまとめました。
この中でまず公表の効果とマイナス面を整理しました。
効果は
▼救助活動を効率的にできる
▼国民の「知る権利」に応え、災害の教訓をリアルに後世に残すことにつながる
▼不確実な情報の拡散を軽減し混乱を防ぐ
一方、マイナス面としては
▼配偶者からの暴力、ドメスティックバイオレンスなどを防ぐために伏せている住所を知られる恐れがある
▼周囲から好奇な目で見られたり、触れられたくない事実が明るみに出てしまうケースなどを挙げています。
そのうえで▼すみやかに公表するケースや▼個人情報保護を重視して判断するケースなど3つの参考例を示して基準を定めるよう都道府県に促しました。
公表の公益性と個人情報保護のバランスが求められるのですが、とても難しいのが「遺族の心情への配慮」です。
去年の2月、神奈川県逗子市で、雨は降っていないのに道路脇の斜面が突然、崩壊し歩道を歩いていた高校3年生の女子生徒が巻き込まれて亡くなりました。
この事故は▼斜面はマンションの敷地で住民が管理責任を負っていたことや▼土砂災害警戒区域に指定されていて前日に亀裂が見つかっていたのに通行規制につながらなかったことなど大きな教訓があるのですが、私は教訓の大きさに比して報道が少ないと感じていました。
遺族の希望で被害者は匿名で発表されていて被害者の情報が少ないことが報道の少なさにつながっているのではないかと考え、ご両親に直接話を聞きました。
亡くなった娘さんは推薦入学で大学進学が決まり教師を目指していました。妹さんをディズニーランドに連れていく約束をしていたこと、東日本大震災の被災地を訪れボランティア活動に取り組むなど思いやりの深い人柄だったことを聞くことができました。
匿名を要望した理由についてお母さんがまずあげたのは「死を受け入れることができない」ことでした。娘さんが「今も帰ってくるのではないか」という思いを抱き続けていて「テレビや新聞で名前や写真が報じられると『死』を受け入れなければならなくなる。それがあまりにもつらい」と話しました。
また名前がSNSなどで本意でない扱われ方をしないか、メディアの取材が殺到するのではないかということも懸念しました。
一方、お父さんは娘さんがなぜ将来を奪われたのか、事故を防げなかった原因と責任を明らかにして、こうした被害が再び起きないよう社会に訴えたいと強く望んでいます。そのために自身や娘さんの名前を公表して訴えるべきか、考え続けていますが、「今は家族の気持ちを最優先して匿名で取り組みたい」と話しました。
【遺族に寄り添い教訓を伝えるために】
遺族や行方不明者の家族に寄り添って災害の教訓を伝えるために何が必要なのでしょうか。
東日本大震災のとき岩手県はすべての死者の名前を公表しました。地元の新聞、岩手日報は犠牲者を悼み教訓を後世に残すために全員の名前と写真を新聞に掲載することを目指しました。
県の情報をもとに避難先などにいる遺族を訪ね歩き、了解を得られた遺族からていねいに話を聞いて写真を借りました。それを10行ほどのプロフィールにまとめ、いまも掲載を続けています。
岩手県ではおよそ5600人が犠牲になりましたが、これまでに3488人の顔写真と人となりを伝えました。
報道を始めてから「世話になった人なのでぜひ連絡先を知りたい」など大きな反響が寄せられました。消防団員の夫を亡くした女性は幼い子どもを抱いて「この子が大きくなったらこの記事を見せてお父さんのことを教えようと思います」と話しました。
岩手日報は膨大な取材記録から犠牲者がどう行動して被災したのかデータベース化して公開し、津波防災に役立てもらうことにしています。
個人情報保護法は今年5月にも改正され自治体の運用を国が監督することなり、国は不明者公表の指針を示すことにしています。
全国知事会も▼誰が氏名の公表を行うのか、▼その権限や▼関係者への個人情報提供の協力義務を法律に明記するよう国に求めています。
何が求められるのでしょうか。
▼自治体の条例は個人情報の非公表を原則にしていますが、災害のときは公表を原則にすべきです。そのうえで家族や遺族の意向やドメスティックバイオレンス対策などで住民基本台帳の閲覧禁止がされていないことに十分に配慮をする必要があります。
▼また自治体は遺族などの意向をすみやかに確認できるよう手続きを十分に検討しておく必要があります。
▼報道をする側は行政は氏名を公表し、実名・匿名などの判断は報道機関の責任で行うべきという立場です。そのためには取材が集中するいわゆるメディアスクラムの防止など災害取材・報道に対する信頼を高めなければなりません。
災害時の氏名の公表は捜索や追悼のため、さらに遺族・行方不明者家族の悲しみや怒りを少しでも共有し防災の取り組みにつなげる大きな意味があります。遺族・家族の思いに寄り添いながら名前とその公表の重みをあらためて考える必要があります。
(松本 浩司 解説委員)
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