(神子田)
アジアの巨大自由貿易経済圏をめざすRCEPの交渉が合意に至りました。コロナ禍で落ち込む貿易の回復につながることが期待されますが、産業界などが強く望んでいたインドの参加は見送られました。インドとタイに駐在していた藤下解説委員と共に、インド抜きとなった背景や、今後のアジアの自由貿易の展望について考えていきたいと思います。
まずはRCEPの合意内容についてみていきます。
RCEPには日本・中国・韓国、ASEAN諸国、それにオーストラリアとニュージーランドを加えた15か国が参加し、世界の人口やGDPのおよそ30%をカバーします。また日本にとっては、中国や韓国との間で初めて結ぶ経済連携協定となります。
日本経済への影響は、輸入分野では、コメや牛肉など重要5項目が関税撤廃などの対象から外れる一方、中国から輸入される冷凍の枝豆やタコなどの関税が段階的に撤廃されます。一方、日本からの輸出では、中国や韓国向けの自動車部品や家電製品など幅広い品目の関税が段階的に撤廃されます。
また中国にとっては、アメリカとの貿易摩擦に加え、一帯一路戦略が各国から覇権主義的だと批判を浴びるなど行き詰まりも指摘される中で、アジアへの貿易と投資を増やす、新たな舞台装置ができることになります。
その一方で、やがて人口で中国を上回ることになる大国インドは参加せず、産業界からは失望の声も上がっています。
藤下さん、インドはなぜ参加しなかったのでしょう?
(藤下)
最も大きな理由は、RCEPで関税が引き下げられると、国内産業が深刻な打撃を受けるという懸念です。
インドは、旺盛な国内需要で輸入が拡大し、貿易赤字が急増しています。昨年度は日本円にしておよそ17兆円の赤字になりました。対中国の赤字が最も多く、RCEPに入れば、安い中国製品がさらに大量に流入するという懸念が強まりました。このため、幅広い産業でRCEP反対運動が起き、去年11月の首脳会議で「参加は国益にそぐわない」として交渉離脱に言及せざるを得ませんでした。
このとき、モディ首相は「どうしたらいいか迷ったとき、一番貧しく、弱い立場の人の顔を思い浮かべなさい」という、独立の父ガンジーの教えを引き合いに出し、国内産業保護の姿勢を鮮明にしたということです。
その後インドは、閣僚会合などあらゆるレベルの交渉を欠席しました。残りの15か国は、インドを引き留めようと、緊急の輸入制限措置・セーフガードの導入を認めるなどインドの主張に配慮した提案を示したが、受け入れられませんでした。ASEANの外交筋からは「インド疲れ」という声も聞かれ、最後までインドの参加にこだわった日本もあきらめざるを得ませんでした。
(神子田)
インドが参加しない意味合いをさらに考えていきたいと思います。
もともとRCEPの参加メンバーをめぐっては中国がASEANに日・中・韓を加えた13か国の枠組みを提唱したのに対し、日本はオーストラリア、ニュージーランド、インドを加えた16か国を主張。結局アセアンの意向が強く働いて16か国になったという経緯があります。日本としては、中国と国境問題を抱える大国インドを加えることで、中国をけん制する狙いがありました。結局インド抜きとはなりましたが、今回の合意には、中国を念頭に、外国からの進出企業に国内でのサーバー設置を義務付けることや、企業のもつ情報の提供を求めることを禁じる規定が盛り込まれました。日本としては、RCEPという同じ土俵で中国と向き合う中で、不公正だと指摘される中国の貿易慣行を正していきたいと考えています。
藤下さん今回のRCEP交渉で、ASEANは中核的な役割を果してきましたが、今回の合意をどう受け止めているのでしょうか?
(藤下)
ASEANとしてもインド抜きの合意は残念という受け止めですが、その一方で、早期の合意をめざしたいという思惑もありました。日本と中国というアジアの2大経済大国が参加するだけでもメリットは決して小さくないからです。
もともとASEANは、FTA=自由貿易協定やEPA=経済連携協定の締結に積極的で、RCEPに参加するほかの5か国とは、すでに協定を結んでいます。RCEPはこうした個別の協定を一つの大きな自由貿易経済圏に束ねる意味があります。
例えば日本から輸入した原材料を使ってASEAN域内で製品をつくり、中国に輸出する場合、いまは、日本・ASEANと、中国・ASEANという2つの協定のルールに従わなければなりません。
さらに、製品に占める日本の原材料が一定の割合を超えると、ASEAN産とみなされず、中国に輸出する際に、関税の引き下げが適用されません。しかし、RCEPでルールが統一されれば、こうした製品もRCEP域内産として、より安い関税で中国に輸出できる可能性が広がります。米中対立で、中国から東南アジアに生産拠点を移転する動きもあり、RCEPで製品の輸出入がより円滑になれば、外国企業の投資もより活発になると期待されています。
(神子田)
ここからは、アジアの自由貿易の行方について考えていきたいと思います。
今回の合意には、今後インドがRCEPへの加盟を求めれば、ただちに交渉を開始することが、日本が主導する形で盛り込まれました。日本としては、二国間の経済協力を通じてインド国内の製造業の育成を支援することで、インドのRCEPへの早期加盟を後押ししたい考えです。さらに、日本は今年9月に、コロナ禍で課題として浮かび上がった国境を越えたサプライチェーンを強化するとして、インドとオーストラリアとの3か国で、製品や部品を相互に調達しあう枠組みを作ることで合意しています。将来はこの枠組みにアセアン諸国に加わってもらうことも視野に入れており、RCEPに加わらなかったインドも取り込む形で、中国をけん制しようという思惑がうかがえます。
ただ中国への対抗軸で考えれば、やはり重要なのはアメリカの存在です。もともと中国をけん制する狙いが込められていたTPP環太平洋パートナーシップ協定は、トランプ政権が交渉から離脱し、バイデン政権になったとしても、やはり国内の製造業の労働者に配慮してTPPへの復帰には当面慎重になるといわれています。一方、今回合意したRCEPには中国が参加しており、アジアでの中国の存在感が一段と強まる形となっています。
藤下さん、こうした中でASEANは、アメリカに対してどういう期待を抱いているのでしょうか?
(藤下)
ASEANは、中国への過度の依存を避けるためにも、アメリカが東南アジア地域に貿易面でより積極的に関わることを望んでいます。
ASEANの国別の貿易額は、中国が、2000年代初めに日本やアメリカを逆転し、いまや両国の倍以上になっています。
RCEPによって中国の影響力が強くなりすぎることへの懸念もあり、ASEANとしては、アメリカの次期政権が、トランプ政権下の一国主義的な政策から転換し、より開かれた貿易政策をとるよう期待しています。特にASEAN10か国のうち4か国はTPPに参加しており、アメリカが将来的にTPPに復帰するのかどうかに関心が集まっています。 一方で、アメリカがより高度な自由化を求めてくることへの警戒感もあり、バイデン氏がどのような通商政策を打ち出すのか、注視しています。
(神子田)
コロナ禍で各国の内向き志向が強まる中、超大型の自由貿易圏の出現が、保護主義的な潮流に歯止めをかけることになるのか。日本には、今後もアセアン諸国などとの連携をはかりながら、自由化を一段と推し進めるとともに、アジアの経済連携協定に加わっていないインドやアメリカを巻き込みながら地域全体の経済発展につなげていく重い役割が期待されています。
(藤下 超 解説委員 / 神子田 章博 解説委員)
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