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「危機に立つイラン核合意とペルシャ湾情勢」(時論公論)

出川 展恒  解説委員

■イラン政府は、アメリカの経済制裁によって、「イラン核合意」の約束が守られていないとして、7日、ウランの濃縮度を合意で決められた制限を超えて引き上げる対抗措置に踏み切りました。中東地域での核の不拡散と緊張緩和に寄与するはずだった「イラン核合意」の存続が危ぶまれる事態となっています。この問題を考えます。

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のポイントは、▼イランによる対抗措置の狙い。▼「イラン核合意」はどうなるか。そして、▼ペルシャ湾情勢への影響です。

■まず、イランによる対抗措置から見てゆきます。イラン政府は、製造する濃縮ウランの濃縮度を、「核合意」で決められた3.67%の制限を超えて引き上げると発表しました。最終的に何パーセントまで引き上げるのか、明らかにしていませんが、「原子力発電所の燃料を調達するため」と説明しています。

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ウランを、原発の核燃料や核兵器の材料として使うには、天然ウランの中に、ごくわずかに含まれる「ウラン235」の濃度を、遠心分離機を使って高める必要があります。これが「ウラン濃縮」です。原発用は、濃縮度3%から5%程度ですから、今回5%程度まで引き上げるものと推測されています。医療用は、およそ20%、そして、核兵器用は、90%以上が必要です。

イランは、核合意の成立前、濃縮度およそ20%のウランを製造していました。一般論として、濃縮度20%のウランをさらに濃縮し、90%以上に引き上げるには、さほど時間がかからないとされています。
敵対するイスラエルは、2012年頃、イランが数か月以内に、核兵器1個分の濃縮ウランを手にすると見て、イランの核施設への軍事攻撃を準備していました。

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■そして、今から4年前、アメリカのオバマ前政権が、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、中国とともに、イランとの間で「核合意」を結びました。イランが核開発を大幅に制限する見返りに、関係国がイランに対する制裁を解除する内容です。
イランに認められたウラン濃縮度の上限は3.67%。その備蓄量の上限は300キログラムと定められました。イランはこの合意を守り、IAEA・国際原子力機関が査察でそれを確認してきました。

ところが、トランプ大統領は、「核合意」は期限つきであり、イランが将来、核兵器を獲得するのを止められないとして、去年5月、一方的に離脱し、その後、イランに対する経済制裁を発動しました。今年5月には、イラン経済の生命線とも言える原油の輸出を全面的に禁止しました。イランと取り引きした外国企業も対象となる非常に厳しい制裁です。

▼今回イランが濃縮度を、3.67%から少しだけ引き上げたのはなぜでしょうか。ロウハニ大統領の発言から、その真意を読み取ることができます。

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「ヨーロッパ諸国と交渉を行い、核合意を守る“経済的な見返り”が約束されない場合は、イランも、核合意の義務を一部履行しない」「ただし、核合意の枠組みにはとどまる」という内容です。

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核合意を直ちに放棄することや、核兵器の開発に踏み出すことは考えていないと見られます。むしろ、核合意は維持したいが、アメリカの制裁で経済が打撃を受け、国民の不満が高まり、国内の保守強硬派から突き上げを受けたため、対抗措置を打ち出さざるを得なくなった。ヨーロッパ諸国は、納得できる経済的な見返りを約束してほしい。これが本音だと思います。

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ロウハニ大統領は、「ほかの当事国が核合意を完全に守るならば、われわれも完全に守る」「ウランの濃縮度は1時間で元に戻せる」とも述べています。当面、核兵器の開発が疑われない程度に濃縮度を抑え、ヨーロッパ諸国との交渉で、貿易取引などで最大限の約束を引き出そうという、「瀬戸際外交」に出たと言えます。

