東京オリンピックに出場する難民選手団のメンバーが8日、IOC・国際オリンピック委員会から発表されました。難民選手団は、国を離れ、母国の代表として出場できない選手たちのために結成されたもので、迫害や紛争によって住む家を追われた世界の8000万人の代表です。難民選手団として初めての参加となった前回リオデジャネイロ大会では、困難を乗り越えて出場した選手たちに熱い声援が送られました。しかし、日本ではまだ難民への関心が低いのが実情です。オリンピック・パラリンピックにおける難民選手団の意味と、大会を機に難民への理解を深めるために何が必要かを考えます。
日本時間の8日夜発表された東京オリンピックの難民選手団は、水泳や陸上、柔道、空手など12競技のあわせて29人。シリアやイラン、南スーダン、アフガニスタンなど紛争や迫害が続く11か国の出身者で、現在はドイツやイギリス、ケニアなどで生活している難民たちです。メンバーの選考は、世界各地でトレーニングを積んできた難民アスリートの中から競技力のほか地域や競技種目、男女構成などが考慮されました。難民選手団はオリンピック旗を掲げ、開会式では近代オリンピック発祥の地ギリシャに続いて入場することになっています。
リオデジャネイロ大会で難民選手団の最年少メンバーとして注目されたシリア出身のユスラ・マルディニ選手は2大会連続出場を果たしました。マルディニ選手は、高校生のときに戦火が激しくなった祖国を逃れました。途中、エーゲ海でボートのエンジンが故障し、海に飛び込んでギリシャの島にたどり着くまで3時間以上泳ぎながらボートを押し続け、20人の命を救いました。新たな生活を始めたドイツのベルリンでオリンピックを目指して練習を続けてきました。
IOCのバッハ会長は、難民危機だった前回大会のときよりさらに状況が悪化し再び難民選手団を結成する必要があったとしたうえで、「難民選手団が東京に集い、世界に連帯と回復力、希望という力強いメッセージを送るだろう」と述べました。
一方、フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官は、「紛争や迫害、強制移住といった不安の中を生き抜くことは並大抵の努力では成し遂げられなかったでしょう。難民は世界の人たちを励ます存在であり誇りです」と述べ、代表に選ばれた選手たちを祝福しました。
パラリンピックにも前回大会に続いて難民選手団が参加します。IPC・国際パラリンピック委員会は、選手団の参加が「世界の難民や避難民に希望を与える」として、最大6人を派遣する予定です。今月下旬にはメンバーが発表される予定ですが、選手団長はすでに決まっています。元パラリンピック選手のイレアナ・ロドリゲスさんです。キューバで生まれ、幼いころに病気で両足の自由を失い、その後アメリカに亡命、2012年のロンドン・パラリンピックに競泳女子のアメリカ代表として出場しました。ロドリゲスさんは、「東京大会に出場する選手は世界中の難民の希望の象徴となるでしょう。難民が直面している厳しい状況に関心が高まってほしい」と述べています。
難民は、政治的な意見や、人種、宗教、性別の違いなどから迫害を受けたり、受ける恐れがあったりして住む家を追われ国外に逃れた人々で、国内にとどまっている避難民とあわせると世界全体でおよそ8000万人に上っています。難民というとネガティブな印象を持つ人が多いかもしれませんが、私たちと変わらない普通の市民であり才能豊かな人も大勢います。
スポーツの世界でも、サッカーの元日本代表監督をつとめたハリルホジッチ氏や、モントリオールオリンピックの体操で10点満点を出して金メダルを獲得したルーマニアのコマネチ選手、日本でも巨人軍のエースとして戦前から戦後にかけて活躍したスタルヒン投手など、厳しい環境を乗り越えて活躍しました。
リオデジャネイロ大会で印象的だったのが、紛争下のコンゴ民主共和国からブラジルに逃れた柔道のミセンガ選手の言葉です。記者会見の席で「テレビを見ていてくれれば、私が元気で生きていることを伝えたい。次は東京を目指します」と、生き別れた兄にメッセージを送りました。柔道と出会い、新たな人生を見出したミセンガ選手も東京オリンピックへの出場を決めました。難民選手団の他のメンバーにも、家族を襲撃で失ったり逃げる途中で離れ離れになったりした選手がいます。難民たちが身の危険にさらされながら生き抜いてきたたくましい生命力と、過酷な環境の中で希望を失わずに練習を続けてきた精神力は多くの人を勇気づけます。オリンピック、パラリンピックはメダルのためだけにあるのではなく、目標に向かって努力し全力を尽くすことが何よりも重要だと選手たちを見て感じました。
UNHCRとIOC、IPCは、東京大会に出場する選手たちだけでなく、大会に出られなかった世界の難民アスリートたちも含めて、各国政府とスポーツ界、市民社会と連携してサポートを続けていくことにしています。スポーツは人々の心の傷を癒し、夢や希望を与えるとともに、結束力や地域のコミュニティーとの絆を深める力があるからです。
日本の私たちにとっても東京オリンピック・パラリンピックは、難民への理解を深めるための重要な場です。
日本は難民の受け入れが先進国の中で極端に少なく、難民として認定された人は年に40人あまりでドイツやアメリカの1000分の1です。日本では難民として認定されるには、たとえば反政府勢力に所属し、迫害のおそれがあるというだけでは不十分で、個人として具体的な脅威を文書で証明しなくてはなりません。しかし、逃げた先の国で必要な書類を用意するのは至難の業です。在留資格がなく国外への退去を求められている外国人の中には、そうした厳しい基準により難民としての認定を受けられなかった人が大勢います。
難民の認定制度をめぐっては、今国会で、3回目以降の申請者の強制送還を可能にする法案が提出されましたが、迫害のおそれがある国への送還を禁じた難民条約に違反するものだとして支援団体や国連から強い懸念が持ち上がり、与野党の激しい攻防の末、採決が見送られました。難民の保護と収容をめぐる意見の対立は今も続いています。
5年前、当時の入国管理局長は、全国の入管に通知を出し、不法滞在者や退去を拒む人を「日本の社会に不安を与える外国人だ」として東京オリンピックまでに大幅に削減するよう求めました。以来、入管施設への収容者が増え、人権侵害だと弁護士が指摘するケースも相次ぎました。そうした中でのオリンピック・パラリンピックは、日本の難民への理解や人権意識が問われる場でもあります。
新型コロナの感染がいぜんおさまらずオリンピック、パラリンピックの開催に
慎重な声も上がっていますが、開催の是非をめぐる議論とは別に、難民たちの境遇を理解し支援することは重要です。これを機に閉鎖的と言われてきた日本を変え、多様性のある社会に向けた一歩となるように望みます。それが国際社会での日本の信頼につながると思います。
(二村 伸 解説委員)
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