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「『長期戦略』温暖化を食い止められるか」(時論公論)

土屋 敏之  解説委員

 地球温暖化対策の「パリ協定」で各国が策定するよう求められている長期戦略。G7で未だ提出していないのは日本とイタリアだけです。政府は先月ようやくその案を示し、ちょうど現在、意見募集のためにインターネット上で公表しています。年々進む温暖化をどう食い止めるか?長期戦略案から見える方向性と課題を考えます。

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 そもそも、この「長期戦略」とはどういうものでしょう?地球温暖化による熱波や、暴風雨などの災害、そして生態系の破壊から食糧危機にまで及ぶ様々な被害を避けるため、パリ協定では、今世紀末の気温上昇を産業革命前に比べ2℃より十分低く1.5℃に抑えることをめざす、と合意されました。
 しかし、気温上昇を1.5℃に抑えるためには2050年頃には世界全体の温室効果ガスの排出を実質ゼロにする、いわゆる脱炭素社会を実現する必要があり、2℃まで許容したとしても2075年頃には実質ゼロにする必要があると見積もられています。それを実現するために不可欠な2050年以降に及ぶ温暖化対策の計画こそが「長期戦略」です。
 つまり、これまでに日本が提出済みの「2030年に26%削減」などの目標はあくまで「途中のプロセス」であるのに対し、長期戦略こそが実質排出ゼロの脱炭素社会という「ゴールへの道筋」とも言える重要なものです。
 そのため、パリ協定では各国にこの長期戦略の策定を求めています。特にG7の先進国は率先して提出することを3年前の伊勢志摩サミットで宣言したにもかかわらず、その中で日本とイタリアだけがまだ提出していません。そこで、来月日本で開かれるG20までにこの長期戦略を策定するよう安倍総理大臣が指示し、ようやく先月23日有識者を集めた会合でその案が示されました。

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 主な内容を見てみましょう。「成長戦略としての長期戦略」と仮称されたこの政府案では、まず「最終到達点として脱炭素社会をめざす」としています。ただし、温暖化する度合いを左右するその実現時期は「今世紀後半のできるだけ早期」とするに留まり明示しませんでした。具体的な数字としては、2050年までに温室効果ガスの80%削減に向けて取り組む、としています。この数字は以前から政府が挙げていたものです。
 そしてその方法としては、「ビジネス主導による非連続なイノベーション」によって大幅削減を目指すと共に経済成長を実現する、としています。この「非連続なイノベーション」とはどういう意味でしょう?一般には技術革新の意味で使われることが多いイノベーションという言葉ですが今回の政府案には度々登場し、まだめどが立っていない新技術だけでなくそれを社会に普及させるための低コスト化の方法なども含んだ幅広い意味合いで使われています。

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 期待されているイノベーションの一例を挙げると、「ゼロカーボン・スチール」つまりCO2を出さない製鉄、というものがあります。
 日本の産業の中で鉄鋼業はCO2の排出量が最も多い分野です。大きな原因は、天然の鉄鉱石が酸素と結びついた「酸化鉄」の形で存在しているため、そこから酸素を取り除いて純粋な鉄にする工程にあります。現在この工程にはコークスつまり炭素を鉄鉱石を共に加熱することで酸素をCO2の形にして取り除いています。そのため鉄を作るにはCO2の大量排出は避けられないとこれまで考えられてきました。しかし、コークスの代わりに、水素を使って鉄鉱石の酸素を取り除くこともできるとわかってきました。これだと排出されるのはCO2ではなくただの水にできます。実現には水素が現在の10分の1の値段で安定供給されることなどまだまだ多くの条件がありますが日本が世界に先駆けて実現できるか期待されます。

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 このように期待されるイノベーションのひとつが水素を再生可能エネルギーなどで安く大量に製造する技術やその利用法です。他にCO2を回収してそれを資源として再利用する方法や高速炉や核融合などの原子力技術の実用化も政府案では挙げられています。
 そして、これらのイノベーションがビジネス主導で進みやすくするよう資金が循環する仕組み作りを推進するとしています。こうした政府案のねらいは「成長戦略としての長期戦略」というタイトルそのものにも現れています。温暖化対策として国際的に求められていた長期戦略を日本は経済成長のための戦略として策定するというわけです。案を示した経産省の幹部は「他国に類のないものができた」と胸を張りました。

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 では、これでめざす脱炭素社会を実現できるのでしょうか?もちろん温暖化は日本だけでなく世界全体で取り組まなければ解決できない問題ですが、この案を肝心の温暖化対策として見ると課題も少なくありません。
 まず、石炭火力発電の扱いです。石炭火力はCO2の排出量が最も多い電源ですから、排出ゼロのいわゆる脱炭素社会とは、基本的には両立しません。そのため世界的に石炭火力から投資を引き上げる動きが強まっており、有識者会合では長期戦略での全廃を求める声も相次ぎました。しかし、産業界には依然、価格の安さから石炭火力の必要性を訴える声が強く、「依存度を可能な限り下げる」という表現にとどまりました。
 さらに大きな課題は、脱炭素社会に向かう具体的な施策を示さず、あいまいな「ビジネス主導の非連続なイノベーション」を前提として削減を目指すとしている点です。これは言葉を換えれば、革新的な技術などが現れ、温暖化対策がビジネスとして儲かるようにならなければ大幅な排出削減は進まなくても仕方がない、とも受け取れます。
 この疑問は分野別の内容からも浮かびます。私たち国民の生活を含む「地域・くらし」の分野では2050年までに実質排出ゼロを目指すと具体的な目標設定をしているのに対して、産業や、電力などのエネルギー分野には具体的な数値目標などが設定されていません。これには違和感を感じる方も多いのではないでしょうか?国民一人一人が生活からの排出をゼロにしろと言われてもできることは限られます。これに対し電力や産業によって生み出される製品が化石燃料を使わない物に変わっていけば国民生活も自然に脱炭素化が進むわけで、順序が逆ではないでしょうか?産業界の意向を重視するあまり実効性に疑問のある長期戦略になった感も否めません。

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 今求められているのは、不確実な将来のイノベーション頼みにする前に、まず現在ある手段で脱炭素社会へ踏み出す具体的な施策を示すことではないでしょうか?例えば、大量のCO2を排出する石炭火力は新設を認めず、時期を設定してフェードアウトしていく。あるいは、温室効果ガスの排出に応じて課税したり排出量を取引する「カーボンプライシング」についても具体的に検討すべきでしょう。単なる増税でなく現在の複雑なエネルギー課税などを整理して環境と経済を両立する税制にできれば、脱炭素社会へのイノベーションを促すことにもつながるでしょう。
 経済成長は言うまでもなく極めて重要です。問われているのは、それが目先の利益ではなく、温暖化が深刻化する将来にわたって持続可能な成長かどうか、ではないでしょうか。来月にはG20が開催されます。日本はそこで温暖化を食い止めるための道筋を示すことはできるのか?新たな時代、子供たちの世代に何を残せるのかが問われています。

(土屋 敏之 解説委員)

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