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『表現の自由』か『冒涜』か 価値観の違いをどう乗り越える?

二村 伸  解説委員

表現の自由をめぐってフランスとイスラム諸国の対立が深まっています。ことの発端は、イスラム教預言者ムハンマドの風刺画です。表現の自由を理由に風刺画を擁護するマクロン大統領にイスラム教徒が強く反発、各地で襲撃事件が相次ぎ、テロの危険性が高まっています。表現の自由はどこまで許されるのか、これまで何度も論争になってきましたが、いまだ答えは見出せません。表現の自由をめぐる論争の背景にある宗教や価値観の違いを乗り越えるには何が必要かを考えます。

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フランスの週刊新聞シャルリ・エブドが掲載した問題の風刺画は、物議を醸している内容のため、ここでお見せするのは控えるという判断をしましたが、2006年にイスラム諸国の強い反発を浴びた12枚の風刺画が改めて掲載されています。
風刺画への批判に対してマクロン大統領は、「冒涜する自由」もあると擁護し、イスラム教徒の怒りを買いました。トルコのエルドアン大統領は、「我々の価値観への攻撃だ」と厳しく批判しました。イランの最高指導者ハメネイ師は、「預言者の人格を侮辱する許されざる大罪だ」と非難、それに世界で最も多くのイスラム教徒を抱えるインドネシアのジョコ大統領も、「世界中のイスラム教徒の感情を逆なでした」と非難するなど、イスラム諸国の首脳はいっせいにシャルリ・エブドとそれを擁護するマクロン大統領を批判しました。
中東やアジア、アフリカの各地でフランス政府に対する抗議デモが起き、一部の国ではフランス製品の不買運動も起きています。サウジアラビアではフランス総領事館が襲われる事件も起き、フランスのダルマナン内相は「フランスは戦争状態にある」と述べ、さらなる攻撃への警戒感をあらわにしました。こうした事態を受けてフランス政府は「イスラムを尊重している」と連日表明し、反発を和らげようとしています。大多数のイスラム教徒は、暴力やテロに反対していますが、フランス政府への怒りはおさまっていません。

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風刺画への反発はフランス国内でも強まっています。9月下旬、パリ市内の「シャルリ・エブド」旧本社前で男女2人が男に刃物で切り付けられる事件が起きました。男はパキスタン出身で、「シャルリ・エブド」の風刺画に立腹して犯行に及んだものと見られています。先月にはパリ近郊の学校で、「表現の自由」に関する授業でムハンマドの風刺画を生徒に見せた教員が、ロシア・チェチェン出身のイスラム教徒の男に首を切られる事件が起き、フランス中に大きな衝撃が走りました。さらに南部のニースではチュニジア人の男によって市民3人が刃物で殺害されました。
事件後マクロン大統領は、「イスラム過激派によるテロだ」と述べて過激派の取り締まりに乗り出すと同時に、テロへの警戒レベルを最高度に引き上げ、フランス全土で警戒態勢を強化しました。

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「シャルリ・エブド」は2006年にイスラム教の預言者ムハンマドが頭に爆弾に模したターバンを巻き、原理主義者にお手上げだとする風刺画を掲載し、イスラム諸国から強い反発を浴びました。その後もムハンマドの風刺画をたびたび掲載し、各国でテロが相次いでいた2014年末には、自動小銃を肩にかけた過激派の戦闘員を描いて「フランスにはまだ襲撃がない」と挑発的な風刺画を掲載、1週間後に本社がイスラム過激派の襲撃を受け、編集長や風刺画家など12人が殺害される事件が起きました。その事件に関与したと見られる被告14人の初公判が9月に始まるのにあわせて、「シャルリ・エブド」が風刺画を再び掲載し、「表現の自由」か「冒涜か」の論争が再燃したのです。シャルリ・エブドはイスラム教だけでなくキリスト教やユダヤ教、それにマクロン大統領はじめ各国首脳も風刺の対象としていますが、イスラム教徒にとって預言者を侮辱するような風刺画は、生きるうえでもっとも大切な信仰に土足で踏み込むような行為であり断じて受け入れられないのです。

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それでもフランス政府が風刺画を擁護する姿勢を変えないのは、「表現の自由」がフランスにとって最も基本的な権利だからです。国王や宗教界が絶対的な権力を握っていた18世紀末、市民が立ち上がり自由に意思を表明する権利を勝ち得た革命の精神が今も受け継がれているのです。世論調査ではムハンマドの風刺画の掲載を支持する人は6割に上り、授業で取り上げることには8割近くが妥当だと答えています。フランスでは表現の自由のもと宗教への批判も許されるといわれます。しかし、そのフランスでも人種差別を禁止し、憎悪や嫌悪を引き起こすような表現は避けるべきだとしています。権力とは関係のない少数派や特定の集団に対する侮辱的な表現まで許されるのか、他者を傷つけるような自由は認められないと私は思います。様々な宗教や文化を受け入れてきたカナダのトルドー首相も、「表現の自由は常に守られなくてはならないが、社会を共有する人々を恣意的かつ不必要に傷つけないようにすべきだ」と述べ、表現の自由には限度があり他者への配慮が必要だとの見解を示しています。

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表現の自由か冒涜かは、宗教や価値感によって受け止め方が大きく異なります。2015年のシャルリ・エブド本社襲撃事件後、イスラムへの蔑視が問題の根底にあると答えた人がイスラム諸国では8割から9割に上った国もあるのに対し、フランスでは7割近くがイスラム教徒の不寛容が論争の原因だと答えています。
価値感の違いを象徴する1つの例が、イスラム教徒の服装をめぐる論争です。フランスではライシテと呼ばれる政教分離の原則により公立の学校でイスラム教徒の女性が頭を覆うスカーフの着用が禁じられています。子どもたちは宗教の圧迫から自由でなければならないという考えに基づいていますが、それがイスラム教徒の心情を傷つけているかどうかは考慮されません。預言者ムハンマドの風刺画をめぐる論争は、社会の分断がいかに深刻かを物語っているといえるのではないでしょうか。

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では、この論争をどうやって終息させるか、両者の歩み寄りの余地はなく解決は不可能だと話す専門家もいます。ただ、これ以上溝を深めないようにするためにも対立の背景にある宗教や価値観の違いを乗り越えるための取り組みは重要だと思います。
他者への尊敬と寛容の精神、そして価値感を押しつけず異文化を理解しようとする姿勢が求められます。フランスをはじめヨーロッパ各国では、経済の低迷や失業者の増加などにより排外的な風潮が年々強まり、イスラモフォビアと呼ばれるイスラム教徒への憎悪が高まっています。そうしたときだからこそ挑発的な行動を戒め、融和に務めるのは指導者の役割でもあります。
アメリカの調査機関、ピュー・リサーチ・センターによれば、大規模な移民の流入が続いた場合、2050年にはフランス国内のイスラム教徒の割合が今の2倍に膨れ上がり、ヨーロッパ全体でも7人に1人がイスラム教徒になると予測しています。社会の分断が今以上に深まる可能性があるだけに対話と相互理解への不断の努力が欠かせません。
日本でも今後多数の外国人が暮らすようになり、宗教や価値観をめぐって今以上に摩擦が生じることも予想されます。表現の自由をめぐる論争を対岸の火事とせず、共生社会を築くための取り組みを今から始めることが大切ではないでしょうか。

(二村 伸 解説委員)


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