NHK 解説委員室

解説アーカイブス これまでの解説記事

「東日本大震災10年 復興のこれから」(時論公論)

今村 啓一  解説委員長
松本 浩司  解説委員
二宮 徹 解説委員

今村)東日本大震災・原発事故から10年。2万2000人を上回る犠牲者を出した被災地は、追悼と復興に向けた祈りに包まれる一日になりました。
これからも続く復興をどう進めていくべきか、被災地に勤務した松本委員、二宮委員とともに考えます。

j210311_01.jpg

【“思い描いた復興”広がるギャップ】

Q)この10年、国は30兆円以上を投じて防潮堤や災害公営住宅をはじめインフラ整備を進め、被災地ではハード面の復興はかなり進みました。ただNHKのアンケートでも今の復興の状況は思い描いていたより悪いと答える人が半数に上っています。復興を実感できない人がなお多くいる理由は何でしょうか。

二宮)10年がたち、復興のさまざまなギャップが広がってきたのだと思います。
先月、岩手・宮城の被災地を取材しましたが、例えば、道路や橋の整備はほぼ終わったものの、街ににぎわいが戻っていない。また、新居で新しい生活を始めたと言っても、支援や交流が減った災害公営住宅では高齢者の孤立が課題になっています。被災地全体を見ても、人口が増えた地域と、人口の流出や高齢化が加速した地域に分かれるなど、分野や地域、個人による差が目立ってきています。

j210311_004.jpg

j210311_005.jpg

二宮)確かに道路や住宅地の整備は大きく進みました。特に、被災地を南北に走る復興道路などによって、移動や輸送の利便性が格段に良くなりましたが、高台やかさ上げ地には空き地が目立ちます。かさ上げ地で利用の予定が決まっていない土地はおよそ3割。7割にのぼる地区もあります。

Q・復興の進め方はどうだったのか。なぜ空き地ができてしまったのでしょうか?

二宮)住まいの復興に時間がかかったことが要因の一つです。
津波に襲われたエリアには人は住まないことを基本としたうえで、各地でかさ上げや集団移転を進めましたが、これに長い年月がかかりました。

j210311_02.jpg

二宮)私は震災6年・7年の頃に岩手で勤務しましたが、かさ上げや集団移転には、地権者や相続人の確認、住民の合意などが必要で、その手続きに膨大な手間がかかっていました。
仮設住宅暮らしが長くなると、特に若い世代を中心に、津波が来なかった地域に移り住む人が増えました。当初は復興したら戻る気持ちだった人も、今は、仕事や子どもの学校の関係で戻らないという人も多くいます。
全国的には東京への一極集中が課題ですが、被災地でも仙台や都市部に集まる傾向が強く、にぎわいや産業の再生に加え、復興の実感にも差が出てきています。
これまでの復興の進め方を検証し、これからの魅力あるまちづくりなどに生かす必要があります。

【福島の復興 どう進める】

Q)被災地の中でも特に復興が遅れているのが、原発事故が起きた福島です。松本さん、福島の復興を今後どう進めていったらよいのでしょうか。

福島の復興はまさにこれから。帰還困難区域の解消、住民の帰還などさまざまな困難を乗り越える必要があります。

j210311_03.jpg

福島では立ち入りが厳しく制限される帰還困難区域が広く残され、いまも3万6000人近くが県内外で避難を続けています。
避難指示が解除されたところも住んでいる人は事故前の2割。再開した事業者は4割にとどまっていて、働く場の確保が引き続き大きな課題になっています。

j210311_001.jpg

j210311_002.jpg

原発に近い浪江町では事故前25社あった水産加工会社が1社だけになっています。去年、9年ぶりに事業を再開した柴孝一さんです。会社をたたむことにして県外に移り住んでいましたが、まわりから強い要請を受け再開を決意しました。風評被害を心配していましたが「常磐もの」と呼ばれる魚の高い評価は変わっておらず、手応えを感じています。柴さんは「よい魚を届けることで信頼を得て地域の再建につなげていきたい」と話しています。

Q・国は働く場の確保にどう取り組んでいるのでしょうか?

j210311_04.jpg

国は被災地域に「ロボット」、「再エネ」など先端産業を集積させようという大きなプロジェクトを進めています。地元の事業者の参入や雇用の拡大に確実につなげることができるかが問われています。また専門家が事業者の再開や起業を支援するコンサルタント事業も成果をあげています。地道な取り組みを粘り強く継続することが求められます。

そして国は新たに原発事故の被災地域への移住と起業を促がす策も始めます。最大600万円を支給し、移住者を呼び込むことで復興を進めようという狙いです。避難先に定着する人が増えて帰還する人の人数は伸び悩んでいるのは現実で必要な対策です。
ただ「住民が戻らないなら新たに呼び込めばいい」というものであってはならず、避難者への支援を後退させてはいけません。

Q・避難している方々への支援でこれからどう取り組んで行ったらよいのでしょうか?

