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米政権移行の混乱が招く中東の危機

出川 展恒  解説委員

■アメリカでは、先の大統領選挙で勝利宣言した民主党のバイデン前副大統領が、「イラン核合意」への復帰を公約するなど、トランプ政権の中東政策を根本的に見直す構えです。こうした中、先週の27日、イランの核開発計画を推進してきた科学者が何者かに暗殺され、イランが、敵対するイスラエルを名指しで非難し、報復を示唆するなど、中東地域の緊張が急速に高まっています。アメリカの政権移行をめぐる混乱が招いたと指摘されている中東の危機について考えます。

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■解説のポイントは、▼イランの核科学者暗殺の狙い。▼その背景にあるトランプ政権の「駆け込み外交」。そして、▼バイデン次期政権の中東政策に待ち受ける困難。この3つです。

■先週金曜日、イランの核開発計画の中心的な役割を担ってきたとされるファクリザデ博士が、首都テヘランの郊外で武装グループに襲撃され、死亡しました。犯行声明は出ていませんが、イランのロウハニ大統領は、敵対するイスラエルによる暗殺だと主張し、適当な時期を選び、報復する考えを示唆しました。また、最高指導者ハメネイ師も、暗殺の実行犯とその黒幕に対し、決定的な懲罰を与えるよう指示しました。
事件について、イスラエル政府は沈黙を保っていますが、おととし4月、イスラエルのネタニヤフ首相が、イランが極秘で進めていた核兵器開発に関する文書を入手したとして記者会見した際、ファクリザデ氏はその中心人物だと名指しして、非難したことがあります。イランでは、過去10年ほどの間に、少なくとも4人の核科学者が暗殺されており、イラン政府は、イスラエルやアメリカのしわざだと主張していました。
こうしたことから、中東問題の専門家の間では、暗殺計画には、アメリカの政権移行のタイミングを狙って、イランの核開発能力を削ぎ落す目的。あるいは、バイデン次期政権のもとで、アメリカが「イラン核合意」に復帰するのを妨害する狙いがあるのではないかという見方が広がっています。

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■そして、今回、暗殺が起きた背景には、トランプ政権による、いわゆる「駆け込み外交」があると見られています。トランプ大統領は、自らの中東政策を覆せないものにしようと考え、オバマ政権が残した「イラン核合意」にとどめを刺し、イランを封じ込めるためのネットワークを張り巡らせることを政権の「レガシー」と位置づけているようです。

▼イランに対し、最大限の制裁圧力をかけ、「イラン核合意」よりも遥かに厳しい内容の新たな合意をのませたい。あわよくば、敵対的なイスラム体制を転換させたいと考え、利害が一致するイスラエルやサウジアラビアと緊密に連携してきました。

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▼大統領選挙後も、イランに対する新たな制裁強化を打ち出し、ポンペイオ国務長官を、イスラエル、UAE・アラブ首長国連邦、サウジアラビアに派遣し、「イラン封じ込め」の強化策を協議したもようです。

▼先週22日には、ポンペイオ長官の仲介により、イスラエルのネタニヤフ首相が、国交のないサウジアラビアを極秘に訪問し、実権を握るムハンマド皇太子と会談して、イランへの対応や両国の関係正常化について話し合ったと伝えられました。

▼そして、極めつけは、トランプ大統領が、11月12日、イランの核施設に対する軍事攻撃などの対応策を示すよう、政権幹部に求めたとされることです。
アメリカの新聞『ニューヨーク・タイムズ』によりますと、イランが、核合意が定める制限量の12倍以上の濃縮ウランを備蓄しているという報告を受けたトランプ大統領が、自ら指示したということです。しかし、ペンス副大統領らが、「イランとの大規模な衝突に発展する恐れがある」として反対したため、攻撃を思いとどまったということです。

▼先週、イランの核科学者が暗殺された事件も、国際協調と対話を重視するバイデン政権に移行する前に、既成事実を作る動機があったと解釈できます。

■こうした状況の中、船出するバイデン次期政権がめざす中東政策には、多くの困難が待ち受けています。

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▼バイデン氏は、自らが副大統領を務めていた5年前に実現させた「イラン核合意」は、イランの核保有を阻止できる内容だったにもかかわらず、トランプ政権が一方的に離脱してしまった。このため、イランが核開発を再開させ、中東を新たな戦争の危険にさらしたと強く批判しています。
そのうえで、イランが、核合意を完全に守るならば、アメリカも核合意に復帰すると公約しています。そのうえで、同盟国とともに、イランと対話を行い、ミサイル開発や周辺国への介入など、中東を不安定化させる行動を改めさせると主張しています。
しかしながら、「核合意」を復活させるのは決して容易ではありません。来年1月20日、バイデン政権が発足しても、核合意への復帰と、制裁の解除を、すぐには実行せず、イラン側の出方を見ながら、慎重に判断してゆくと考えられます。イラン側が、核合意の義務違反を続ける可能性や、トランプ政権の制裁で被った損害の補償を要求する可能性もあるからです。

▼他方、イランでは、核合意を実現させた穏健派のロウハニ大統領が、2期8年の任期を終えるため、来年6月、大統領選挙が行われる予定です。制裁の影響で生活が困窮している有権者が増えていることを反映して、今年2月の議会選挙でも、反米の保守強硬派が議席を大幅に増やしています。現時点では、保守強硬派の大統領と政権が誕生する可能性が高いと見られています。
最高指導者のハメネイ師も、「アメリカとの交渉を認めたのは誤りだった」と述べるなど、イランとアメリカの直接交渉は、政権交代後も、そう簡単には実現しないだろうという見方もあります。

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▼さらに、バイデン氏は、イランとの対立の原因ともなっているパレスチナ問題の解決にも積極的です。長く中断したままのイスラエルとパレスチナの和平交渉を再開させ、いわゆる「2国家共存」による解決を目指す方針です。その障害となるイスラエルによるヨルダン川西岸地区の併合計画や、ユダヤ人入植地の拡大には、明確に反対を表明しています。
しかし、こちらも、困難が予想されます。極端なイスラエル贔屓で、パレスチナ側の主張を顧みなかったトランプ大統領との比較はできませんが、バイデン氏も、イスラエルの立場を重視する傾向が強いと見られているからです。
たとえば、トランプ政権がエルサレムを「イスラエルの首都」と認定し、パレスチナ側の強い反対を押し切って、エルサレムに移転したアメリカ大使館について、バイデン氏は、新政権発足後も、元には戻さない方針です。トランプ政権が、イスラエルによる入植活動を容認したことなどが、和平交渉再開への大きな障害になることが懸念されます。

■トランプ大統領が、自らの政権のレガシーを残そうと、既成事実を積み重ねる「駆け込み外交」は、政権交代の間際まで続く可能性があります。仮に、イラン側が挑発に乗って、過剰反応した場合、大きな衝突に発展する恐れもあり、核合意の崩壊を願う国にとっては、願ったり叶ったりです。バイデン氏は、新政権の発足前から、数多くの重い課題を背負わされた格好です。それらをどう克服し、新政権をスタートさせるかが注目されます。

(出川 展恒 解説委員)


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