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「悲劇を繰り返さないために 孤立を防げ」(時論公論)

飯野 奈津子  解説委員

川崎市で小学生らが襲われ20人が死傷した事件から、連鎖するように起きてしまった農林水産省の元事務次官の父親が息子を刺したとして逮捕された事件。家庭内暴力を受けていたという父親は「川崎の事件をみて不安に思った」という趣旨の供述をしているということです。こうした事態に、引きこもりは危ないという偏見や誤解が広がりかねないと懸念する声があがっています。

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解説のポイントです。

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●衝撃を与えた二つの事件
●引きこもりに悩む人たちに広がる不安とその軽減のために今できること
●悲劇を繰り返さないために、孤立をどう防ぐか、考えます。

<二つの事件>
まず、事件の概要です。
先月28日川崎市で、小学生らが包丁で刺され20人が死傷した事件。容疑者の51歳の男は長期間仕事につかず、引きこもり傾向にあったと、親族の相談を受けた川崎市が明らかにしました。容疑者が自殺したため、動機の解明にはいたっていません。
この事件が影響したとみられるのが、農林水産省の元事務次官、熊澤英昭(くまざわ・ひであき)容疑者が44歳の長男を刺したとして逮捕された事件。4日後の今月1日に起きました。家庭内暴力を受けていたという父親は「川崎の事件をみて息子も周りに危害を加えるかもしれないと不安に思った」という趣旨の供述をしているということです。

<広がる不安と戸惑い>
こうした事態に、ひきこもりの当事者や家族の間に不安と戸惑いが広がっています。

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先月川崎の事件が起きた後、当事者や家族らの団体は「事件とひきこもりを短絡的に結び付けると、無関係の当事者を深く傷つけ、誤解と偏見を助長する」などと懸念する声明文を出しました。そうした中で起きてしまった元事務次官が逮捕された事件。相談窓口には、今も「自分が犯罪予備軍と周りから見られていると思うと外出が怖くなる」「自分の子供は大丈夫だろうか」といった相談が相次いでいて、今回の事件で追い詰められている人たちが少なくないといいます。
取材した家族からは、報道でこれ以上、引きこもりという言葉を使ってほしくないという声もありましたが、あえてこの問題を取り上げるのは、冷静で正しい情報を共有して、同じような事件を繰り返してほしくないという思いがあるからです。

<不安軽減に今必要なこと>
専門家に話をききますと、引きこもりはまじめでおとなしい人に多く、外にむけて怒りを向けるケースはむしろまれ。逆に偏見が広がれば広がるほど、生きづらさが助長され、孤立を深めることにつながってしまうと指摘します。

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●広がる不安を軽減するためにまず必要なのは、「ひきこもりだから事件を起こすのではない」このことを社会全体で共有することだと思います。ただし、孤立を深め何らかの理由や背景があって社会に向けて怒りをぶつけるケースがまれにあることも確かで、川崎の事件の容疑者もそうでした。事件の前に何があってなぜ凶悪な事件に至ったのか、それまでの社会体験や生育環境も含めて動機・背景を解明することが、必要だと思います。そして、
●ひきこもりに悩む当事者と家族に伝えたいのは、世間の目を気にせず、勇気を出して第三者に相談してほしいということです。
元事務次官が逮捕された事件では、家庭内暴力に悩んでいた家族が、どこにも相談した形跡はなく、自分たちで抱え込んで追い詰められたことが、悲惨な事件につながったと多くの専門家がみています。
公的な相談窓口は、全国の都道府県や政令市にある、ひきこもり地域支援センターや各市に設けられている生活困窮者自立支援制度の窓口。また、各地の家族会の活動を支援するKHJ全国引きこもり家族会連合会などNPOや市民団体も年齢を問わず相談を受けています。家族会などの中には親同士、当事者同士が思いを語り合う場を設けているところもあって、そこに参加すると、悩んでいるのは自分だけではないと気持ちが軽くなるという声も聞かれます。

<求められる相談後の支援体制>
その上で、今後重要になってくるのが、相談を受けた後にどう支援していくかということです。生きづらさを抱えている人たちが社会から孤立することがないよう、一人ひとりの状況に応じた支援体制を整えていく必要があります。
こう話をすると社会に溶け込めないことも自己責任。支援は必要ないと考える人がいるかもしれません。ですが、そうして突き放してしまうことが、孤立を深め、不満を募らせ、事件を起こすとことにつながるのではないでしょうか。本人や家族のためというだけでなく、社会のセーフティネットのひとつとして、支援することが求められていると思うのです。

<中高年の引きこもりの実態>
今回、取材を通して強く感じるのは、とりわけ中高年のひきこもりへの対応が追い付いていないということです。これまで引きこもりは不登校の延長や就職活動での躓きがきっかけと考えられてきたので、公的な支援は若い世代を対象にした就労支援が中心でした。ですが、引きこもりが長期高齢化していることが、今年3月に公表された国の調査でも明らかになっています。
国の調査では、引きこもりの定義を、自室からほとんど出ない状態に加え、趣味の用事や近くのコンビ二以外に外出しない状態が6ヶ月以上続く場合としています。

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40歳から64歳までの人を対象に初めて行ったところ、その状態の人は推計で61万3000人。これまでの調査で推計された15歳から39歳までの54万人1000人を上回っています。
引きこもりの期間をみますと5年を超える人たちが半数以上にのぼり、20年以上という人も2割近くいます。きっかけも「退職」や「病気」などさまざまです。中高年がいったん仕事を辞めると再就職も難しく、引きこもりが長期化するほど、周りに支援を求めづらくなって、社会からの孤立につながると専門家は指摘します。

<地域ぐるみで孤立防止策の充実を!>
ではこうした現状にどう対応すればいいのか。参考になるのが地域ぐるみで支援する、大阪豊中市の取り組みです。
市の社会福祉協議会が10年以上前にはじめた引きこもり家族の交流会。その中で生まれたのが当事者のための居場所です。手作りで仕上げたものを販売したり農業に取り組んだり。一人一人の得意なことを生かせる活動をすることで、自己肯定感を引き出すのがねらいです。昼夜が逆転していれば朝10時にこられるようになる。とりあえず2時間働ける体力を作る。そういうところから始めて、自信がついたら、団地のそうじやバザーでの接客など、地域の協力を得ながら少しずつ仕事をしていきます。これまでに参加したのは100人以上。会社勤めを始めた人だけでなく、得意な漫画を描いて本を出したり、詩をかいて広報誌に載せたり。いろいろな形で地域とかかわれるようになっています。

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この取り組みから見えてくるのは、決して急がず、一人ひとりの状況に応じて一歩一歩進むことの重要性。地域の人たちの理解と協力も欠かせません。地域を巻き込んで仕組みを動かす温かさと行動力を備えた人材も必要です。

いったん会社を辞めてひきこもったら、そこからなかなか抜け出せないのはなぜなのか。
引きこもりに悩みながらも誰にも相談できずに家族が孤立するのはなぜなのか。
取材を通じて感じるのは、効率性を追求し、一人ひとりの個性を大事にできなくなっている今の社会、そして、生ききづらさを抱えている人たちに無関心になっている私たちの意識が、背景にあるように感じます。
社会から孤立して生きづらさを抱えている人たちが一歩を踏み出せるかどうか、私たちの社会のあり方そのものが問われているのではないでしょうか。

(飯野 奈津子 解説委員)

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