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「イギリス・EU交渉決裂の危機」(時論公論)

二村 伸  解説委員

EU離脱後のイギリスはどこへ向うのでしょうか。離脱の移行期間終了まで残り3週間を切った今もEUとの自由貿易協定をめぐる交渉は暗礁に乗り上げたままです。「プレー終了の時間がきたと認めざるをえないときがくるかもしれない」9日のEUとのトップ会談を前にジョンソン首相が危惧した通り両者の溝は埋まらず、このまま時間切れとなるのか、それとも土壇場で決裂だけは回避することができのるか重大な局面にあります。イギリスとEUの交渉がなぜ難航しているのか、両者の思惑と決裂した場合の影響を考えます。

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難航する交渉の打開策を見出すことができるか注目された、イギリス・ジョンソン首相とヨーロッパ委員会のフォンデアライエン委員長の会談は、9日ブリュッセルで行われましたが、双方の溝は埋まりませんでした。フォンデアライエン委員長は10日、EU各国首脳に対して「イギリスとの主張の開きが大きく、合意するより合意できない可能性の方が高い」との見方を明らかにしました。イギリスのジョンソン首相も10日、「交渉が決裂する可能性が高い」と述べています。両者は13日まで交渉官による協議を続けたうえで最終的に判断することにしていますが、自由貿易協定の発効には議会の批准手続きが必要なため来月1日の協定発効まで残された時間はあまりありません。EUは10日、交渉決裂による混乱を避けるためにイギリスとEUの間の空路や陸路の交通を一定期間現状のままとすることなど緊急の対応策を提案しました。合意が難しいことをうかがわせています。

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対立点は主に3つ、漁業権と公平な競争、それに紛争処理です。
▼まず漁業権です。これまで共通の漁業政策によりEU各国の漁船が操業していたイギリスの排他的経済水域での漁業について、イギリスはEU側の漁獲量を大幅に減らし、その割り当てを毎年交渉するよう求めています。これに対し、EUは漁獲量の大幅削減に反対して徐々に引き下げるよう求め、毎年の交渉にも反対です。双方とも漁業が経済に占める割合は小さいものの、この海域で操業してきたフランスやアイルランドの漁業関係者の反発を受けてEUはイギリスの要求に抵抗、一方のイギリスは離脱した以上自国海域での操業は自ら決めるという立場です。
▼公平な競争は、イギリスが補助金の支給や労働条件などの規制緩和により
自国産業を手厚く保護すれば、EUの企業が対等に競争できなくなるとして従来の規則に従うよう求めています。これに対しイギリスは独自の産業政策を求めています。
▼紛争の処理は、貿易に関する協定などにイギリスが違反した場合、制裁や関税引き上げなどの報復措置をとることができるようEUは求め、紛争の解決をEUの司法機関であるヨーロッパ司法裁判所に委ねるとしていますが、イギリスは反対しています。イギリスがEUの要求をかたくなに拒んでいるのは、EUのルールに縛られず主権を取り戻すことが離脱の最大の理由だからです。

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イギリスがEU離脱に舵を切ったのは、2016年6月です。国民投票でわずかな差でEU離脱派が勝利。翌17年3月、EUに正式に離脱を通知し、離脱に関する交渉を2段階で進めることになりました。第1段階では離脱の条件などについて協議が行われましたが、イギリス国内で意見がまとまらず、ようやく今年1月離脱協定が成立しました。これによってイギリスは1月末をもってEUから離脱し、今月末までの移行期間に第2段階の貿易協定に関する交渉が行われてきました。交渉は当初から難航したもののジョンソン首相は移行期間の延長を拒み、来月1日にはどんなかたちであれEUから完全に離脱することになっています。交渉がここまで難航しているのは、そもそも国民投票に踏み切った当時のキャメロン首相が、離脱することになるとは予想もしなかったため離脱後の青写真をまったく描いていなかったことが一因です。また、国が真っ二つに割れる中就任した離脱強硬派のジョンソン首相にとってはEUへの譲歩は敗北に等しく政権の存続が危うくなりかねないだけに強気の姿勢を崩すわけにはいきません。一方のEUはイギリスに続く国が出ないようにするためにも「いいとこどりはさせない」と厳しく臨んできました。そうした双方の事情が交渉を難しくしたのです。

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では、合意が得られないまま年を越した場合どうなるのでしょうか。
イギリスは多くの国と個別に自由貿易協定を結ぶことができると離脱のメリットを強調していましたが、これまでに日本との経済連携協定締結を含めて自由貿易協定を結んだのは28の国と地域にとどまっています。さらにイギリスにとって最大の貿易相手であるEUは輸出の40%以上、輸入の50%以上を占めるだけに協定を結ぶか結ばないかは大きな違いです。EUの一員であれば人もモノも金融などのサービスも自由に行き来できますが、自由貿易協定が結べないとWTOのルールに基づいて、EUとの貿易は年明けから高い関税が課せられ、自動車には10%の関税がかかります。イギリス自動車工業会は5年間で7兆円以上の損失が出る恐れがあると指摘しており、イギリスでの事業継続が難しくなると日本の自動車メーカーも懸念を強めています。このほか通関手続きによって物流が滞りサプライチェーンに支障が生じたり、イギリス・EU双方での医薬品や食品などの販売が難しくなり物価が上昇したりする可能性もあります。イギリスからEU加盟国への個人情報などのデータの移送が難しく可能性もあります。
イギリスに進出している日本企業はおよそ1000社、その多くがイギリスを拠点にEU各国に展開しています。JETRO・日本貿易振興機構が、今年9月に現地の日本企業を対象に行った調査では、半数近い企業が関税や通関手続きの発生、物流の遅れなど貿易上の懸念を強めており、交渉の決裂に備えて多くの企業が在庫の積み増しや物流ルートの変更、製品やサービス価格の引き上げなどの対応をすませたか今後行うと答えています。EUからの離脱に伴ってすでにイギリスからドイツやフランス、オランダなどに一部機能や本社を移した企業も少なくなく、今後移転の動きが加速することも考えられます。

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一方のEUは、おととしまで加盟28か国の人口は5億1千万人あまり、GDPは18兆ドルをこえ、アメリカに次ぐ世界第2の経済規模でしたが、イギリスの離脱により人口も経済規模も縮小しています。共通の理念と価値観に基づいて進められてきた統合と深化は史上例を見ない「壮大な実験」と呼ばれ、世界の地域共同体のモデルとなってきましたが、イギリスの離脱によって影響力の低下が危ぶまれています。10日の首脳会議ではコロナ禍で落ち込んだ経済を立て直すための復興基金を含む総額1兆8000億ユーロの予算案が承認されましたが、資金の配分をめぐってハンガリーとポーランドが最後まで抵抗するなどEUの亀裂を改めて浮き彫りにしました。イギリス離脱後の求心力の低下をいかに食い止めるかがEUの課題です。

新型コロナウイルスの影響が広がる中、自由貿易協定の交渉決裂は、イギリスとEUだけでなく日本をはじめ世界経済に与える影響も少なくありません。
イギリスとEUはこれまでの交渉でも何度も決裂の危機を迎え、最後に合意にこぎつけてきました。残る数日の協議で急転直下、合意が成立する可能性は決して高くありませんが、勝者なき交渉決裂を避けるためにもメンツにこだわらず歩み寄る勇気とあと一歩の努力を求めたいと思います。同時に混乱による影響を極力軽減するための措置を講じてほしいと思います。

(二村 伸 解説委員)

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