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「INF条約失効~核軍拡競争は止められるか」(時論公論)

津屋 尚  解説委員

世界は再び核の軍拡競争に逆戻りしてしまうのでしょうか。
30年余りにわたって2つの超大国の中距離核ミサイルを禁じ、核軍縮の象徴でもあった「INF・中距離核ミサイル全廃条約」が8月2日その効力を失いました。条約の歯止めがなくなったアメリカとロシアは中距離ミサイルの開発と配備に向かい、条約の拘束を受けずにきた中国は、日本などを射程におさめるミサイルの増強を続けています。INF条約がなくなった世界と日本が直面することになる様々な課題について考えます。

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解説のポイントは3つ。
▽世界最大の中距離ミサイル保有国・中国 
▽対応を迫られるアメリカ。
そして、▽新たな核軍縮の枠組みへの課題です。

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冷戦時代の1987年、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長が調印したINF条約は、射程500キロから5500キロの地上発射型の中距離ミサイルを禁じ、この条約に従って米ソは全ての中距離核ミサイルを廃棄、ヨーロッパで懸念された核戦争の危機を大きく低減させました。しかし、冷戦終結からおよそ30年、アメリカは、ロシアの巡航ミサイルなどの一部が条約に違反すると主張。ロシアもアメリカが地上配備するミサイル迎撃システム「イージスアショア」こそが条約違反だと反論。両者の対立は解消せず、INF条約はついに失効しました。

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■最大の中距離ミサイル保有国・中国■
条約が失効に至った直接の理由は米ロの条約違反をめぐる対立ですが、それ以上に重大な要因は、国際情勢が大きく変化したことです。冷戦時代の条約は、いまの情勢に合わなくなっていると多くの専門家が指摘していました。その最大の問題は、中国です。
中国は、米ロが条約に縛られている間に、着々と開発と配備を進め、いまや「世界最大の中距離ミサイル保有国」です。その数は、核・非核のミサイルをあわせて1900発にものぼるとされ、空母を撃沈する対艦弾道ミサイルの「DF21D」や、高い命中精度でグアムを攻撃可能な「DF26」などがあります。

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中国が保有するとされる核弾頭は290。ミサイルの射程の地図が示す通り、中国の中距離ミサイルの多くが日本を射程におさめています。この問題は日本の安全保障に直接かかわる問題でもあるのです。

■対応迫られるアメリカ■
他を圧倒する量と質を誇る中国の中距離ミサイル戦力に対して、匹敵する兵器を持ち合わせないアメリカは軍拡の“歯止め”になってきたINF条約をいわば“足かせ”ととらえてきました。ついにその“足かせ”がはずれたアメリカは早速、中距離ミサイルの開発に着手しようとしています。近く、新たなミサイルの発射実験にも踏み切るものとみられます。新たに開発する中距離ミサイルの配備先は、中国を強く意識して周辺のアジア太平洋地域が有力視されています。

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その際、新たに配備するミサイルについて、国防総省は次のような方針を示しています。
▽一つは、これまで禁じられてきた「地上発射型の中距離巡航ミサイル」に“通常弾頭”を搭載して配備するものです。「核弾頭」でなく「通常弾頭」にするのは、使用や配備へのハードルを下げるためと考えられます。そして、「その配備先の候補には日本も含まれることになる」とアメリカの専門家は指摘しています。
▽もうひとつは、“核”を搭載した巡航ミサイルを潜水艦や水上艦に配備し、海上から発射できる態勢をつくることです。この考え方は、去年発表された新たな核戦略の文書「核態勢の見直し」で明らかにされました。潜水艦に搭載されるのは、核爆発の威力を押さえた“低出力”の核弾頭です。
なぜ低出力の核か。アメリカが保有する核兵器はどれも威力が大き過ぎて、事実上「使えない兵器」でしたが、威力をおさえて「使える兵器」にしようとしているのです。こうした核兵器が将来、アジア太平洋で活動する海軍艦艇に配備されることになるなら、極東最大の米海軍の拠点である日本の米軍基地も一時的な寄港先になる可能性があります。
ただ専門家の間では、「この新たな核戦略がその言葉通り具体化されるかまだ不透明だ」とする慎重な意見もあり、その動向を冷静に見極める必要がありそうです。

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■核軍縮の新たな枠組みへの課題■
INF条約が消滅した今、米ロはもちろん国際社会が早急に取り組むべき課題は、中国も加わった新たな核軍縮の枠組みをつくることです。しかし、中距離ミサイルの戦力で独り勝ち状態にあり、核兵器の削減条約に一度も加わったことのない中国を軍縮交渉に引き込むのは容易なことではありません。アメリカの専門家は、「新たに開発する中距離ミサイルを中国の周辺に配備して軍事的な圧力をかけることが、中国を交渉のテーブルにつかせることにつながる」と指摘しています。
これは、冷戦時代、INF条約が締結されるに至った状況を思い起こさせます。ソビエトが中距離核の「SS20」をヨーロッパに配備したのに対して、アメリカは核軍縮を迫りつつ、「パーシングⅡ」を配備してソビエトを中距離核の脅威にさらしました。これによりソビエト側が交渉に応じ、INF条約締結につながったとされています。

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同じように今回アメリカは、中国が脅威を感じる状況を作り出そうとしているとみられます。この「毒をもって毒を制する」やり方は、軍事的緊張を高めることにもなるため、危うさがともなう一種の荒療治です。一筋縄ではいかない国家間のせめぎあいは、まさに日本の周辺で繰り広げられようとしています。日本はこの課題にどのように向き合うべきなのか、十分な議論が必要です。

■新STARTを維持できるか■
最後に、存続が危ぶまれている、もう一つの重要な米ロ間の条約についてです。
「戦略核ミサイル」の削減を定めた「新START」です。「戦略核」とは、ICBMや爆撃機などを使って米ロが互いの都市などを直接攻撃できる核兵器のことです。条約は、ミサイルなどに搭載する核弾頭の上限を1550に制限していますが、1年半後の再来年2月に期限を迎えます。この条約には、INF条約と同じように、互いを査察し検証するという重要な仕組みもあります。両国が合意すれば最大5年間の延長が可能ですが、延長をめぐって両国の主張には大きな隔たりがあります。
ロシアは単純な延長を求めていますが、アメリカは、ロシアが開発中の新兵器も対象に含めるよう主張しています。具体的に想定しているのは、▽アメリカのミサイル防衛網をかわして音速の20倍以上で飛行する「極超音速兵器」や、▽大陸間の水中を長距離移動してアメリカ本土を攻撃可能な「核魚雷」などです。
「INF条約」と「新START」は、米ロの核軍縮のいわば「両輪」でしたが、今回その片方が消滅。もし新STARTも失効することになれば、特定の核兵器を禁止または制限する条約は何もなくなり、査察や検証の仕組みも消滅してしまいます。米ロは何の歯止めもないまま開発競争を繰り広げることになるのです。米ロには、大局的な観点に立ち、新STARTを維持するための努力を強く求めたいと思います。

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INF条約の失効は、米ロの軍拡競争を再燃させただけでなく、軍拡の道をひた走る中国を規制する手段が何もない現状を改めて浮き彫りにしています。核保有国が本来取り組むべき核軍縮に背を向けたまま、世界はこのまま無秩序な軍拡競争に向かってしまうのか、あるいは、ピンチをチャンスに変えて、新たな軍備管理の枠組みに進むことができるのか、私たちは今、重要な分岐点にいるように思います。

(津屋 尚 解説委員)

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