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「"患者の意思が尊重されない"救急医療の課題」(時論公論)

村田 英明  解説委員

超高齢社会を迎え、自宅にいながら末期がんなどの病気や老衰で死亡する人が増える中、救急医療の現場では、延命を望んでいない患者に救命処置を行うべきかどうか、救急隊員が判断に迷うケースが増えて問題になっています。
きょうは患者の命を救う救急医療が直面している新たな課題について考えます。

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解説のポイントです。まず、救急医療の現場で、どんな問題が起きているのか見ていきます。そのうえで、患者が望まない治療を受けずに、穏やかな死を迎えられるようにするにはどうすればよいか、患者本位の医療を実現するための課題を考えます。

高齢化が進む中、病院を退院した後、自宅で長期間療養する人や入院せずに看取られる人が増えています。国が医療費を抑制するため、病院から在宅への移行を進めていることも在宅患者を増やしています。
そうした人たちの病状が急変したときに、病院への搬送や治療が、すばやく、
適切に行われるように「救急医療情報」というカードを高齢者に配る自治体が増えています。この救急医療情報には、患者の病歴や服用している薬、かかりつけ医や家族の連絡先などが書かれていて、本人が意識をなくしても、救急隊員や病院の医師がカードの情報を頼りに救命処置や治療を行うことができるようになっています。

この取り組みをさらに進めて、終末期を迎えた患者に延命治療を望むかどうか、
本人の希望を書いてもらう自治体が出てきています。

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その1つ、東京・八王子市では、病院や老人福祉施設、消防などの関係機関でつくる連絡会が、65歳以上の高齢者を中心にカードを配布しています。
カードには、「できるだけ救命や延命をしてほしい」「苦痛をやわらげる処置なら希望する」「なるべく自然な状態で見守ってほしい」という3つのチェック欄があります。連絡会では、延命治療を望まない人には「なるべく自然な状態で見守ってほしい」という欄に印をつけてもらい、患者の意思に反した救命処置や治療を減らそうと考えていました。ところが、実際には、印をつけていても、救急隊員が救命処置を施し、病院に搬送するケースが後を絶ちません。
例えば、末期がんで終末期の段階にある一人暮らしの高齢者が意識をなくしているのを訪問ヘルパーが見つけて119番通報した場合。駆けつけた救急隊員は、
患者が心肺停止の状態であれば直ちに蘇生を試みます。そのとき、八王子市では、別の隊員が救急医療情報のカードを探しますが、本人が延命を望んでいないことが分かっても、それだけでは救命処置は止められないといいます。

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隊員は、かかりつけ医や家族に連絡して救命処置をやめてもよいか確認をとろうとしますが、かかりつけ医と連絡がつかなかったり、家族の同意を得られなかったりして、中止できないのです。さらに、隊員は、蘇生などを中止すべきかどうかで悩みます。助かる命を救えないことに納得がいかず、家族を説得して、患者を病院に搬送する隊員もいるといいます。
患者が悩んだ末に延命を望まない意思表示をしても、救急の現場が、それをどう扱えばいいのか対応を決めていなければ、患者の意思は生かされないことになります。そして、そうした現場の混乱が広がれば、本来の救命活動にも支障が出るおそれが出てきます。

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こうした終末期の患者の救命をめぐる問題は、今後、深刻化すると見られています。厚生労働省の検討会が4年前に成人の男女2000人あまりに行った調査では、終末期にどのような治療を受けたいか、あるいは受けたくないか、書面で意思表示しておくことに賛成と答えた人は、およそ70%に上りました。

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このうち、実際に書面を作成していた人は3%あまりでしたが、これから日本は、高齢者が急増するのにともない死亡する人が大幅に増える、いわゆる「多死社会」を迎えます。また、みずからの死に備えて希望を書き留めておく「エンディングノート」への関心も高まっています。書面で意思表示する人は、今後、急速に増えると見られ、終末期の患者の意思が尊重されるように救急医療体制を整えることが新たな課題となっているのです。

こうした問題の解決に向けて学会が動き出しました。日本臨床救急医学会という救急医療に携わる医師や看護師、救急隊員などでつくる学会が、終末期の患者にどう対応するか具体的な手順を示した指針をまとめ、先月、公表しました。

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指針ではまず、救急隊員は、心肺停止の状態の患者を確認したら直ちに救命処置を開始するとしています。その際に、家族などから患者が救命を望んでいないと伝えられた場合は、かかりつけ医が書いた指示書や本人が作成した文書の提示を求め、書面で本人の意思を確認できた場合は、すぐに、かかりつけ医に連絡。連絡がつかなければ、救急隊員に電話で指示を出している別の医師に連絡して、医師の指示に基づいて、救命処置を中止するように求めています。
つまり、学会の指針では「書面による確認」と「医師の指示」、この2つを救命処置を中止する条件としているのです。ただ、これらの条件がそろったとしても、家族が救命を強く望んでいる場合は、本人の意思に関わらず、救命処置を止めてはならないとしています。

救命処置の中止は患者の死に直結する重い判断だけに間違いは許されません。判断を医師に任せるように求めた学会の指針は妥当だといえます。
しかし、学会の指針には拘束力はありません。現場が混乱しないようにするには、国が対策を打ち出す必要があります。

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ところが、救急隊員の対応について国は方針を明確に示していません。
終末期の治療方針をどう決めるかは、厚生労働省のガイドラインで手順が定められています。患者が医師と十分に話し合って方針を決めて、その内容を文書にまとめるようになっていますが、この治療方針に救急隊員がどう対応するかは示されていません。
一方、救急隊員が行う救命処置などの基準は、総務省消防庁が定めています。しかし、これにも、延命治療を望まない患者への対応は示されていません。
今回、学会がまとめた指針についても救急医療の現場でどのように取り扱われるか状況を見たうえで対応を検討したいとして、当面は様子見の構えです。
そうした現場まかせの状態が続けば、消防署によって対応にバラツキが出て、取り組みに差が広がるおそれがあります。住んでいる地域によって患者の意思が尊重されたり、尊重されなかったりするのは望ましいことではありません。
国は、終末期の患者に対する救命処置のあり方を早急に検討して、救急隊員がどう対応すればいいか方針を示すべきです。

それとあわせて、延命を望まない患者が救急車を呼ばなくても済むように、自宅で看取る体制も整えなければなりません。これについては静岡市で行われている取り組みが参考になります。

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静岡市静岡医師会では、自宅での看取りを希望する人には「グリーンカード」というカードを渡して医師会に登録してもらい、そうした患者の情報を消防と共有しています。このカードを持つ人が看取りの状態になったとき、家族がかかりつけ医と連絡がとれなければ、市の消防本部に電話します。すると、消防から連絡を受けた医師会の当番の医師が自宅に駆けつけて、かかりつけ医に代わって看取るようにしているのです。また、看取りの前の段階でも、病状が急変したときに、すぐに往診をしてもらいたい人には「シルバーカード」を渡しています。こちらも、消防本部に連絡すると、当番の医師や看護師が、24時間、いつでも往診するようになっています。
このような終末期の患者が自宅で安心して療養できる取り組みが広がれば、
救急隊の出動を減らし、望まない治療をなくすことにもつながります。

8年後の2025年には、戦後のベビーブームで生まれた団塊の世代が、すべて75歳以上になり、自宅で療養する患者が急増する見込みです。人生の最期を患者本人が望むかたちで終えられるように、救急医療の課題も踏まえて、在宅医療の体制づくりを急ぐ必要があります。

(村田 英明 解説委員)

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