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「児童虐待 なぜリスクを疑わなかったのか」(時論公論)

西川 龍一  解説委員

また、救えたはずの尊い命が失われる事件が起きました。千葉県野田市で小学4年生の女の子が自宅で死亡 し、両親が相次いで逮捕された事件は、子どもの命を守るはずの学校、教育委員会、児童相談所の判断ミス と連携不足が最悪の事態を招いたことが次々に明らかになっています。なぜこうした判断ミスが起きたのか 、防ぐ術はなかったのかを考えます。
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千葉県野田市の小学4年生の栗原心愛(みあ)さんは、先月24日、自宅のアパートの風呂場で死亡してい るのが見つかりました。警察は、冷水のシャワーをかけるなど暴行を加えたとして傷害の疑いで41歳の父 親を逮捕し、その後暴行を止めなかったとして31歳の母親も同じ容疑で逮捕しました。心愛さんは、父親 から繰り返し虐待を受けていたとみられているほか、母親もDVドメスティックバイオレンスを受け、逆ら えない状態だったとみられています。
心愛さんは、沖縄から野田市に移り住んだおととし11月、父親からの虐待が疑われ、千葉県の柏児童相談 所に50日間一時保護されていました。
虐待を児童相談所が把握していながら、なぜ、命を落とすことになったのか。
一時保護されるきっかけは、小学校で行われたいじめアンケートでした。「お父さんに暴力を受けている」 「なんとかなりませんか」と訴えていたことから学校は市の教育委員会に報告し、児童相談所の一時保護が 決まりました。
父親は一時保護中の児童相談所からの聞き取りに、虐待は否定していました。ただ、呼び出しには素直に応じるなど、改善の余地はあるとの判断で、一時保護は解除され、心愛さんは、父親の親族の家で保護されます。それから両親の元に戻るまでの間、学校、教育委員会、児童相談所と父親や親族との間で複数の話し合いが持たれていました。この間の対応の3つの段階でキーポイントとなる大きな問題があります。
それぞれを検証してみましょう。

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1段階目の問題は、去年1月、学校と市教育委員会との話し合いの中で起きました。心愛さんが書いた父親からの虐待を示すアンケートの内容を父親に伝え、教育委員会がコピーを渡したのです。いじめの被害者の告発をいじめる側に伝えるような事態です。父親から「誘拐するのか」「訴訟を起こすぞ」と威圧的な態度に出られたことで要求に屈したというのが、教育委員会側の説明です。
しかし、ここはむしろ、子どもの告発を親が知ることで、虐待がさらにひどくなることに考えを巡らせ、児童相談所に再度相談すべきでした。判断ミスと連携不足です。専門家によりますと、そもそも子どもが親から虐待を受けていることを明かし、学校に助けを求めるのは極めて希なことだと言います。学校は、いじめアンケートによって虐待の事実をあぶり出し、児童相談所につなぐなど、初期の対応は十分でした。それだけにこうした事後の対応は、残念でなりません。

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2段階目の問題は、心愛さんが、1月半ばに同じ野田市内の別の小学校に転校した時の対応です。転校は父親が強く希望したことが理由です。この際、児童相談所からは転校先の小学校に特に要望はなかったとうことです。心愛さんを受け入れた小学校は、一時保護を受けたといった経緯は把握していましたが、一時保護は解除され、「事態は好転している」という報告を受けていたと言います。本来、父親が元の学校の対応に不満を持ち、転校させたという可能性を踏まえ、経緯を注意深く見守るべき事案です。児童相談所の判断ミスによって、小学校の対応も不十分なものになった可能性があります。
心愛さんは、去年12月21日を最後に、学校には来ていませんでした。学校は先月初旬、父親から電話で「沖縄にいる」という説明を受けたものの、家庭訪問など特段の対応もなされなかったと言います。虐待が再発する可能性への意識を持ち続けていて、ここで関係機関に通報していれば、心愛さんは亡くなる前に保護されていた可能性があります。

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3段階目は、もっとも重要な、心愛さんが両親と再び暮らすことを認めるかどうか判断する過程で起きました。児童相談所との面会で、父親は恫喝的な態度に転じ、「お父さんに叩かれたというのは嘘です。児童相談所の人にはもう会いたくないので来ないでください。」などと心愛さんが書いたという文書を示しました。児童相談所の対応に不満を訴え、自宅に連れて帰ることを主張したのです。その際、父親は「児童相談所の職員個人を名誉毀損で訴えることも検討している」と述べたということです。
文書は小学生が一人で思いつくような内容ではなく、児童相談所も、父親に書かされている可能性が高いと認識したと言います。そうでありながら、児童相談所はその2日後、心愛さんを両親のもとに戻す判断をしました。児童相談所は学校で心愛さんが活発に活動していることなどを総合的に判断して虐待の再発はないと考えたと説明します。しかし、その時点では父親と同居していません。虐待の事実は否定しながらも、当初はおとなしく面会に応じていた父親が娘を戻すよう態度を一変させた時点で、同居による虐待のリスクはむしろ高まっていると判断すべき状況です。

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こうしてみますと、心愛さんの命を救うチャンスは何度もあったにも関わらず、それがことごとく逆の判断によって見逃されてきたことがわかります。最悪の事態から目をそらせ、事態は好転していると予断を持って判断してしまったと言えます。激高する父親を刺激したくないとの判断が働いたこともあるでしょう。「もっとも弱い立場である子どもの安全を最優先とする」という視点が欠けていたことは間違いありません。

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なぜこうした判断に至ったのかについては、検証が必要です。一方で増加の一途をたどる児童虐待への対応に追われる児童相談所は、構造的な問題を抱えています。長く児童虐待問題に取り組み、諸外国の児童虐待対策に詳しい医師の山田不二子さんは、児童相談所の業務の幅を根本的に見直すべきと指摘します。児童相談所は、虐待のほか、保健相談、育成相談、障害相談など子どもに関する多岐にわたる相談業務を担っています。これらの業務は、親が加害者である虐待と支援方法の考え方そのものが根本的に異なります。それを1つの組織が担当しているのです。このことは一般にはほとんど知られていません。こうした事情もあり、アメリカやイギリスの児童相談所にあたる組織が子どもの保護機関に特化して取り組んでいるのに比べると日本は業務量は群を抜いていると言います。虐待によって幼い命が失われるたびに、関係機関との情報共有の重要性や児童相談所の繁忙感などが繰り返し問題になります。事態が一向に好転する気配はないことを考えれば、虐待以外の相談業務を分離するなど、組織そのものを抜本的に組み替える時期に来ているのではないでしょうか。

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根本厚生労働大臣は、閣議のあとの記者会見で「児童相談所が保護センターとしての役割を果たせるよう体制の抜本的強化を行う」と述べました。今回の事件を受けて、政府は関係閣僚会議を開いて虐待が疑われる事案について1か月以内に総点検を行うことなどの対応策を決めましたが、同じことは、去年、東京・目黒区で5歳の女の子が虐待を受けて死亡した事件のあとも行われ、心愛さんのケースは見落とされていた形です。複雑化する児童虐待事案に真に対応できる体制見直しに国が舵を切ることができるのかが問われることになります。

(西川 龍一 解説委員)


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