自分が住む地域で、かつて人々がどんな暮らしを営んでいたのか。そんな身近な歴史の継承が、このままでは難しいものになってしまうかもしれません。地震や水害などの自然災害が、地域の歴史を今に伝える多様な文化財に、大きな被害をもたらすケースが相次いでいるからです。文化財を災害から守り、後世に残していくにはどうすればよいか、考えてみたいと思います。
【相次ぐ自然災害で文化財に被害】
毎年のように日本列島を襲う自然災害によって、各地の文化財は大きな被害を受けています。
この5年間を振り返ってみますと、2016年の熊本地震では、熊本のシンボル熊本城が建物の倒壊や石垣の崩落など甚大な被害を受けました。3年前の九州北部豪雨やおととしの西日本豪雨、それに去年の台風19号は広い範囲で浸水被害をもたらし、その地域に伝わる古文書など、多くの歴史資料が水につかりました。ことしの7月豪雨でも、熊本県の人吉城歴史館などに被害が出ています。
文化財がいったん被害を受けると、復旧・復元には大変な手間と長い時間がかかります。
神奈川県の川崎市市民ミュージアムは、去年の台風19号で、マンホールなどからあふれた水が地下1階にある収蔵庫に流れ込みました。文化財を守るはずの収蔵庫ごと大きな被害を受けてしまったのです。
収蔵品はことし6月までにすべて運び出されましたが、大変なのはこれからです。
被害を受けた収蔵品は、全体の9割近くにあたる22万9000点。現在、冷凍庫に保管されていますが、市によりますと9月末の時点で修復が終わったのはこのうち13点で、修復中のものも2025点にとどまっています。作業が終わる見通しは立っていません。
また、ミュージアム自体も、建物の移転や建て替えを含めた抜本的な見直しが迫られ、市は有識者からなる検討部会を設けて、来年夏をメドに今後の方針について議論を続けています。
【すそ野に広がる未指定の文化財】
一方、博物館や美術館のように収蔵品のリストがない場合、そもそもどの文化財にどの程度の被害が出ているのか、把握するのは困難です。
文化財はピラミッド状に分類され、それぞれ保護が図られています。
例えば絵画や仏像などの美術工芸品の場合、国が指定する重要文化財があり、その中でも価値が高いと評価されたものが国宝に選ばれています。このほか、都道府県や市町村が独自に文化財に指定しているものがあります。
こうした指定文化財は、場所や保存状況を行政が事前に把握しているため、災害が起きたときには被害がなかったかどうか速やかに確認することができます。
一方、そのすそ野には、時代も種類もさまざまな未指定の文化財がありますが、どこにどのようなものがあるのか、地元の自治体も全容を把握できていないため、どんな被害にあったのか確認することができません。
こうした未指定の文化財は、1つ1つが持つ価値は指定文化財に及ばないかもしれませんが、総体として地域の歴史を解明し、その豊かさを継承していくためには欠かすことができない存在です。また、今後調査が進むことで価値が高まる可能性もあります。
災害で破損したり、災害ゴミとして捨てられてしまったりする前に、1つでも多く救い出す必要があります。
【文化財の総合的な把握を】
そこで重要になってくるのが、未指定のものも含めた文化財の総合的な把握です。
ことし7月に豪雨災害に襲われた熊本県では、県などが「文化財レスキュー」を行った際に、県立図書館が以前まとめていた古文書のリストが活用され、水につかった古文書や掛け軸など934点の救出につながりました。県の担当者は「手探りで一軒一軒回るわけにもいかず、リストがあったのは大きい」と、事前に所在を把握しておくことの重要性を指摘しています。
古文書に限らず、地域内の文化財をくまなく把握することを試みている自治体もあります。
島根県益田市では9年前から地区ごとに調査員を募集して現地調査を依頼し、調査カードに、時代や文化財の種別、概要などを記入してもらいます。
これまでにのべ人数で220人あまりの調査員がカードを作成し、その数は5000枚を超えたということです。カードは地区ごとにファイルされて市の文化財課に保管され、被災時には、状況を把握する基礎資料として活用することができます。
こうした未指定を含む幅広い文化財の調査は、地域の歴史の掘り起こしや文化財の活用にもつながることから、文化庁も後押ししています。おととし改正された文化財保護法では、指定文化財だけでなく、未指定を含めた文化財を後世に伝えるために、地域をあげて継承の取り組みを進めることが打ち出されています。自分たちの地域にはどんな文化財が残されているのか、その把握を進めることは、災害への備えをはじめとした「保存」に直結するだけでなく、地域の歴史や文化を見直し、観光資源として「活用」することにもつながるのです。
【現地活動とネットワーク化】
次に、こうした文化財を実際に災害から守っていく活動の充実について考えてみたいと思います。活動には、2つの側面があります。1つは災害が起きたあと現地で行う「文化財レスキュー」の活動。そしてもう1つが、関係するさまざまな団体をつないで、いざという時に備える「ネットワーク化」の推進です。
文化財レスキューを各地で積極的に行っている団体に、「史料(資料)ネット」と呼ばれるボランティアの組織があります。その1つ、長野県の「信州資料ネット」は、去年の台風19号による被害を受けて地元の研究者などが立ち上げ、お寺や旧家から仏像や古文書などを救い出し、汚れやカビを取り除いて元の状態に近づける地道な作業を続けています。現在もおよそ10人のボランティアが週に2回、集まって、活動しているということです。
「史料ネット」は25年前の阪神・淡路大震災をきっかけに活動が始まり、各地で災害が起きるたびに増えています。今では全国で28の団体が活動を行っています。各地の史料ネットが連携してそれぞれの活動の充実を図るとともに、「空白地域」を少しでも減らして全国を網羅する形に活動が広がることが望まれます。
もう1つの「ネットワーク化」については、最近、新たな動きがありました。独立行政法人の「国立文化財機構」が10月1日、常設の「文化財防災センター」を設立したのです。
文化庁や地方自治体、それに史料ネットなどの団体と連携することで、全国的な防災体制の構築を進めることが、大きな目的です。
国立文化財機構には、東京と奈良にある文化財研究所と、東京、京都、奈良、九州の4つの博物館があります。全国を6つにブロック分けしてそれぞれの地域担当を決め、地域内の自治体との連携体制を構築するとしています。
東京と奈良の文化財研究所を東と西の中核拠点に位置づけ、大規模な災害が起きたときには前線対策本部にするということです。
また、被害を少しでも減らすことができるよう、事前の備えとして、文化財の種類ごとのガイドラインの整備や、過去の災害の痕跡などをまとめたデータベースの構築などを進めるとしています。
国立文化財機構は、東日本大震災をきっかけに体制づくりを進めてきましたが、文化庁の補助金による事業だったため、取り組みには制約がありました。今後はこれまでよりも柔軟に人や予算を動かすことができるということで、国内の文化財防災の中核として、一層の体制の充実を図り、リーダーシップを発揮してほしいと思います。
過疎化や少子高齢化が進む今、地域の文化財を守り伝えていくことは、平時でも難しくなりつつあります。災害によって多くの文化財が一気に失われてしまえば、そうした傾向に拍車がかかり、地域の歴史の断絶にもつながりかねません。
災害への備えは、人々の生命や財産を守るために欠かすことができませんが、地域の歴史を継承するという観点からも、どんなことができるのか考えていく必要があります。関係する団体が幅広く連携して、多くの市民とともに減災への取り組みをいっそう進めていくことが求められています。
(高橋 俊雄 解説委員)
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