沖縄県の首里城の大規模な火災は、太平洋戦争末期の沖縄戦で破壊された首里城を30年かけて修復したものが一夜で失われたことで地元沖縄だけでなく、全国に大きな衝撃を与えました。この問題について、文化担当の高橋委員とともに考えます。
首里城の火災、本当に衝撃的でした。
【高橋】
私も映像を見て言葉を失いました。
火災は先月31日の未明に起き、11時間にわたって続きました。
中心的な建物の「正殿」をはじめ、合わせて7つの建物が焼けたほか、中にあった絵画や漆器なども被害を受けました。火元は正殿の1階とみられ、消防は電気系統のトラブルの可能性が高いという見方を示しています。
【西川】
首里城は、今から500年以上前、琉球王国時代に建てられました。3度の焼失、再建を経て、沖縄戦でアメリカ軍の攻撃を受けて徹底的に破壊された歴史があります。今回火災に見舞われた正殿の復元作業は1989年に始まり、今年2月に30年にわたる復元プロジェクトが完成したばかりでした。正殿は本土の城では天守にあたります。戦災で失われた全国各地の天守の多くは1955年ごろから復元されていますから、いかに時間がかかったのかがわかります。
県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦を経験している人たちにしてみれば、戦争で失われたものを生き残ったものの責任で再建したという強い思いがあったと言います。今回の復元では、戦時中、旧日本軍の駐屯地として使われていた装飾などのないある意味、無味乾燥な首里城ではなく、1879年のいわゆる琉球処分以前の王国時代の首里城をよみがえらせることを目指しました。沖縄戦でほぼ何もない状況から、本土に移り住んでいた旧王家に残された詳細な古文書や戦前の東京の研究者の資料を見つけ出し、沖縄の伝統技術の粋を集めたものが完成しました。赤瓦の屋根に漆塗りの正殿は、「巨大な琉球漆器」とも言われ、その象徴でした。
今回、短時間で燃え崩れてしまったのには、スプリンクラーがなかったことが指摘されていますね?
【高橋】
首里城の正殿には、自動火災報知器や消火器などは設置されていました。しかし、早い段階で自動的に消火するスプリンクラーは設置義務がなく、ついていませんでした。
専門家は「木造の建造物は、一度燃え始めると中に入ってまで消火するのは難しく、初期消火が重要だ」と指摘しています。
スプリンクラーはこうした初期消火に効果を発揮するため、映画館や百貨店といった人が集まる場所などには、建物の面積に応じて設置が義務づけられています。ただ、歴史的な建物だからといって特別につける必要があるわけではなく、対応には差が見られます。
例えば姫路城の場合、世界遺産に登録されたのをきっかけに防火対策が強化され、4つある天守の天井部分など合わせて1078か所にスプリンクラーが設置されています。1997年から6年がかりで、国の補助金を含め総額で10億円近くをかけて整備を進めたということです。
ただ、こうしたケースは少数にとどまっています。配水管を通すことで建物を傷めたり、見た目を損ねたりする可能性があるほか、誤作動や漏水によって建物や展示品を損壊させてしまうおそれもあるからです。
【西川】
首里城の正殿には、御差床(うさすか)と呼ばれる玉座や金の龍と五色の雲が描かれた朱柱など絢爛豪華な復元品が展示されていました。施設管理の担当者は防火には神経をとがらせていたと言い、設置義務のない屋内の消火栓も整備していたと言うことです。一方で、復元に携わった沖縄の専門家によりますと、内部を含めた正殿全体が装飾品という考え方があり、その中にスプリンクラーのむき出しの配水管などを設置することは難しかったと言います。
【高橋】
全国の文化財では、スプリンクラー以外の防火設備についても、心もとないデータが出ています。
文化庁は、ことし4月に起きたフランス・パリのノートルダム大聖堂の火災を受けて、国宝や重要文化財に指定されている建造物を対象に、防火設備の緊急調査を行いました。
