日本の材料研究の拠点、物質・材料研究機構が、1億円の研究費を用意して世界トップレベルの研究者の公募を開始。一人1億円は破格。
日本の材料研究はノーベル賞を受賞した青色発光ダイオードやリチウムイオン電池に代表されるように世界のトップレベルにあった。
それがなぜ破格の資金を用意して人材を集めなければならないのか。
そこには激しくなる世界の競争から取り残されてしまいかねないという危機感。
科学技術で世界と競っていくにはどうしたらいいか、水野倫之解説委員の解説。
物質・材料研究機構を取材したこの日、まず案内された研究室で開発されたのは、LEDの色合いをより鮮やかにする特殊な蛍光物質、サイアロン。ケイ素やアルミニウムなどの化合物で、紫外線を当てると鮮やかに光る。LED電球やスマホなどの液晶のバックライトに利用され、25億円の特許収入。
またほかの研究室で開発されたのが、超耐熱合金。1,120度という世界一の耐熱性を誇り、ボーイング787のエンジンのタービンの材料として採用され燃費向上に貢献。その燃料費削減効果は1機あたり年間1億円。
このようにトップレベルの研究成果を上げてきた研究機関が、このほど始めた人材公募に驚きの声が。
年間1億円の研究費を用意するという。
日本の大学では一人当たりの年間の約束された研究費は少ないと数十万円、大型の研究でも数百から数千万円なので、1億円は破格。
機構はこれを特許収入などからねん出、実験機器の購入や共同研究者の雇用などに自由に使えるということ。給料は別で、公募にあたって年齢や国籍は問わず研究業績から選抜して、来春から研究を始めてもらうことに。
それにしてもトップレベルの成果を上げてきた研究機関がなぜ破格の資金で人材獲得を目指すのか。橋本和仁理事長は中国が迫ってきていると危機感をあらわに。
日本は歴史的に材料研究に強く、その成果はノーベル賞にも。
2014年には赤﨑勇さん天野浩さん、中村修二さんが青色LEDでノーベル物理学賞を受賞。
またリチウムイオン電池の電極を開発した吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞したのは記憶に新しいところ。
いずれも脱炭素社会実現にはなくてはならないものに。
しかしノーベル賞につながる成果が生み出されたのは20年以上前。
ここ最近は研究力の低下が顕著。
材料分野でほかの研究者による引用回数が多い優れた論文の数は20年前日本は世界2位だったが、今は9位まで低下。
また材料系の学会に所属する研究者も減少。
さらには機構自体への日本の若手の応募も減り、人材不足が懸念されている。
日本にかわって材料研究で存在感を示してきているのが中国。
注目論文のトップは今や中国。
科学技術が経済発展に直結すると考え、国家を上げて研究力強化に取り組む。
その源泉は潤沢な資金と人材。
研究開発費は50兆円余りと10年で3倍以上に増え、1位のアメリカに迫る勢い。
人材確保にも抜かりはない。
海外のトップレベルの現役や定年退職した研究者を好待遇で呼び寄せることに熱心。
実際こうしたプログラムに採用された日本の研究者によると、5年で1億円以上の研究費が提供され、10人の研究員を率いて研究ができると言う。
加えて高額な実験機器を大学側が購入してくれるなど研究環境は満足できると。
こうした中国の人材戦略については、各国の最新技術の流出の懸念があるとしてアメリカ中心に警戒感も高まっているが、中国の研究力の源泉になっていることは確か。
こうした状況に危機感を抱き、機構は自前で1億円を用意し、トップレベルの研究者を日本につなぎとめる、あるいは呼び寄せて研究力の再構築を目指そうというわけ。
ただ機構はこうした取り組みができるだけ恵まれている方。
研究力の低下は何も材料分野に限った話ではなく、全研究分野の論文数を見ると、10年前と比較してアメリカや中国ドイツイギリスといった主要国が増やす中、日本は唯一横ばいと一人負けの状態。
そしてそもそも研究者を目指す若手も減少。
大学の博士課程に進む学生は20年前までは増え続けていたが、今は半分近くまで減った。
研究環境が悪化していることへの不安。さらには終身雇用の研究職に就くことも難しい現状があるから。
東海地方のある国立大学の研究施設では、顕微鏡や遺伝子解析装置などが使えないまま何年も放置されているという。修理費が工面できないから。
また研究者については「2分の1ルール」があると言う。
教授が2人定年で退官してようやく、新規で教員が1人採用されるという。研究室は減る一方。
なぜそんな事態になっているのか。
背景にあるのは国がこの20年近く進めてきた研究の選択と集中の政策。
5年程度の短期間で成果が出せそうな分野に重点的に投資。その一方で大学の自由な研究や人件費に使える運営費交付金を減らしてきた。
このため選択から漏れた大学や研究現場に回す予算が減って機材が更新できず、人件費が削られ研究室が減っているわけ。
選択した研究で成果が出せればいいわけですが、全体としてはうまくいかず研究力低下を招いた。
日本の基礎研究を担う大学がこうした状況では、とても世界と競うことはできない。その点、政府もようやく重い腰を上げつつある。
財政投融資などから10兆円規模の大学基金を設ける構想を打ち出し、その運用益で大学や研究機関に資金支援を強化していこうというもので、早ければ再来年から資金を配りたいと。
研究のための資金が増える点は評価できるが、その支援の多くは東大や京大など論文数が多い、上位に位置する大学が中心となる方針が示されている。これではこれまでとあまり変わらない可能性。上位層の大学だけ支援を強化していても日本全体の研究力の底上げにはつながらない。
地方にも特定の分野の研究に強みを持つ大学は多い。
例えば青森県の弘前大学では地域住民に大規模健康診断を長期間行い、蓄積したビッグデータを生かして生活習慣病の予防に役立てる研究が続けられ、短命県返上に貢献しているという。
こうした個性を持つ地方大学もしっかり支援しその研究力を伸ばすことで、日本全体の研究の多様性が保たれ研究のすそ野が広がる。
研究に多様性があるほどインパクトのある研究が出てくる確率は高まる。
政府は基金を柔軟に運用するなど、幅広い研究分野にきちんと資金が回る仕組みを早急に構築して、日本の科学技術力の維持向上を進めていってもらいたい。
(水野 倫之 説委員)
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