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香港『一国二制度』〝法治〟で進む中国化

石井 一利  解説委員

香港では、去年6月、反政府的な活動を取り締まる「香港国家安全維持法」が施行され、1年あまりが経ちました。
習近平指導部が掲げる「法治」とは、中国共産党に都合の良いよう法律を制定し、統治の道具として使う中国独自のものだ、などとも指摘されています。
香港社会は、まさにこの中国式「法治」で、激変しているとも言え、その香港の変化と、今後の見通しなどについて考えます。

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【① 香港国家安全維持法】

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まず、この香港国家安全維持法についてみていきます。
犯罪行為としているのは、4つ。
▼国の分裂、▼政権の転覆、▼テロ活動、さらに▼外国勢力と結託し、国家の安全に危害を加える行為です。
扇動やほう助などといった罪も規定し、反政府的な動きを幅広く取り締まるとしています。

また、香港の外にいる人への適用も規定。
日本人などは、香港に渡航しなければ、当局にすぐに拘束されることはないとみられますが、海外居住者も無関係ではありません。

【② 裁判所 香港国家安全維持法 初判断】
この法律、多くの人たちが抗議活動などで掲げたスローガンも、厳しく処罰されることがわかってきました。
注目されたのは、香港の裁判所が、先月下旬、この法律について、初めて示した判断です。

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この裁判。
24歳の被告が、法律施行直後の去年7月、香港中心部の抗議活動に参加した際、バイクに乗って、「香港を取り戻せ」などという意味のスローガンが書かれた旗を掲げ、国の分裂を扇動したとして、起訴されました。
被告は、バイクで警察官の列に突っ込んでけがをさせたとして、テロ活動の罪でも起訴されましたが、裁判は、香港の行政長官が指名した裁判官によって、
陪審団も入らない異例の形で行われました。
その結果、裁判所は、スローガンは、「香港を中国から切り離すという国家の分裂を扇動するものだ」として有罪とし、禁錮6年半にあたるとの判断を示しました。
また、テロ活動も有罪とし、あわせて禁錮9年の量刑が、言い渡されました。

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裁判所は、特にスローガンが書かれた旗を掲げたことについて「深刻だ」と指摘。
今後も同じような行為には、厳しく対処する姿勢を示しました。

【③ 言論統制 強化】
メディアなどの「言論」に対しても、当局は、「香港国家安全維持法」などを適用し、統制を強めています。
象徴的だったのは、中国に批判的な論調で知られた「リンゴ日報」に対する当局の徹底的な締め付けです。

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創業者、黎智英氏(れい・ちえい)や、編集幹部らが相次いで逮捕、起訴されました。
「リンゴ日報」は、会社の資金も、警察に凍結され、6月下旬には、新聞の発行停止に追い込まれました。
また、黎氏の著書は、図書館での閲覧も禁じられ、地元メディアは、先月、著書を図書館の棚に置いた職員が、停職処分になったと伝えています。

取り締まりの対象は、特定の人物のものだけではありません。
香港の警察は、2年前の大規模デモなどを題材にした絵本が、「国家に対する憎悪をあおる」として、絵本をつくった労働組合のメンバーら5人を逮捕しました。
こうしたなか、先月、開かれた大規模な本の見本市では、多くの出版社が取り締まりをおそれ、政治評論を扱った本の出品を見合わせる事態にもなりました。

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香港記者協会は、先月、「言論の自由」について、「自由な空間は急速に委縮している」などとした報告書を発表し、この1年で、メディアを取り巻く環境が
急速に悪化していると訴えています。

【④ 香港 政治制度も変更】

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香港国家安全維持法の施行を受ける形で、選挙など香港の政治制度も変わりました。
香港では、今後、トップの行政長官や、議会にあたる立法会など、重要な選挙が予定されています。
これを前に、ことしになって制度が変わり、立候補する人は、事前の審査で、政府に忠誠を尽くす「愛国者」でないと判断されると、立候補できなくなりました。

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また、おととしの区議会議員選挙では、民主派が、全体の8割以上の390近い議席を占め圧勝しましたが、
この議員たちも、宣誓が必要となりました。
香港メディアは、宣誓後、議員の資格を取り消された場合、議員報酬など日本円で1000万円以上の返還を求められると報じました。
その結果、民主派議員のうち、200人を超える人が議会を去る見通しだと、現地メディアは、伝えています。

【⑤ 香港に中国式「法治」】

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ここからは、この一年で、香港の状況が、大きく変わったその背景について考えます。
私は、習近平指導部の中国式「法治」という考え方が、もとにあると思います。
香港では、「一国二制度」が採用され、中国本土とは違った法律のもと、高度な自治が進められてきました。

その「一国二制度」。
優先されるのは「一国」なのか、「二制度」なのか。
中国共産党や中国、香港の政府といった当局側と、香港の市民、とくに民主化を求める人たちの間で、いわば綱引きのような動きが、長く続いてきました。
当局側は、「一国」が優先されるという立場。
一方、香港の人たちの側は、「二制度」が、香港の発展には重要だとして、「自由」などといったことを求め、デモなどを行ってきました。
おととしには、容疑者の身柄を中国本土にも引き渡せるようにする条例の改正案に反対する大規模なデモをきっかけに100万人を超える抗議活動が相次ぎます。
さらに区議会議員の選挙では民主派が圧勝。

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これに強い危機感を感じた習近平指導部は、香港にも中国式「法治」を徹底。
法律をいわば道具のように使い、当局側と綱引きのようなことをすれば、犯罪になるとして、市民側の動きの封じ込めを図った形です。
その結果、「一国二制度」の形がい化と、香港の「中国化」が一気に進みました。

【⑥ 香港証券取引所の時価総額】

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中国化は、香港の金融市場にも表れています。
香港証券取引所の時価総額は、この1年で4割近くも上昇しました。
中国企業が、米中対立のなか、アメリカ市場だけでなく、香港の市場にも新たに上場する、いわゆる「回帰上場」が増えたことが、その背景にあります。
中国企業が、8割を占め、存在感を増しています。

【⑦ 日本への影響】

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最後に、日本への影響を考えます。
香港は、日本食の人気が高く、日本の農産物や食品の輸出先として、世界最大の市場です。
新型コロナウイルスの感染拡大前、香港の人たちにとって、日本は人気の旅行先でした。
およそ1400の日本企業が進出していますが、法律に対する懸念が広がっています。

JETRO=日本(にほん)貿易振興機構などが、先月、現地の日本企業などに行ったアンケートでは、6割近くが「大いに懸念している」または、「懸念している」と回答しています。
その理由は「情報制限」や「司法の独立が失われる」といったことで、インターネットなどへの規制や、ビジネス上のルールに影響が出ることを、おそれていることが伺えます。

【まとめ】
香港では、これまで多くの人が「存在する」と信じていた「三権分立」も、政府が公に否定する状況になっている上、今後、さらなる法律の制定で、当局の統制が、いっそう強まることも、予想されます。
私たちとしては、日本を身近に感じてくれている香港の人たちの思いに寄り添うことも大切だと思います。
また日本として、中国式「法治」によって、激変する香港が、今後も国際的に開かれた都市として存在し続けるのか、注意深くみていく必要があります。

(石井 一利 解説委員)


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