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「現役引退 イチローが残したもの」(時論公論)

小澤 正修  解説委員

再び想像を超えるプレーを見せてほしい。その思いを持ちながら試合をみたファンも多かったと思います。日米で数々の金字塔を打ち立てた大リーグ、マリナーズの45歳、イチロー選手が、東京での開幕2連戦を終えて、現役引退を表明しました。イチロー選手が、残したものについて考えます。
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解説のポイントです。
① 「記録」と「記憶」に残る現役生活。
② イチロー選手によって見直された、日本野球の価値。
③ そして、イチローが残したものについて、考えます
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▼「記録」と「記憶」に残るイチロー
元号が平成となってから4年後にプロ生活をスタートさせ、平成が終わりを迎える直前にユニフォームを脱いだイチロー選手。まさに平成とともに歩んだ、日米通算28年の現役生活でした。この28年で、イチロー選手は数え切れないほどの大記録を残しました。平成6年、レギュラーをつかんだ最初の年に、これまでの長い日本のプロ野球の歴史で、誰も到達したことのなかったシーズン200本安打を達成。その後、平成13年に野手として日本選手で初めて大リーグに移籍し、1年目でいきなり首位打者と新人王、MVPを獲得、その後もシーズン最多安打記録や、史上初の10年連続200本安打、史上30人目の3000本安打達成など、次々と驚異的な記録を打ち立てました。将来、日本選手で初めてとなるアメリカの野球殿堂入りは、確実だと言われています。
記録だけではなく、ファンの記憶にも強烈に残る選手でした。本名の「鈴木一朗」ではなく、カタカナの「イチロー」という異例の登録名に加えて、「振り子打法」での本格的なデビュー。ピッチャーの動作にあわせて右足を大きく振る、オリジナリティーにあふれたバッティングフォームを多くのファンがまね、社会現象にもなりました。
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魅了したのはバッティングだけではありません。大リーグ1年目にみせた3塁へのダイレクト送球は「レーザービーム」と称され、この言葉は、今や、好返球の代名詞としても使われているほどの印象を残しました。「守備でも目が離せない」。イチロー選手に打球が飛ぶだけで、球場が期待感に包まれていたのです。
スタープレイヤーは、高い技術だけでなく、プラスアルファの要素を必ず持っています。かつて昭和の野球界をけん引したヒーロー、一本足打法の王貞治選手と、天覧試合のサヨナラホームランをはじめ、チャンスにめっぽう強かった長嶋茂雄選手のいわゆるONのように、試合前の練習から試合終了まで、「目が離せない」存在感を持っているのも、その要素のひとつだと思います。走攻守、すべてに渡ってこうした要素を持っているイチロー選手も、「記録」にも「記憶」にも残る、平成のスーパースターだったと言えると思います。
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▼見直された日本野球の価値
ではそのイチロー選手の活躍にはどのような意味があったのでしょうか。私は日本の野球の価値を高めたことではないかと思います。日本のプロ野球は昭和11年、職業野球として発足してから、常に「アメリカに追いつき、追い越せ」を目標にしてきました。ピッチャーは戦前の沢村投手に始まり、我々も知る「トルネード」の愛称で親しまれた野茂投手や「大魔神」佐々木投手など、これまでアメリカでも高く評価された選手がいました。しかし、野手については、長くパワー不足を理由に、活躍は難しいとされてきました。イチロー選手が、渡米した時も、日本と同じような活躍は難しいのではないか、という声が多く聞かれました。イチロー選手もかつて「アメリカで首位打者をとりたいと言ったら笑われた」と振り返ったことがありますが、それでも「笑われたことを常に達成してきた」と、1年目から見事な適応力と技術を発揮。日本と同様、またはそれ以上にヒットを量産し、自らの実力を証明したのです。走攻守に、ふんだんに含まれたイチロー選手のスピードは、当時、パワーヒッターによる豪快なホームランが見せ場だった大リーグの球団やファンに新鮮さを与えたと思います。長打よりヒットに小技を絡める「スモールベースボール」を取り入れる球団も出て、イチロー選手が大リーグ単独でも殿堂入りに値する実績を積み上げるとともに、多くの大リーガーたちの言葉として、日本のレベルの高さがアメリカでも伝えられるようになりました。国別対抗のワールドベースボールクラシックでもイチロー選手は「スモールベースボール」を展開する日本の中心として大会2連覇を果たし、その後、数多くの野手の日本選手が大リーグで活躍する道を切り開いたのです。
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▼イチローが残したものは
昨夜の会見で、子供たちに向けて「自分が熱中できるものをみつければ、あきらめることなく自分の前に立ちはだかる壁に向かっていける」というメッセージを残したイチロー選手。数々の実績を残した原点は、どこにあるのでしょうか。
現役生活で一番印象に残っていることには、意外にも特定の記録ではなく、仲間たちからねぎらわれ、試合後も多くのファンが球場に残って、自分への声援を送ってくれた東京での現役最後の日をあげました。完璧にみえるイチロー選手の現役生活ですが、去年5月にチームの構想から外れて、球団の特別アドバイザーに就任。一部では事実上の引退とも伝えられる中、イチロー選手はチームに帯同し、復帰を信じて黙々とバッティング練習や体力トレーニングを続けました。イチロー選手は、この1年近い日々が、誰にでもできることではないかもしれない、とささやかな誇りを生んだ、というのです。
イチロー選手は、「一気に高みにいこうとすると今の状態とギャップがありすぎて続けられない。でも地道に自分のやると決めたことを信じてやっていく」と話しました。
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若い頃から、目標のために、試合前の練習から、時には周囲を寄せ付けない緊張感を漂わせ、自分の決めたルーティーンを確実にこなし、常に練習から完璧を求める。目標に近づくために、やれることはきちんとすべてをこなす。現役最後の日までの1年には、イチロー選手の野球人生が凝縮されているように感じました。年齢を考えると、翌年の可能性を信じて練習を続けるのは、心が折れてしまうことも当然あると思います。それを乗り越えられたのは、「野球への愛」を持ち続け、信念を持って日々を過ごす、イチロー選手の生き方だったと思います。
「最低でも50歳まで現役を続ける」と常々言っていたのも、言葉で表現することが、目標に近づく1つの方法だったからだと言います。
復帰も結果には結びつかず、イチロー選手は開幕から2試合で引退を表明しました。それでもイチロー選手は引退の決断に後悔はないと言い切りました。

「成功すると思うからやってみたい、できないと思うから行かないという判断基準では後悔を生むと思う。やりたいならやってみればいい。その時にどんな結果が出ようとも後悔はない」
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偉大な記録を残したイチロー選手の原点はこの言葉にあると思います。野球が好きだから、いつまでもプレーしたいし、期待に応えたい。そのためなら先行きが不透明な苦しいことにも全力で取り組める。現役は引退しましたが、最高のパフォーマンスを発揮してきた大選手の存在は、アスリートだけではなく、どんな年代のどんな分野の人たちにも、その胸の中に、長く刻まれ続けるだろうと思います。

(小澤 正修 解説委員)

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