まず避難者の全体像の把握です。
国は全国の避難者情報を集約するシステムを持っていますが、転居などその後の状況変化を把握しきれていません。避難者を支援している全国各地のNPOなどは国と県、民間が協力して避難者の実態調査を行うよう求めています。

そのうえで支援が届いているのかの検証です。

j210311_06.jpg

関西学院大学災害復興制度研究所は全国の避難者にアンケート調査を行いました。その結果、無収入から300万円以下という世帯が事故前より大幅に増えていました。また「困ったときに助け合う人がいる」と答えた人が大きく減少し、母子避難者などで生活の困窮や孤立化が進んだことをうかがわせています。研究所は、経済的に困窮する避難者を救済する制度を提言しています。

j210311_08.jpg

原発事故の賠償をめぐる各地の民事裁判では、自主避難を含む避難者に、国や東電の基準を超える賠償を支払うよう命じる判決が相次いでいます。避難者の実情を調べ支援のもれがないか検証する必要があります。

またアンケートでは帰還をできない理由で「山林や草地の汚染が残っていると思えるから」という答えが最も多くなりました。国は帰還困難区域の除染と避難指示解除の見通しを早く示す必要があります。

Q・住民の帰還には息の長い支援が必要。地域の自治体はどのように将来像を描こうとしているのでしょうか?

j210311_09.jpg

あらたな住民のあり方を模索しています。飯舘村は居住者が1500人と事故前の3割ほどですが、新たに移住してきた人も150人います。村は元からの住民と移住者、それに村外に住む人も「村民」と捉え、新しい村づくりを目指しています。

j210311_10.jpg

j210311_003.jpg

飯舘村で16代続く農家の菅野義樹さんです。原発事故後、北海道で土地を借りて畜産を再開しました。ここで経験を積んで事業を軌道に乗せ、飯舘村でも畜産を再開することをめざしています。ほかにも村外で再開して村の農業委員をしている人もいます。菅野さんは「つながりを持ち続けながらここで力をつけ、村の復興に貢献したい」と話しています。

村が創設を求めてきたのは村と避難先の二重住民票です。災害復興制度研究所も避難元に住民票を残したまま避難先で市民に準ずる資格を得られる制度を提案しています。ふるさととのつながりを公的に裏付ける仕組みがあれば、避難先での不便を解消するだけでなく、心のよりどころにもなるのではないでしょうか。

福島の復興に向けて、住民の帰還や移住の促進に加えて、どうしたら避難者とふるさとがつながってともに再建を進めることができるのか、支援のあり方を考え続ける必要があります。

【地域経済の自立に向けて】

Q)福島に比べて復興が進んだ宮城県や岩手県ではこれから復興需要が徐々に減るという現実に直面していますが、被災地の経済をこれから自律的に回していくために何が必要なのでしょうか。

二宮)最も必要なのは、地域産業の再生です。例えば、主要産業の水産・水産加工業で、売り上げが震災前の水準まで回復したのは、3割程度しかありません。こうした中で、地道な努力やアイデアで立ち向かっている人たちもいます。
宮城県気仙沼市にある、従業員およそ30人の水産加工会社は、工場や多くの卸先を失いましたが、思い切って、
品質の良いサンマを使った佃煮など、付加価値を高めた家庭用パック総菜の小売り中心に切り替えました。
専務の斉藤和枝さんは、都会のデパートの催事場に活路を求めました。

j210311_11.jpg

二宮)毎週のように東京や大阪を飛び回ってリピーターを増やし、順調に回復してきた矢先、再び苦難が襲いました。
サンマやイカの不漁が続き、原料の価格が3倍に値上がり。さらに、去年は、コロナ禍でデパートがイベントを控え、売る場所がなくなってしまったのです。
そこで、今度は通販に全力を挙げ、SNSで新商品を毎週発信したところ、通販の割合は1割から8割に急上昇。今はデパートでの販売も再開できました。

j210311_12.jpg

二宮)ホームページのデザインや撮影を東京の会社に外注せず、自分たちで行なっているのは、そうした仕事を地元に作りたいという思いからです。
そして、全国での対面販売で生まれたお客さんとのつながりが、今、大きな支えになっていると言います。
斉藤さんだけでなく、被災地がこれまで築いてきた絆やネットワークは、これからも大きな力になります。
広がる空き地も、見方を変えれば、これから活用できる安全な土地です。意欲やアイデアのある人たちの移住や起業を支援するなどして、にぎわいを取り戻すチャンスにできると思います。

【10年は通過点 震災の記憶を語り継ぐために】

(今村)こちらは石巻日日新聞が発行した震災10年の特集号です。
100年以上の歴史がある地元紙ですが、震災当時、輪転機が壊れて、新聞が印刷できず、手書きの壁新聞を避難所に張り出して、炊き出しの場所や救援隊の到着など地域の正確な情報を被災者に伝え続けました。

j210311_13.jpg

j210311_14.jpg

j210311_15.jpg

j210311_16.jpg

特集号には「震災10年、私たちはここで生きていく」という決意が記されています。
「なくなった娘の名札を付けて一緒に聖火リレーを走りたい」
「夢でもいいから会いたい」
記事には今なお癒えることがない悲しみが綴られています。

j210311_18.jpg

石巻日日新聞の外処健一報道部長は、「10年は区切りでも通過点でもない。明日からも、一歩一歩進む復興の取組みを伝え続けることが使命だ」と話しています。

j210311_19.jpg

そしてもう一つ、震災の10年となる11日発行されたのが、石巻日日こども新聞です。
被災地でも小学生の多くが、震災の記憶がほとんどない世代になっています。
子供たちが、復興の足取りや教訓を自ら取材し自らの言葉で伝えることで、
震災の記憶を子供たちに、さらにその次の世代に語り継いでいこうという取り組みです。

被災地には、人口減少や高齢化、エネルギー問題を始め日本全体が抱える様々な課題があり、それを乗り越えようとする人々の取り組みには、日本再生のヒントがあるとも感じます。
震災の記憶を決して風化させることなく未来に語り継ぐ、そしてなお厳しい状況に置かれている人たちに寄り添い、息長く必要な支援を続けることが、震災から10年の今、改めて求められています。

(今村 啓一 解説委員長 / 松本 浩司 解説委員 / 二宮 徹 解説委員)

キーワード

関連記事