「第二次世界大戦以来最大の試練」と言われる新型コロナウイルスの世界的な蔓延。いま、超大国アメリカが最も大きな痛手を受け、感染は世界最強の軍隊・アメリカ軍にも及んでいます。パンデミックを通り抜けた先には、今とは違う世界秩序が待ち受けているかもしれない、専門家の間からはそうした指摘も出ています。きょうは、二つの大国、米中を中心に、感染拡大がパワーバランスにもたらす影響を考えます。
解説のポイントは、
① 低下するアメリカの抑止力
② 活動活発化する中国軍
③ パワーバランスの行方、です。
ウイルスは、これまで幾度も「戦争」に匹敵するほどのダメージを人類にもたらし、国際秩序にも影響を与えてきました。第一次世界大戦中に世界に蔓延した「スペインかぜ」は大戦の戦死者を上回る犠牲者を出しました。いま新型コロナウイルスの感染者は世界全体で260万人を超えました。このうちアメリカの感染者は23日現在、84万人、死者は4万人を大きく超えて、世界最悪の状態が続いています。
世界秩序の変化をめぐる議論が専門家の間で起きているのは、これまで世界をリードしてきた、外ならぬこのアメリカが最も深刻な事態にあるからです。アメリカの感染拡大のピークは越えたとの見方も示されていますが、収束のめどが立っているわけではありません。
ウイルスの感染は、強大な軍事力を支えるアメリカ軍の現場にも広がっています。
注目されるのが、アメリカの軍事戦略の要である原子力空母での感染拡大です。南シナ海に展開中の「セオドア・ルーズベルト」で先月末、集団感染が発生しました。空母はグアムに留め置かれたまま動けず、感染者は700人を超えています。
この他にも、▽横須賀に配備されているロナルド・レーガンや、▽アメリカ西海岸で整備中だったニミッツなどでも感染者が確認されました。これら4隻はいずれも、アジアや太平洋正面での任務が想定されていますから、アジアには今、ただちに出動できるアメリカの空母はいないという異例の事態で、抑止力の低下は否めません。
空母の不在は、一時的な問題とも言えますが、それが引き金となって周辺国の予期せぬ行動を誘発し、情勢を変化させる可能性もあります。このことは、アメリカの抑止力に頼っている日本の安全保障にも影響する問題です。
このタイミングで活動を活発化させているのが中国です。アメリカの空母で集団感染が明らかになった先月末、中国海軍は、領有権をめぐる対立が続く南シナ海で、潜水艦や航空機なども参加する大規模な実弾演習を行いました。
また、今月になると、空母「遼寧」の艦隊が、中国の軍事戦略上の防衛ラインである「第一列島線」を越えて太平洋に進出。台湾付近を航行して南シナ海に抜ける“示威行動”を行いました。
中国人民解放軍の公式ニュースサイトは、「アメリカ軍のアジアでの作戦能力は低下している」「中国海軍はいかなる状況でも国家の主権と領土を守る能力がある」と繰り返し主張しています。
中国軍内部の詳しい感染状況は明らかではありませんが、海軍にも感染者は出ているとみられます。それでもあえて、活発な活動を見せることで「いつでも作戦を遂行できる態勢にある」と内外に示すとともに、アメリカや台湾、それに日本などをけん制する狙いがありそうです。
中国はさらに、南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島と西沙(パラセル)諸島にそれぞれ新たな行政区を置くと一方的に発表しました。
このうち南沙では、国際社会の非難を無視するかのように軍事拠点化を進めている人工島に政府庁舎が置かれます。中国は、アメリカ軍の活動が低下している間に、南シナ海に対する実効支配を一段と強めようとしているものとみられます。
ところで中国では、感染が拡大した武漢などへの対応に多くの軍人が投入されたことが報じられましたが、軍全体から見ればその規模は限定的との見方もあります。中国の指導部は、新型コロナの危機の中でも安全保障面を重視し、軍には本来任務最優先で活動させているのではないかと専門家は分析しています。
こうした中で中国が、アメリカの抑止力低下の現状を軍事的な好機ととらえかねないとの指摘もあります。
一方、空母が動けない中でのアメリカ軍の対応です。先週、海兵隊や最新のステルス戦闘機を乗せた強襲揚陸艦が「第一列島線」の内側にあたる東シナ海に展開しました。中国の喉元ともいえる台湾海峡には、イージス駆逐艦を派遣して海峡を通過させました。2つの艦艇は今週、南シナ海に移動して合流。これにオーストラリア海軍も加わったことを公表し、中国の動きをけん制しようとしています。
抑止力の低下を補おうと様々な対応をとるアメリカですが、そのさじ加減によっては、中国の強い反応を招いて軍事的緊張が高まる可能性もあり、情勢を注視していく必要がありそうです。
ここまで軍の動きを中心に見てきましたが、パワーバランスを左右するのは軍事の要素だけではありません。もう一つ問われるのは、国際的な影響力です。
アメリカ第一主義を掲げ、これまでも国際協調に背を向けるような行動をしてきたトランプ大統領ですが、この事態に及んでも、自国の都合優先の姿勢が目立っています。
先月末のG7外相会議では、アメリカが「武漢ウイルス」という文言にこだわったため共同声明がまとまりませんでした。
トランプ大統領また、WHO・世界保健機関への資金拠出停止を表明。テドロス事務局長の中立性について議論はあるものの、「世界が連帯すべき時に取るべき行動ではない」との批判が国の内外から出ています。
長く世界のルール作りを主導してきたアメリカですが、自らそのリーダー役を放棄しようとしているとの受け止めが一層広がっているように思います。
こうした中、中国は、感染拡大に苦しむ各国に支援の手を差し伸べ、中国こそが世界をリードする存在だと「宣伝」を繰り広げています。その手法は、不足するマスクを大量に送ることから「マスク外交」とも呼ばれています。中でも、医療が崩壊したイタリアなどに対しては、ドイツやフランスなどEU主要国よりも先に、手を差し伸べました。支援を躊躇するEUの仲間に失望していた政治家や国民からは中国の支援に感謝の声も多く聞かれ、中国は「美談」として世界に発信しました。
中国はEU内の不協和音にうまく乗じた形ですが、中国に対しては、人道支援の名を借りて主導権を握ろうとしているのではとの警戒感も広がっています。
また、中国自身も、最悪の状態からは脱しているとしても、感染拡大の第二波、第三波が襲う可能性もあり、本格的な回復はまだ見通せません。また、中国経済はGDPの伸び率が初めてマイナスを記録し、それによって巨額の軍事費にどのように影響するのかも注目されます。
今後のパワーバランスの行方は、世界の主要国がそれぞれ最終的にどれくらいの痛手を受け、回復にどれだけ時間がかかるかが重要な要素になるでしょう。パンデミックが過ぎ去った後、世界をリードするのは、自由と民主主義を掲げる国家なのか、より強権的な国家なのかは、まだ見通せません。確かなのは、このまま世界が今と何も変わらぬものである保証はどこにもないということです。私たちは、日本を取り巻く国際環境の変化にも関心を払っておく必要があるように思います。
(津屋 尚 解説委員)
この委員の記事一覧はこちら