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「日銀も共同研究開始 2020年はデジタル通貨元年!?」(時論公論)

櫻井 玲子  解説委員

紙幣やコインにかわる新しい形の通貨を私たちが使う日は近づいているのでしょうか。
日本銀行は「デジタル通貨」の共同研究をヨーロッパ・カナダ・スウェーデンなど、5つの中央銀行とともにスタートすると発表しました。
日銀も研究に乗り出す「中央銀行デジタル通貨」について、その背景や影響、それに今後の課題を、考えます。

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まずは、中央銀行が発行する「中銀デジタル通貨」とは何かを説明します。
これは現金、つまり国が発行する紙幣や硬貨にかわり、おカネを電子データの形で発行する、というものです。

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最近は、日本でもキャッシュレス決済がすすみ、お店での支払いや電車に乗るときに、現金ではなくスマートフォンで決済したり、ICカードを使ったりする方も多いのではないのでしょうか。
この場合、支払いこそ、現金でするわけではありませんが、銀行口座に振りこまれたり、プリペイドカードに入金されたりした現金が元になっているわけです。

これに対し、「中央銀行デジタル通貨」は、現金そのものを電子データに置き換える、つまり、紙幣やコインが姿を消す日が来るということです。スマホなどで支払いを済ますことができる、という使い勝手の点では、これまでのキャッシュレス決済とあまり変わらないかもしれません。ただ大きな違いは発行主体が中央銀行、つまり国であること。その国に対する信用を反映したものになる、ということになります。

さて、この中銀デジタル通貨への関心が今、世界的に高まっています。
関係者は「デジタル通貨を巡る状況がこの半年で急激に変わった」と口々に言います。いったい何が変わったというのでしょうか。
大きな潮目の変化は去年の夏。きっかけは3つあったといわれています。

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最初のきっかけはアメリカの巨大IT企業フェイスブックが打ち上げた「グローバルデジタル通貨・リブラ」の構想でした。
世界中に20億人以上のユーザーをもつフェイスブックが、どの国にいても使えて、ドルや日本円と同じような価値を持つデジタル通貨を、2020年中にも発行したいと発表したのです。メールを送るような手軽さと安い手数料で、支払いも、海外への送金も、可能になる。このアイディアは、世界中で大きな注目を集め、国際送金に時間と高い手数料をとられている利用者からは、歓迎の声も聞かれました。これが日本を含む、各国の中央銀行関係者への「目覚まし時計」の役割を果たした、と指摘されています。社会のデジタル化が急速にすすんでいるのに、自分たちは時代の要請にあった通貨を提供できているのか。民間企業がライバルとして現れたことで、中央銀行の役割が逆に問われる形にもなったわけです。

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2つめは、このフェイスブックの動きに触発された中国の動きです。通貨・人民元の偽造対策など国内的な問題も背景に、中国はデジタル人民元の研究を数年前からすすめていました。が、アメリカ企業に世界の通貨を牛耳られてはたまらないとばかりに、実用化に向けた動きを加速させると表明したのです。ゆくゆくは、デジタル人民元を一帯一路ならぬデジタルシルクロードの周辺国に広げ、デジタル人民元とその技術を「世界標準」にしたいという思惑もある、とみられています。

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そして3つめは、第2次世界大戦以降、続いてきたドル基軸通貨体制への挑戦、という点です。去年8月末にアメリカ西部の避暑地ジャクソンホールで開かれた各国中央銀行関係者の会合。ここで大きな反響を呼んだのが、イングランド銀行・カーニー総裁の大胆な提言でした。新興国の成長によって世界が多極化しているにもかかわらず、アメリカ・ドルへの一極集中が続くことが弊害をもたらす可能性がある、とカーニー氏は指摘しました。いずれ、時代の変化にあった新しい国際通貨秩序が必要になる、その中でデジタル通貨がドル基軸通貨体制を変えるきっかけになるかもしれないと述べたのです。専門家はこれがデジタル人民元を推し進める中国の動きとあいまって、ヨーロッパの当局者にデジタルユーロの検討をすすめるべく背中を押したのではないかと話しています。

ここで一つ強調しておきたいのは、基軸通貨、つまり世界でより多く使われる通貨をもつ国は絶大な力をもつことになるということです。アメリカが第二次世界大戦以降、繁栄を続けてこられたのも、ドルが世界で最も使われる通貨になり、ドルがなければ国際取引をするのが難しい。ドルを手に入れるにはアメリカと取引を続ける必要があり、それがまたアメリカの富を拡大させる、というしくみがあったからです。
現状を維持したいアメリカは、このため、デジタル通貨の発行に消極的でした。
しかし、スマートフォン一つあれば使えるデジタル人民元やデジタルユーロが、銀行口座を持たない途上国の人々にも広く使われるようになれば、ドル基軸通貨体制が揺らぐ可能性もあります。アメリカも、「今後5年間は必要ない」としながらも「分析は独自に続ける」としており、将来は、姿勢を柔軟に変えてくる可能性もあります。
これが、新たな通貨覇権争いの火種になることも予想されます。

こうした動きを受けて、2020年は「デジタル通貨元年」になるのでは?という声もきかれます。

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この分野で先行しているスウェーデンはe-クローナの試験運用を始めると発表しました。中国も今月1日からデジタル人民元の発行の下地になるとみられる「暗号法」を施行し、いよいよ地域限定のトライアルをスタートさせるのではとみられています。
アジアでも、タイと香港が先週、共同研究リポートを公表しています。
国際決済銀行が同じく先週、発表した最新の調査結果では、デジタル通貨を今後3年以内に発行する可能性がある、と答えた中央銀行は66行中、1割。
6年以内に発行する可能性がある、と答えた中央銀行は全体のおよそ2割と、前の年にくらべ、2倍に増えています。

では、日本はこの先、どうするのでしょうか?
日銀はこれまで、国内では現金決済が主流であることや、安全性の確保の問題から、「デジタル通貨の発行を検討していることはない」と、慎重な姿勢でした。

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ただここにきて、5つの中央銀行や国際決済銀行と新しい枠組みで共同研究に踏み切るのは、急激な変化を迎える時代の要請で、デジタル通貨が必要になった場合に迅速に対応できるよう、備えは十分にしておきたい。という考えがあるとみられます。
共同研究では、この分野の第一人者といわれる国際決済銀行のクーレ局長を座長に、先行するスウェーデンの知見も取り入れながら、年内にも報告書をまとめる予定です。

中銀デジタル通貨は、海外送金にかかる時間と手数料の削減、偽造対策や脱税防止に役立つと考えられます。
一方で、サイバー攻撃にどう対処するのか。
中央銀行が直接デジタル通貨を発行することになった場合、民間の金融機関の経営にはどのような影響が出るのか。
そして、個人の買い物や送金履歴がネット上に残る場合、個人情報をどう保護するのか。
こうした問題を克服する制度設計が、果たして、可能なのかは、大きな課題になるとみられます。

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技術革新により急速にすすむ社会のデジタル化。そして変化する各国のパワーバランス。2つの波が重ねて押し寄せる中で、戦後から70年あまり続いてきたドルを中心とする国際通貨体制が変わる潮目となるかが注目されます。
新たな形の通貨の模索は、私たちの生活や日本の国家戦略にも、大きな影響を及ぼす可能性があります。時代の変化に備え、利用者の視点も踏まえた、幅広な議論も、必要になってくるのではないでしょうか。

(櫻井 玲子 解説委員)


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