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「大崎事件 再審取り消しの波紋」(時論公論)

清永 聡  解説委員

40年前に鹿児島県大崎町で、男性を殺害した罪が確定し服役した92歳の女性に対し、最高裁判所は、再審・裁判のやり直しを取り消す決定を出しました。
この事件、地裁と高裁はいずれも再審を認めていました。相次いで認められた再審開始を、最高裁が覆したのは、初めてとみられます。
今夜は異例の展開となった「大崎事件」について考えます。
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【ポイント】
●なぜ再審が取り消されたのか。
●この事件では「ない」はずの証拠が何度も出てきました。
●最後に、今回の最高裁の決定が何をもたらすのでしょうか。
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【事件と再審の経緯】
昭和54年、鹿児島県大崎町で42歳の男性が、自宅の牛小屋の中から遺体で見つかりました。義理の姉である原口アヤ子さんが、当時の夫それに親族2人とともに、逮捕・起訴されます。タオルで男性の首を絞めて殺害したとして、殺人などの罪に問われました。アヤ子さんは一貫して犯行を否認しますが、全員の有罪が確定し、アヤ子さんも懲役10年で服役しました。
そして平成7年に再審・裁判のやり直しを求めます。

この事件、ほかの3人はすでに亡くなっています。
そして、▼彼女の犯行を直接示す物的証拠はまったくありませんでした。
▼死亡した男性は、遺体で見つかる前酒に酔って自転車ごと側溝に転落し、前後不覚の状態で倒れているところを自宅へ運ばれていました。
▼遺体を解剖した法医学者は当初死因を「窒息死」としていましたが、転落していたことを後から知って、判断を撤回しています。
つまり、この事件はそもそも殺人なのか事故だったのかが争われたのです。
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再審請求は3回行われました。3度目で地裁は、新たな専門家の鑑定結果をもとに、平成29年に再審開始を認め、高裁も去年「事故で死亡した可能性が高い」と判断してやはり再審を認めました。しかし検察が特別抗告し、最高裁で審理が続いていました。
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【最高裁の判断】
その最高裁で取材をしていると、よく「1審や2審とは違う」という言葉を聞きます。「基本的に、最高裁は事実関係を調べるところではなく、憲法違反か判例違反かなどを審理するところだ」ということです。
しかし大崎事件で最高裁第1小法廷は、この「事実関係」を職権で検討しました。そして地裁と高裁が決め手とした新しい鑑定結果について「遺体を直接見たわけではない。過去に行われた鑑定の情報や、解剖の12枚の写真からしか情報を得られず、証明力には限界がある。確定した有罪判決を覆すには足りない」と判断し、「取り消さなければ著しく正義に反する」とまで指摘して、再審開始を取り消したのです。
これについて最高検察庁は「適切な判断が得られたものと考えている」などとコメントしています。また、「書面だけのずさんな調べだ」という意見、「細かく厳格に判断している」という意見などがあります。
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しかし今回問われるのは、その内容よりも、そもそも最高裁がここまで自ら立ち入って判断したことが妥当だったのかどうかという点ではないでしょうか。
「疑わしきは被告人の利益に」という原則があります。また、最高裁も実際には、時に職権で事実関係の判断を行います。ただその判断が請求人を救済する方向ではなく、地裁や高裁がすでに検討した鑑定結果をまた調べて、2度認められた再審開始をあえて取り消し、自ら退ける。
鑑定の評価に疑問があったとしても、高等裁判所に差し戻しを命じ、殺人か事故かを高裁で改めて検討することはできなかったのでしょうか。踏み込んで覆した今回の最高裁の決定については、今後も議論となるでしょう。
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【また出てこなかった証拠】
今回の「大崎事件」では、証拠の扱いが問題となりました。
再審請求中、弁護団は検察が持ったままの証拠を明らかにするよう求めましたが、検察は「証拠はもう存在しない」「ひっくり返して探した」と回答していました。
ところが平成25年、裁判所が書面で勧告したところ、「ない」はずの証拠213点が警察や検察から新たに示されました。
3回目の時も「証拠はもはやこれ以上存在しない」と回答していました。しかし裁判所が求めたところ、その後、さらに18本ものネガフィルムが出てきます。
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弁護団は、「もし最初からこうした証拠が開示されていれば、再審請求の前の段階、つまり最初の刑事裁判の時点で、展開が異なったはずだ」としています。
しかしこの事件で証拠が適正に扱われなかったことについて、今回の最高裁の決定では、触れられていません。大量の証拠が長期間出てこなかった問題は、果たして「正義」に反しないのでしょうか。
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【証拠開示の制度議論を】
去年、この番組で、熊本県で起きた殺人事件、「松橋事件」の再審について解説しました。この事件もやはり証拠が後から見つかり、再審の決め手になりました。同じ課題は繰り返されています。
現在、刑事裁判は、裁判員制度をきっかけに、あらかじめ検察がすべての証拠をリストにして弁護側に示す制度が導入されています。しかし、再審請求は、この対象ではありません。証拠をどこまで出すよう求めるかは、裁判官に幅広い権限がゆだねられています。つまり裁判官にやる気があるかどうかで扱いが違うことになります。
日弁連は今年5月、再審請求での証拠開示を法律で整備するよう求める意見書をまとめています。制度の導入を検討するかどうか議論を本格化する時期に来ているのではないでしょうか。
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【今後の影響は】
今回の決定で、今後、別の事件でも再審請求が認められにくくなるのではないかと心配する声もあります。昭和50年の「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則が再審の判断にも適用されるようになって、再審の扉は徐々に開かれるようになったと言われます。
今回の最高裁決定は事例判断であり、ほかへの規範となる考え方を示したわけではありません。ただ、複数の専門家は現場に与える間接的な影響を指摘します。「1審や2審とは違う」はずの最高裁が自ら取り消したことで、今後地裁や高裁が委縮し、再審開始を出しづらくなるのではないかという懸念です。
裁判所には「疑わしきは被告人の利益に」という原則を踏まえ、再審の扉を狭めないようにしてほしいと思います。
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【原口さんは今】
今年2月。私は特別に許可をもらって、鹿児島県内の病院に入院している原口アヤ子さんを訪ねました。
このときアヤ子さんは、体調が一時的に悪化していました。それでも弁護団の鴨志田祐美弁護士が、「最高裁の決定はもうじきだからね」と語りかけた時には、目を開き、懸命にうなづく姿が、印象的でした。
すでに92歳。逮捕から40年間一貫して無実を訴え続け、地裁と高裁で再審が認められながら、待ち望んだ最高裁によって、再審が取り消されたアヤ子さんは、今、何を思うのでしょう。

弁護団は、今後4度目の再審請求を行う方針です。ただ、おそらく、また時間がかかるでしょう。
法律は、再審請求が有罪の確定した人の「利益」のためにあると記しています。
どうか、そのことを忘れず、制度の改善を進めてほしいと思います。

(清永 聡 解説委員)

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