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「韓国新大統領にムン・ジェイン氏」(時論公論)

出石 直  解説委員

9日、投票が行われた韓国大統領選挙は、革新系のムン・ジェイン氏が大差をつけて当選を確実にし、保守から革新へ9年ぶりの政権交代が行われることになりました。
新しい大統領は、核やミサイル開発を続ける北朝鮮とどう向き合うのか、そして日韓関係はどうなっていくのでしょうか? 

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【ムン氏とは】
ムン・ジェイン氏は64歳。苦学して大学に進み軍事政権に反対する民主化運動に携わりました。弁護士となってからは盟友だったノ・ムヒョン元大統領とともに人権問題に取り組み、ノ・ムヒョン政権では大統領府の秘書室長として大統領を支えました。ノ・ムヒョン氏の死後、その遺志を継いで国会議員となり野党の党首など要職を歴任しました。前回2012年の大統領選挙ではパク・クネ氏に僅差で敗れました。
謹厳実直な人柄から付けられたあだ名は“牧師”。両親は朝鮮戦争の際、アメリカの貨物船で北朝鮮から逃れて来た避難民です。このため両親の故郷である北朝鮮への思いが強いとされています。

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【選挙の構図】
今回の選挙は、前大統領が弾劾・罷免されたことを受けて行われた韓国憲政史上初めての選挙でした。投票日が決まったのはわずか2か月前、固い地盤と組織力を誇るムン・ジェイン氏が短期決戦を制した形です。韓国の大統領選挙はこれまで保守と革新という2大勢力によって争われてきました。しかし今回は選挙戦の構図が一変。革新系のムン・ジェイン氏、中道系のアン・チョルス氏、そして保守のホン・ジュンピョ氏による三つ巴の争いとなりました。

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【勝因】
ムン氏の勝因は、一連の事件で国民的な運動にまで盛り上がったパク・クネ前大統領への批判を自らの支持につなげたことでしょう。大統領を弾劾に追い込んだ最大野党の統一候補として前政権を厳しく批判、「韓国を立て直す」と強調しました。貧富の格差や若者の就職難を解消するため、公共サービスを拡大して81万人の雇用を新たに生み出し、「財閥や富裕層だけではなく、国民ひとりひとりが豊かになれる社会を実現する」と訴えました。
一方、有権者の半数程度を占めるとされる保守層は、北朝鮮情勢の緊迫化で危機感が高まりこれを追い風に巻き返しを図りましたが、候補を一本化することができずホン・ジュンピョ氏とアン・チョルス氏に票が分かれ、共倒れの形となりました。 

通常、韓国の大統領選挙では、新政権発足まで2か月ほどの引継ぎ期間がありますが、今回は大統領不在の中で行われた異例の選挙のため、ムン・ジェイン氏は開票作業が終了し当選証書を受け取ったその日から即座に大統領に就任、新しい政権がスタートします。

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【対北政策】
ムン・ジェイン政権の誕生でもっとも大きく変わると見られているのが対北朝鮮政策です。
ムン氏は、イ・ミョンバク、パク・クネと続いた保守政権の強硬姿勢が、現在の緊張状態を招いたと批判。圧力よりも対話を重視し、操業を中断しているケソン工業団地やクムガン山観光の再開を主張しています。ケソン工業団地では5万5000人の北朝鮮労働者が働いていました。クムガン山には、もっとも多かった時には年間35万人の韓国人観光客が訪れ、北朝鮮の貴重な外貨獲得源となっていました。ムン氏が公約どおりこうした交流事業を再開すれば、南北関係は改善に向けて大きく動き出すでしょう。ただその一方で、ムン・ジェイン氏の対北政策はあまりに北朝鮮寄りだという批判があることも指摘しておかねばなりません。

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【対日政策】
もうひとつ心配されるのが日韓関係への影響です。ムン・ジェイン氏は、もともと歴史認識問題で日本政府の対応を厳しく批判したノ・ムヒョン元大統領の流れを汲む政治家です。   
おととしまとまった日韓の慰安婦合意は問題の解決になっていないと批判、再交渉すると主張しています。
私は先週ソウルで対日外交についてムン陣営に助言を行なっている何人かの専門家と会って話しを聞いてきましたが、慰安婦合意については再検証や何らかの見直しは避けられないだろというのが、大方の一致した見方でした。ただムン・ジェイン政権イコール“反日政権”と決め付けるのは一面的な見方だと思います。大統領府の高官として実務に携わった経験もあります。慰安婦問題と外交安保など別の課題は切り離し、協力できる分野では積極的に日本との関係強化を図るべきだと、私が会った外交ブレーン達は強調していました。
慰安婦問題にこだわって日本との首脳会談を拒み続けてきたパク・クネ前大統領に較べれば実利的な対応をとるのではないかと期待したいところです。

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【課題】
最後に対北政策や日韓関係以外の新政権の課題を指摘しておきたいと思います。
韓国では、去年12月にパク・クネ大統領の職務が停止されて以降、半年近くも政治空白が続いてきました。外交面では、この間、いわば置いてきぼり状態になってきたアメリカのトランプ政権との関係構築、THAADの配備をめぐって急速に悪化している中国との関係修復が当面の課題です。

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内政面では難題が山積しています。ムン・ジェイン氏の与党となる「共に民主党」の国会での議席は4割程度に過ぎません。韓国では与野党の意見が異なる法案は5分の3以上の賛成がないと審理に入れないという法律があり、このままではパク・クネ政権同様、何も決められない政権になってしまう恐れがあります。5分の3、つまり180議席を獲得するためには、中道勢力や保守陣営の一部を取り込んでいく必要があります。これは容易ではありません。パク・クネ氏の退陣を求めた人達と支持した人達の対立は、今回の大統領選挙に引き継がれ、社会の分断や対立はむしろ強まっているように思えるからです。分断した社会の再統合、保革の対立の解消は喫緊の課題です。今後、政界再編に向けた各会派との駆け引きが活発になっていくことでしょう。

【まとめ】
パク・クネ氏の一連の疑惑が持ち上がって以降、韓国では、毎週末ごとに大統領の退陣を求める大勢の市民が通りを埋め尽くし、“市民の声が政治を変える“という熱い熱気に包まれていました。確かに大統領は罷免され、新しい大統領が誕生することになりました。
ただその一方で、感情に流されやすい世論に一国の政治が左右されて良いのかという指摘もありました。一連の事件で問われた旧態依然とした政治文化がなくなったわけでもありません。
「政治不信」、「経済格差」、そして「社会の分断」。アメリカやフランスの大統領選挙でも指摘された現象は、先進国が共通して抱える課題です。とりわけグローバル化の道をまっしぐらに歩んできた韓国には、こうした社会の歪が極端に現れています。
ムン・ジェイン氏率いる新しい政権が、閉塞状況を打破し、変化を求める市民の期待に応えることができるのか、韓国の民主主義の真価が問われるのは、まさにこれからではないでしょうか。

(出石 直 説委員)

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