神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が殺害された「相模原殺傷事件」から7月26日で5年。事件のあった場所に建てられた新しい施設には、これまで名前が明らかにされていなかった6人を含む、犠牲者7人の名前が刻まれた「鎮魂のモニュメント」が設置され、今月20日、追悼式が行われました。
8月1日にはその再建された施設に44人が入所し、新たな生活が始まります。この事件が残した福祉の課題、社会が問われていることを考えます。
【相模原殺傷事件】
「意思疎通ができない人間は生きる価値がない」。やまゆり園の職員だった植松聖(さとし)死刑囚は障害者をこう決めつけ19人を殺害、26人に重軽傷を負わせました。しかし、どんなに障害が重くても意思はあります。「意思疎通ができない」という認識は大いなる誤解と言わざるを得ません。
植松死刑囚は2020年3月に死刑が確定。障害者を差別する発言や凶行は決して許されません。そして、裁判を通して浮かび上がってきたことがあります。それが施設での障害者支援の課題です。
【裁判で浮かび上がった施設の課題】
裁判所は、植松死刑囚の動機に、やまゆり園の職員が「命令口調で話す」「流動食を流し込んでいた」「暴力が振るわれているということも耳にした」などといった施設での経験が基礎にあったと認定しています。
今年3月にまとめられた有識者による検証委員会の報告でも、「車いすに縛り付ける」「居室に閉じ込める」といった安易な身体拘束=虐待が漫然と行われていたことも分かっています。
こうした障害者の人権を無視した行為は許されませんが、厚生労働省のまとめによると、全国の障害者施設では虐待が相次いでおり、2019年度は734人。そのうちおよそ3割が入所施設で起きています。
【意思疎通が支援を変える】
どうすれば障害者の人権は守れるのか。期待されているのが障害者との意思疎通を基盤とした「意思決定支援」です。これは障害者の意思表示を支援者ができる限り読み取り、その意思を尊重して支援を行うというものです。重要なのは「当事者の目線に立つ」ということ。「支援する・される」という関係ではなく、対等な立場で考えるということです。
厚生労働省は「意思決定支援ガイドライン」を2017年3月に通知。国のガイドラインをベースに神奈川県では2017年末からこの支援を始めました。特徴は障害者との意思疎通をとるための作業の確認をチームで行うということ。現場だけに責任を押し付けないという点です。メンバーは障害者を中心に家族や友人、直接支援する担当者、支援計画を作る管理者や外部のアドバイザーなど。
日常の様子や支援を受ける場面での表情や行動はもちろん、どんな環境で育ち、どんな価値観を持っているのかなど、チームで様々な情報を共有し、現場で障害者の意思を引き出します。
たとえば「好き」を笑顔で表現する人の場合。コーヒー、紅茶、お茶を提示したときに、コーヒーでは笑顔を見せて、ほかは顔をしかめれば、コーヒーが飲みたいことが分かります。砂糖は?ミルクは?と提示していけば、より飲みたいものの選択につながります。大事なのは、どういった意思表示なのか、この場合は表情ですが、目を動かす、あるいは指をあげるなどを見極めておくことです。
また、時にはいつもと違う選択をすることがあるかもしれませんが、その時も意思を尊重。たとえ失敗しても、その経験は障害者の生活を豊かにします。実践している支援者に話を聞いたところ「はじめは大変だったが、それも積み重ね。障害者の喜びが自分たちの仕事の達成感になる」と話してくれました。
【関係性を築いて身体拘束を防止】
こうした関係性を築くことは、身体拘束の防止にもつながります。障害者は時として不安や不満を抑えきれず、自分や他人を傷つけたり、パニックを起こしたりすることがあります。
それを抑えるために、本来あってはならない身体拘束が行われるわけですが、当事者の目線に立つことができれば、拘束をするのではなく、不安や不満をどう解消するかを考え対応できるようになります。
神奈川県の意思決定支援専門アドバイザーを務める和泉短期大学の鈴木敏彦教授は「障害者に対する“あきらめ”や“固定観念”を支援者から取り除き、本人中心のより良い支援につながる」とチーム支援の重要性を指摘しています。
みんなで確認してみんなで決めた支援であれば自信が持てます。もし、支援の仕方に迷ったり失敗したりしても、その都度、相談できますし、技術の向上や悩みの解消にもつながります。倫理観の向上や理念を高めることができます。そして、いい支援ができたときには、みんなで褒めて、評価をするということも大事です。
【福祉現場の課題 人手不足と低い給与】
ただ課題はあります。それは支援者の不足です。近年、障害福祉サービスを利用する障害者が倍増しています。障害福祉関係分野の有効求人倍率は3.8。これは全職種の3倍以上になっています。
にもかかわらず、現場を担う福祉介護職の給与は低い状況です。42歳の平均年収はおよそ350万円。非常勤も多いため、実際の給与はもっと低いとされています。いままでも言われてきましたが、引き続き処遇を改善する必要があります。
【施設から地域へ 障害者の“隔離”はなくせるか】
ここからは事件が投げかけるもう一つの課題を考えたいと思います。それは障害者の“隔離”です。事件が都市部から離れた山間部の大規模施設で起きたため、多くの有識者が障害者を“隔離”してきたことに問題の根源があると指摘しています。
歴史的に多くの障害者が暮らす大規模施設は郊外や山間部に建てられてきました。そこでは人との交流は非常に限られており、障害者が見えない存在になっています。そのため、国はそうした施設ではなく、地域社会で人と交わりながら暮らせるよう生活の場を整えるようにとしてきました。
千葉県は大規模施設の廃止に動いた自治体です。暴行死亡事件があった重い知的障害者が暮らす袖ケ浦福祉センターを2022年度末に廃止することを決定。この施設で40年以上暮らしてきた女性は、去年9月から半年かけて、どこで暮らすか、日中何をするかなど、本人の意思を一つ一つ確認して住む場所を決めました。
地域移行ですが、地域の受け皿が不十分なためそう簡単ではありません。地域で暮らすには、グループホームや重度訪問介護という24時間支援を受けられる制度を使ってアパートなどで暮らすことになりますが、自由度が増す分、施設よりも手厚い対応が求められるからです。
特に重い知的障害者を支える技術がない、万が一の住民とのトラブルに対応できないなどの理由から、受け入れを拒む事業者も少なくありません。環境整備や担い手の育成に独自予算を組む自治体も出てはきていますが、ほとんどないのが現状です。
【心の中にある差別や偏見が大きな“壁”】
また、グループホームを建設しようとすると反対運動が起きたり、アパートを借りようとすると大家に拒まれたりするなど、障害者に対する誤解や偏見、差別などが“壁”となる現実もあります。
やまゆり園が創設されたのは前回の東京オリンピック・パラリンピックが開かれた1964年。障害者の社会参加が訴えられた大会から半世紀以上がたちました。
しかし、いまなお地域から離れた施設が必要とされるのは障害者の家族の複雑な思いがあるからです。家族はやむを得ない事情で施設に障害者を託しますが、その多くが差別や偏見の目に晒される経験をしています。「人に迷惑をかけず、安全に暮らせる場」として施設を最後の安住の地として選ぶ人は少なくないのです。
私たちは誰しも、心のなかに様々な差別や偏見を持っていると思います。それを認めたうえで、誰もが生きやすい社会を作っていくのは次世代に向けての責務だと私は思います。障害者がどこを住む場所に選んでも、尊厳が守られ、安心して暮らせるようになる。それまで事件は終わりません。
(竹内 哲哉 解説委員)
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