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文化・芸術の灯を消さないために

出石 直  解説委員

新型コロナウイルスの感染は拡大の一途を辿り世界の感染者の数はついに100万人を超えました。その影響は様々な分野に及んでいます。音楽や演劇など文化・芸術の分野に携わっている人達は、イベントの自粛要請を受け仕事と収入の両方を失ってしまうという窮地に立たされています。

「9年前の東日本大震災の時をはるかに上回る」と、関係者は口を揃えます。

とりわけ深刻なのはフリーランスの人達です。こうした人達の生活を支えていくためにはどのような支援策が必要なのでしょうか?海外の事例も交えて見ていきます。

支援を行うことは感染の拡大を防止することにもつながります。
なぜ文化・芸術の灯を消してはならないのか、最後に考えてみたいと思います。

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【損失】
日本俳優連合の理事長を務める西田敏行さん。NHKに次のようなメッセージを寄せてくださいました。

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「軒並み公演が中止になり、日々の生活にすぐに影響が表れました。主催者も収入がなく、出演料の請求もままなりません。このような事態は今までになかったことです」

【損失額】
公演を主催した側にも、チケットの払い戻しや準備にかかった費用、会場費の支払いなど多額の負担がのしかかってきます。

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先月行われた政府のヒアリングに提出されたエンターテインメント業界への影響についての資料です。中止や延期になった音楽コンサート、演劇、スポーツなどのイベントは先月23日現在で8万1000件、損失は1750億円にのぼっています。この状態が来月末まで続けばキャンセルは15万3000件、損失は3300億円に達すると推計されています。これは年間の市場規模の4割近くに相当する額だということです。キャンセルはその後も増え続けていますし、ここには、映画やレジャー施設などは含まれていません。ステージを裏方で支えている人などこの業界のすそ野は広く、実際の損失額はこれをはるかに上回るものと予想されます。

【アンケート】
フリーランスの音楽家や音楽関係者およそ5000人が加入している労働組合「日本音楽家ユニオン」が会員を対象に行ったアンケート調査です。
先月22日までに1000件近い回答がありました。

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▼それによりますと、キャンセルになったコンサートは2月と3月だけで5300件あまり、今月もすでに1300件を超えています。
▼このうち「出演料やキャンセンル料が全額支払われた」と答えた人は全体の3.1%に過ぎず、半数以上(55.5%)は「まったく支払われなかった」と答えています。
▼キャンセルに伴う経済的損失では「収入が半分から6割近く減った」と答えた人が17.5%ともっとも多く、100%つまり「収入がまったくなくなった」と答えた人が1割近く(9.3%)もいました。
▼そして6割近い人(58.6%)が「蓄えを取り崩して生活している」と答えています。

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「先が見えず精神的につらい」
「自粛が解除された後もお客さんが戻ってくるか心配だ」
「仕事がすべてなくなった。どうやって食べていけばよいのか」
「5月以降も続くと家賃も払えなくなる」

「生活を犠牲にして政府の要請に従っているのだから、それに対する補償も政府が責任をもってして欲しい」 文化・芸術に携わっている人達の切実な声です。

【支援策】
収入がなくなり仕事も失いかねない人達の生活を支えていくために、どんな支援策が講じられているのでしょうか?各国の対応です。

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アメリカ政府は、失業保険の支給対象要件を緩和し、フリーランスにも最大で週600ドル(およそ6万5000円)が支給されることになりました。大統領直轄の「米国芸術基金」は、危機に瀕している非営利の文化機関に7500万ドル(81億円)の支援を行うことを決めています。
次にイギリスです。政府からの助成金と宝くじからの資金を原資に文化芸術団体への支援を行っている「アーツカウンシルイングランド」は1億6000万ポンド(214億円)の支援策をまとめました。このうち2000万ポンド(27億円)は個人の支援に当てられ、申請に基づきひとりあたり最大で2500ポンド(33万円)の助成金が支給されます。

もっとも手厚い措置を打ち出しているのがドイツです。連邦政府で文化行政を担当するグリュッタース国務相は先月「文化は平穏な時だけの贅沢品ではない。私は皆さんを見捨てるようなことはしません」とする緊急声明を発表しました。ドイツ政府は、文化・芸術に携わる人達のために総額500億ユーロ(およそ6兆円)の支援を行うことを決定。さらに仕事を失ったフリーランスのために100億ユーロ(1兆2000億円)を投じて住宅費の支援も行うとしています。

最後に日本です。最大で20万円まで無利子・無担保で借りられる制度の受付がすでに始まっています。またフリーランス向けの支援策として、学校の臨時休校で仕事を休まざるを得なくなった人に1日あたり4100円が支給されることになっています。しかし早々に手厚い支援策を打ち出している諸外国と較べますと、日本はかなり見劣りすると言わざるを得ません。

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安倍総理大臣は、既存の融資制度に加えて、一定の水準まで所得が減少した世帯に1世帯あたり30万円を給付するとしています。しかし業界が求めている損失の補填については「税金で補償するのは難しい」と否定的な考えを示しています。

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「好きでやっている人達を税金で支援すべきではない」という声があることも事実です。
しかし、このままの状態が続けば、生きていくために活動を再開せざるをえない人が出てこないとも限りません。文化・芸術に携わっている人達がイベントを休んでも、安心して生活できるような環境を作る。これこそが感染の拡大防止につながるのではないでしょうか?
経済面でもエンターテインメント業界は年々市場規模を拡大してきた成長産業です。文化・芸術の衰退は日本経済にとっても大きな損失なのです。
それだけではありません。イベントが中止に追い込まれることで、芸術家にとって何よりも大切な表現をする機会が失われてしまいます。収入が減って生活が脅かされればアルバイトなどに追われて次の表現機会もなくなります。若い人達の才能の芽を摘んでしまうことにもなりかねません。

一度消えてしまった文化・芸術の灯を再び灯すことはきわめて困難です。感染拡大の防止を最優先しなければならない現状では、しばらくの間、炎が弱まることは致し方ないでしょう。しかしこの灯をけっして消してはなりません。
政府は、追加支援策を盛り込んだ補正予算案を来週にも取りまとめるとしています。
ソニーはきのうイベントの中止で影響を受けた人達などを支援するため1億ドル(108億円)の支援基金を立ち上げました。インターネットを通じて資金を募るクラウドファンディングの取り組みも始まっています。政府、地方自治体、企業、団体、そして各個人、それぞれが様々な形で、文化・芸術活動と、それを支えている人達の生活を守っていくことが、今求められているのではないでしょうか。

(出石 直 解説委員)


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