それによりますと、回答があった4543棟のうち、9割以上(92.8%)にあたる4218棟は、全部または一部が木造で建てられています。その一方で、全体のおよそ20%(19.2%)にあたる871棟では、消火栓などの消火設備が「30年以上たっている」と回答しています。木造という潜在的なリスクがあるなかで、肝心の消火設備は老朽化によって機能が低下しているおそれがあることが分かったのです。
さらに今回、新たな課題として浮き彫りになったのは、「復元文化財」とでも言うべき、復元された歴史的建造物に対する防火対策の重要性です。
首里城跡(あと)は国の史跡で、2000年に世界遺産に登録されました。ただ、今回焼失した建物はその範囲には含まれず、復元されているため国宝や重要文化財ではありません。
とはいえ、建物は冒頭にあったように沖縄の伝統技術が集められていますし、すぐ下には国の史跡として保護が図られている遺跡があります。「復元」だからといって、防火対策をないがしろにしていいわけではありません。
「復元文化財」は、再建された城の天守や、遺跡の上に建てられた古代の建物などが各地に作られています。
文化庁は、首里城で火災があったその日のうちに自治体などに通知を出し、国宝や重要文化財だけでなく、史跡内に復元された建物などについても防火設備の点検や確認を行うよう求めました。
国宝・重要文化財の建造物の防火対策については、文化庁がことし9月、「防火対策ガイドライン」をまとめ、細かなチェックポイントを示しています。これを、「復元文化財」でも積極的に活用するなど、これまで以上のきめ細かな防火対策が必要です。
【西川】
まずは原因の究明と再発防止策が喫緊の課題というわけですが、ここからは、今後の問題、首里城をどうするのかについて考えたいと思います。沖縄県の玉城知事は、火災の翌日には政府に対し、首里城の早期再建に向けた支援を要請し、沖縄の本土復帰から50年となる2022年までに再建計画をとりまとめる考えを示しました。図面や必要な建材などの詳細なデータは今回の復元作業で残されています。一方で、財政面を含め、再建の課題を整理する必要があります。中でも大きな課題が2つあります。まずは材料となる木材です。木造で2層3階建ての正殿には、大量の材木が必要です。ただ、国内では正殿に使える樹齢の長い木は入手が難しく、前回の復元では台湾産のヒノキが使われました。環境保護意識が高まる中で、今回も同じ方法で海外から調達するのは困難との指摘があります。
屋根の赤瓦の問題もあります。正殿に使われた赤瓦を手がけた職人が5年前に亡くなっているからです。この赤瓦には、今では手に入らない土がブレンドされているほか、高温で焼き上げる高い技術が使われているため、作れる人がいないと言います。このため沖縄の瓦職人の団体は、焼けてしまった瓦も廃棄せず、保存するよう求めています。
【高橋】
再建が簡単ではないというのはそのとおりですが、一方で指摘しておきたいのは、城が今の社会の中で果たしている役割です。
戦後、日本の各地で、空襲などで焼失した城の復元が進められました。3年前の熊本地震で大きな被害を受けた熊本城でも、急ピッチで復旧が進められ、大天守(だいてんしゅ)の外観は、ほぼ元の姿に戻りました。城が、地域の歴史を今に伝えるだけでなく、復興のシンボルや人々の心の拠り所になっているからです。
首里城も同様です。資材と人材の確保は、歴史的建造物を忠実に復元する際の大きな課題ですが、1つずつクリアして再建への道筋を立ててほしいと思います。
【西川】
「今まで当たり前のようにあったものがなくなってしまったことで、首里城の存在の大きさに改めて気付いた。」毎日のように首里城を横目に見ながら子どもを学校に送っていたという女性が、私に語ってくれた言葉です。言葉の通り、沖縄の人たちにとって、首里城は心のよりどころです。そのことに思いをはせ、寄り添う気持ちが今、求められています。
(西川 龍一 解説委員 / 高橋 俊雄 解説委員)
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