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「ゴラン高原の主権問題と国際秩序」(時論公論)

出川 展恒  解説委員

■アメリカのトランプ大統領は、イスラエルが占領するシリア領のゴラン高原について、イスラエルの主権を認める決定を行いました。これまでの国連安保理決議や国際法の原則に反するもので、シリアはもちろん、国際社会が一致して反対しています。これによって、中東地域の緊張が高まる恐れがあるほか、世界各地の領土紛争にも影響を与えかねません。トランプ大統領による一方的な決定の背景と、今後の中東情勢や国際社会に与える影響を考えます。
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■解説のポイントです。
▼トランプ政権がゴラン高原に対するイスラエルの主権を認めた背景。▼国際社会の反応。そして、▼今後の中東や国際社会に与える影響です。
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■1つ目のポイントから見てゆきます。
▼ゴラン高原は、イスラエルとシリアの国境に広がる丘陵地帯です。その面積は、大阪府くらいですが、戦略上、極めて重要な場所です。シリアにとっては、首都ダマスカスから60キロしか離れていません。イスラエルにとっては、もし、ゴラン高原が敵に支配されれば、高台から国土を見下ろされてしまうため、何としても確保したい場所です。さらに、ゴラン高原は、国内の水需要の3分の1を賄う水源でもあります。
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もともとシリアの領土ですが、1967年の第3次中東戦争で、イスラエルが占領し、その後、81年、一方的に併合を宣言しました。アメリカを含む国際社会は、イスラエルの主張を認めず、国連安保理決議により、ゴラン高原からの撤退をイスラエルに要求してきました。また、アメリカの歴代政権が仲介してきたイスラエルとシリアの和平交渉は、ゴラン高原のシリアへの返還を前提に進められてきました。
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▼ところが、トランプ大統領は、先月25日、訪米中のネタニヤフ首相との首脳会談に合わせて、ゴラン高原に対するイスラエルの主権を認める宣言に署名してしまったのです。トランプ大統領は、「イスラエルの自衛能力を強化するための歴史的な措置」と説明しています。
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▼背景には、9年目に入ったシリアの内戦があります。アサド政権を支援するイランが、シリアに派遣した革命防衛隊などの軍事組織が、ゴラン高原の近くでも活動しています。こうした軍事組織とイスラエル軍との間で、武力衝突も起きています。イランを最大の脅威と見るネタニヤフ政権は、ゴラン高原に対するイスラエルの主権を認めるよう、トランプ政権に働きかけてきました。
トランプ大統領が、このタイミングで、イスラエルの主権を認めた狙いは、主に2つあると指摘されています。
▼1つは、来週、投票が行われるイスラエルの総選挙で、苦戦を強いられているネタニヤフ首相を援護することです。
トランプ大統領にとって、ネタニヤフ首相は、敵対するイランの封じ込めをはじめ、自らの中東政策を進めてゆくうえで極めて重要な盟友であり、首相続投を強く望んでいるのです。
トランプ大統領は、去年、聖地エルサレムをイスラエルの首都と認定し、大使館を移転するとともに、イラン核合意から一方的に離脱しました。これに続いて、ゴラン高原の主権を認めますと、ネタニヤフ首相にとっては、これ以上ない援護射撃です。大きな外交成果としてアピールできるからです。
ネタニヤフ首相は、「またもや、勇気ある決断をしてくれた。あなたは、歴代アメリカ大統領の中で、イスラエルの最良の友だ」。こう、ほめちぎりました。

▼もう1つは、来年の自らの大統領選挙に向けた再選戦略です。
イスラエル支持の姿勢をいっそう鮮明にし、強固な支持層であるキリスト教福音派や、ユダヤ・ロビーにアピールする狙いがあると見られます。アメリカ議会は、与野党ともトランプ大統領の決定を容認しています。また、ゴラン高原は、聖地エルサレムとは異なり、イスラム教徒の宗教心を刺激しないこと。シリア内戦でアサド政権が国際的に孤立していることなどから、国際社会からの反発も限られたものになると見たふしもあります。
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■ここから、2つ目のポイントです。
▼トランプ政権の決定に、国際社会は一致して反対しています。イスラエルを除いて、賛同する国は1つもありません。とくに、当事国のシリア、そして、アサド政権を支援するロシア、イランが強く反発しています。シリアは、「何年たとうと、ゴラン高原がシリアの領土である事実は変わらない」と訴えました。ロシアは、「重大な国際法違反だ。シリアの内戦を収束させるうえでも障害となる」と主張。イランも、トランプ政権の決定は、「全くの違法で受け入れられない」と非難しました。EU・ヨーロッパ連合、そして、国連のグテーレス事務総長も、「ゴラン高原の地位は変わらない」と強調しました。
▼こうした中、国連安全保障理事会は、先月27日、シリアの要請で緊急会合を開きました。アメリカの代表は、「イスラエルの自衛権を守るため必要な措置だ」と主張しましたが、ほとんどの理事国は、「アメリカの決定は、かつて自らも支持した国連安保理決議や国際法に違反する」と強く批判しました。アメリカは拒否権を持っているため、非難決議の採択こそなかったものの、アメリカの孤立ぶりが浮き彫りになりました。

▼続いて、31日、アラブ連盟の首脳会議でも、この問題が主要な議題となりました。共同声明は、「ゴラン高原は、国際法で定められたシリアの領土であり、イスラエルの主権を認めるあらゆる企てを拒絶する。地位の変更は違法であり、何の効力もない」と明確に批判しました。合わせて、アメリカ大使館のエルサレム移転も拒否しています。
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■ここからは、3つ目のポイント、中東情勢や国際社会に与える影響についてです。
▼まず、アメリカの政策転換は、イスラエルとシリアの和平交渉に、壊滅的な打撃を与えます。イスラエルの歴代政権は、シリアとの和平と引き換えに、ゴラン高原をシリアに返還する腹積もりで、交渉に臨んできました。ところが、仲介役のアメリカがイスラエルの主権を認めたことで、両国の和平の可能性は、完全に閉ざされたと言えます。
さらに、トランプ大統領が模索しているイスラエルとアラブ諸国の関係正常化の可能性も遠のきました。アラブ連盟が全会一致で、今回の決定を批判しているうえ、アラブ諸国の人々の反イスラエル感情を刺激するからです。
そして、イランの影響下にある軍事組織が、シリアや隣のレバノンを拠点に、イスラエルに対する攻撃を活発化させる恐れもあります。そうなれば、ゴラン高原で長年活動を続け、以前、日本も陸上自衛隊を派遣していた、国連の平和維持部隊にも影響が及ぶでしょう。
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▼アメリカが、ゴラン高原に対するイスラエルの主権を認めたことの、より本質的な問題は、世界各地の領土紛争に与えるマイナスの影響です。「武力で領土を奪い、主権を主張することは認められない」という国連憲章や国際社会の大原則を無視したものだからです。イスラエルの主張がまかり通るなら、ロシアによるクリミア半島の併合も正当化されかねません。そして、日本にとっては、北方領土の問題があります。北方領土も、まさに、「武力による占領と一方的な併合」です。
菅官房長官が、先月26日の会見で、「わが国は、イスラエルによるゴラン高原の併合を認めない立場であり、変更はない」と述べたのは当然のことです。日本政府は、今後、いかなる局面でも、トランプ政権によるゴラン高原、および、エルサレムの主権に関する決定に、宥和的な姿勢をとるべきではありません。むしろ、首脳会談などの場で、トランプ大統領に、国際社会の一致した立場を伝える必要があると考えます。
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(出川 展恒 解説委員)

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