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「世界に広がる『ワクチン・ナショナリズム』」(時論公論)

出川 展恒  解説委員

■新型コロナウイルスの世界的大流行・パンデミックは、収束する兆しが見られません。有効な治療薬やワクチンの完成が待たれます。このうち、ワクチンについては、いくつかの国で、開発の最終段階に達する一方、安全性がおろそかにされているのではないかという懸念の声もあがっています。また、各国がワクチンの争奪戦を繰り広げており、「ワクチン・ナショナリズム」とも言える状況が生まれています。ワクチンをめぐるこうした問題を考えます。

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■WHO・世界保健機関によりますと、新型コロナウイルスのワクチンは世界で160種類以上が開発中で、このうち34種類で、実際にヒトに接種して安全性や効果を確かめる臨床試験が行われています。
臨床試験について、WHOは、3段階で行う必要があるという指針をつくっています。このうち、最終の「第3段階」では、ワクチンの承認に向けて、多数の治験者に投与して、安全性と効果を厳密に確認するべきだとしています。

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■いくつかの国々では、政府の主導、あるいは、政府が巨額の資金を投じることによって、通常では数年かかると言われるワクチン開発を、極めて異例のスピードで進めています。現在、「第3段階」の臨床試験に入っているワクチンは、▼イギリスの製薬会社「アストラゼネカ」とオックスフォード大学、▼アメリカの会社「モデルナ」と国立衛生研究所、▼アメリカの会社「ファイザー」とドイツの会社「ビオンテック」が、それぞれ共同で開発しているワクチンなど、合わせて9種類があります。

▼このうち、イギリスの「アストラゼネカ」は、8日、開発中のワクチンの臨床試験を、一時的に中断したことを明らかにしました。詳細は明らかにしていませんが、臨床試験の参加者の中に、副反応とみられる何らかの症状が出た可能性が指摘されています。
▼一方、アメリカの「ファイザー」は、先週、早ければ来月中にも、使用の許可や承認を申請する方針を表明しました。これに先立って、アメリカの規制当局の責任者は、効果が危険性を上回ると判断すれば、第3段階の臨床試験が終わる前に、緊急での使用を許可する可能性もあると述べていました。
背景には、トランプ政権が、「ワープスピード作戦」と銘打って、来年初めまでに、すべての国民にワクチンを供給する計画を打ち出したことがあります。全米各州の当局に、11月からのワクチン接種に備えるよう指示するなど、大統領選挙での再選を狙う政治的な思惑が働いているのではないかという見方が出ています。

■このように、国や製薬会社どうしの熾烈な開発競争や、政治的な思惑の影響で、本来は時間をかけて慎重に行うべきである、安全性と効果を確認するための検査が、おろそかにされているのではないかという懸念の声が、WHOや各国の専門家の間からあがっています。

■こうした中、「アストラゼネカ」や「ファイザー」を含む製薬会社など9社が、8日、共同で宣言を発表しました。ワクチンの安全性を、常に最優先させることや、3段階の臨床試験で安全性と効果が確認されたうえで、ワクチンの承認に向けた申請を行うことを強調しています。
ワクチンは、大勢の健康な人々に接種するため、薬以上の安全性が求められます。われわれ市民の側も、承認に向けたプロセスを厳しく監視してゆく姿勢が大切です。

■ここからは、ワクチンの開発競争や世界的な争奪戦が起きている背景を考えます。
各国の政治指導者にとって、自国民のためのワクチンを確保することが、政権維持にとって不可欠であり、世界に先駆けてワクチンを開発した国が、国際社会で優位に立てるという考え方があります。

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▼アメリカのトランプ政権は、「ファイザー」や「アストラゼネカ」など、複数の製薬会社との間で、ワクチン開発が成功した場合に、供給を受ける契約を結び、すでにアメリカの人口を上回る4億回分のワクチンを完成前に囲い込んだ形です。
▼EU・ヨーロッパ連合は、フランスの会社「サノフィ」から、3億回分のワクチンの供給を受けることで合意したほか、フランス、ドイツ、オランダ、イタリアの4か国も個別のグループをつくり、4億回分のワクチンの供給を受けることで、「アストラゼネカ」と合意しています。
▼また、イギリスは、「アストラゼネカ」が開発中のものを含め、合わせて6種類のワクチンの供給を受ける合意を結んでいます。
▼そして、日本政府は、来年の前半までに、すべての国民にワクチンを供給できる態勢を目指す方針を打ち出しています。すでに、「ファイザー」と「アストラゼネカ」から、それぞれ1億2000万回分のワクチンの供給を受けることで基本合意し、別の会社とも交渉を進めています。

■対照的に、中国とロシアは、こうした争奪戦には加わらず、独自にワクチンを開発することに、国を挙げて取り組んできました。そして、完成したワクチンを、いわば「外交カード」に、国際社会での影響力を拡げたいと考えているのです。

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▼中国では、すでに5種類のワクチンが最終段階の臨床試験に進み、医療従事者を対象にした緊急投与も行われています。習近平国家主席は、「ワクチンが実用化されれば、『世界の公共財』にする」と表明し、アフリカ諸国やインドシナ諸国など、途上国に積極的に提供する方針です。
▼ロシアのプーチン大統領は、先月、国内で開発したワクチンを、「世界で初めて正式に承認した」と発表しました。最終段階の臨床試験を経ないままの承認で、内外から批判や疑問の声もあがっていますが、ロシアは、フィリピン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦など5か国にワクチンを提供する方針です。

■このように、各国がワクチンの開発競争や争奪戦を繰り広げることで、極めて重大な問題が起きることが懸念されています。

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それは、資金や科学技術力のある少数の先進国がワクチンを独占し、大多数の途上国は、必要な時にワクチンを入手できないという問題です。今後、途上国を中心に、とてつもなく多くの犠牲者が出る恐れがあります。
WHOのテドロス事務局長は、「ワクチンをめぐるナショナリズムは、世界的大流行を長引かせるだけだ」と、強い懸念を示したうえで、WHOなどが立ち上げた、世界各国にワクチンを公平に届けるための枠組みに、できるだけ多くの国が参加するよう呼びかけています。

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■この枠組みは、「COVAX(コバックス)・ファシリティー」と呼ばれ、WHOと、途上国へのワクチンの普及に取り組む国際組織などが共同で設立しました。資金力のある国は、ワクチン開発に取り組む複数の企業に、一定の額を投資し、開発に成功した場合、人口の20%を上限に、ワクチンを確保することができます。一方、途上国も、国際組織を通じて、ワクチンの提供を受けられるしくみで、来年末までに、20億回分のワクチンの供給を目指しています。

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これまでに、世界170以上の国と地域が参加の意思を示し、日本、イギリス、カナダ、EU・ヨーロッパ連合など78の国と地域が資金を出すと表明していますが、アメリカのトランプ政権は、「WHOの影響下にある組織には制約されない」として不参加を表明しました。自国での開発を優先させるロシアと中国も、参加を見送ると見られます。

■この枠組みを有効に働かせるためには、資金力や開発能力がある国ができるだけ多く参加することが不可欠で、「ワクチン・ナショナリズム」、「自国第一主義」は、大きな妨げとなります。新型コロナウイルスとの闘いに、一国だけの勝利はありません。今こそ、国際的な協力体制をうち立て、安全性と効果をしっかり確認したワクチンを、必要とする人々に、できるだけ公平に届けることが重要です。そして、日本も、この取り組みにできる限り貢献してゆくことが求められています。

(出川 展恒 解説委員)

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