■しかし、ロウハニ大統領の思惑通り、事は運ぶでしょうか。今後、核合意が存続できるか、それとも、崩壊に向かってゆくのかについて考えます。
結論から言いますと、核合意が直ちに崩壊することはなさそうです。しかし、今後、ヨーロッパ諸国との交渉で、イラン側が、納得できる経済的な見返りを得るのは極めて難しく、核合意の枠組みを維持するのは、しだいに困難になると考えられます。

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イランは、今月1日、備蓄する低濃縮ウランの量が、核合意で制限された300キロを超えたと発表しました。核合意の義務を果たさない初めてのケースでした。
ウラン濃縮度の引き上げは、これに続くものです。しかし、ウラン濃縮度は、核合意の根幹とも言え、これまでイランの立場に理解を示してきたヨーロッパ諸国も、強い懸念を示しています。

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ドイツ政府は、7日、「極めて憂慮している。イランが核合意の義務に反するすべての行為をやめ、元の状態に戻すよう強く求める」という声明を出しました。
また、フランスのマクロン大統領は、6日、ロウハニ大統領と電話会談を行い、「濃縮度引き上げは、核合意の意義を弱める恐れがある」としたうえで、核合意の枠組みを維持するため、すべての関係国による対話の再開を目指す考えを明らかにしました。

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核合意を維持したいヨーロッパ諸国は、各国の企業が、アメリカの金融制裁の対象とならないよう、米ドルを使わず、ユーロ建てでイランと取引できる新たな貿易決済の仕組みを立ち上げ、運用を始めたところです。しかし、当面、薬や食品など小規模な取引にとどまる見通しで、イラン側が強く求める原油輸出を行うのは、手続き的に困難と見られています。
イランとしては、経済的な見返りのないまま、濃縮度を元のレベルに下げることはできない。アメリカやヨーロッパ諸国が合意義務を果たさない以上、イランも、合意義務を完全に守る必要はないと主張しています。

■3つ目のポイントです。イランが、今回、ウラン濃縮度を引き上げたことは、ペルシャ湾を舞台にしたアメリカとの軍事的な緊張に、どんな影響を与えるでしょうか。

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ペルシャ湾の入口にあり、世界のエネルギーの大動脈と呼ばれるホルムズ海峡の近くでは、この2か月で、合わせて6隻のタンカーなどが何者かの攻撃を受けており、アメリカやサウジアラビアは、イランの仕業だと非難しています。
先月20日には、ホルムズ海峡付近の上空で、アメリカ軍の無人偵察機がイランの革命防衛隊によって撃墜されました。トランプ大統領は、イランの軍事施設への報復攻撃を一時承認し、攻撃開始の直前に撤回したと、明らかにしています。
このように「一触即発」の緊迫した状況は、核合意をめぐる両国の対立が招いたものです。トランプ政権が、核合意から一方的に離脱し、制裁を発動していなければ、このような緊張状態は生まれていません。そして、トランプ政権は、濃縮度引き上げに踏み切ったイランに対し、何らかの追加制裁を科す構えです。

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トランプ大統領は、オバマ前大統領の最大の外交成果とされる「核合意」を葬り去り、イランの核開発を完全にやめさせる「新たな合意」を結ぶことを目指して、イランに強い圧力をかけると同時に、対話も呼び掛けています。これに対し、イランの最高指導者ハメネイ師は、トランプ政権との対話を一切拒否する姿勢を崩していません。
両指導者とも、「戦争は望まない」と発言していますが、トランプ政権内には、イランの体制転覆も考える強硬論者がいます。一方、イランでは、アメリカとの対決を主張する保守強硬派が発言力を強めています。核合意をめぐる緊張を背景に、今後、軍事衝突が偶発的に起きる恐れが高まっていると指摘されます。日本を含む国際社会は、アメリカ、イランの双方に自制を強く働きかけて、衝突の回避に努めるとともに、「核合意」を崩壊させないよう、イラン経済を支える有効な対策を、速やかに講じる必要があると考えます。

(出川 展恒 解説委員)


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