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「研究不正を防げるか?医学の信頼回復に向けて」(時論公論)

土屋 敏之  解説委員

「大学病院が製薬会社から巨額の寄付金をもらって研究を行い、事実と異なる薬の効果を発表する」・・・そんな医療・医学への信頼を揺るがした研究不正に対処するため、先月国会で「臨床研究法」が成立しました。そこで、3つのポイントから日本の医学研究が信頼を取り戻せるのかを考えます。

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①新たに出来た「臨床研究法」が意味するものは何か。②この法律のきっかけとなった高血圧治療薬ディオバンを巡る研究不正。異例の刑事裁判からは医師と製薬会社の根深い問題が浮き彫りになりました。③医学研究への信頼回復に求められるものをあらためて考えます。

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そもそも「臨床研究」と言うのは一般には耳慣れない言葉ですが、実は日常の医療現場で行われる、私たちにも深く関わる研究です。例えば、私が血圧が高くて医師から薬を処方され毎日のんでいるとします。医師は私の状態が改善するか、あるいは脳卒中などを起こして亡くなってしまったかなど多くの症例をまとめ薬の効果などを比較して論文にする、これも臨床研究です。私たちの医療費を使った保険診療の中で行われるものも多くあります。
 
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今回の法律は、臨床研究の中でも医師らが製薬会社の資金提供を受けて行う研究などを「特定臨床研究」と名付け主な規制対象にしました。こうした研究を行う医師らは、研究計画を国に提出することやデータの保存、そして製薬会社側には資金提供の公表などが義務づけられます。問題が起きれば国が立ち入り検査をしたり研究を止める権限も持ち、違反には罰則もあります。
このような法律が出来たきっかけは、高血圧治療薬「ディオバン」を巡る研究不正でした。

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ディオバンは大手製薬会社ノバルティスファーマが日本では2000年に発売し、累積1兆円以上を売り上げた薬です。巨額の売り上げの背景にあったのが、東京慈恵会医科大学や京都府立医科大学などが行った臨床研究の論文で「ディオバンは血圧を下げるだけで無く、脳卒中や心臓病を防ぐ特別な効果もある」とされたことでした。
ところが2013年、京都府立医大が、論文に載ったデータはディオバンが有利になるよう不正な操作が行われた可能性があると発表したのです。厚生労働省が調べたところ、5つの大学は同社から合わせて11億円を超える寄付金を受けており、本来医師が行うはずの研究に同社の社員が関与し、データ解析を担当していたケースもあったと判明しました。こうした研究不正自体を裁く法律はありませんが、国は同社と社員が薬事法の「虚偽の広告の禁止」に違反する疑いがあるとして異例の刑事告発を行いました。
 
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そして、今年3月16日、東京地裁で一審判決が出ました。裁判所は京都府立医大の研究で元社員が意図的にディオバンに有利になるようなデータの改ざんを行い、これに基づいて論文が発表されたという事実を認定しました。しかし、判決は無罪でした。論文の発表だけでは薬事法の虚偽広告違反にはあたらない、という判断でした。検察側は判決を不服として控訴し係争は続いています。

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実は、欧米では以前から臨床研究が公正に行われるための法律が設けられています。これに対し日本では新薬の承認を得るためなどの治験には法規制がありますが、その他の臨床研究には法律がありませんでした。そうしたことから臨床研究法が作られたのです。
 
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臨床研究の不正が問題なのは、第一に多くの人の健康に関わるという点です。ディオバンの場合、薬として承認された血圧を下げる効果はありますが、それだけでなく脳卒中などを防ぐ効果に期待して処方されたとすると、本来より適切な治療を受けられた患者もいた可能性があります。さらに、高血圧の薬の中で比較的値段が高いディオバンが1兆円以上を売り上げたことは、国民の医療費から必要以上の出費がなされた可能性もあります。
ノバルティスファーマは一審判決を受け、「無罪にはなりましたが社会的道義的責任を感じます」とするコメントを発表しましたが、これらの責任が検証されたとは言えないでしょう。
一方で極めて重いのが、臨床研究を行った医師の責任です。京都府立医大では当時の教授が自由に使える研究費を得ることなどを考え、ノバルティスファーマに臨床研究を持ちかけました。しかし、医師らには統計的なデータの解析をする知識も無かったため、統計解析に詳しいとされた社員に言わば丸投げしたとされます。その研究姿勢には、「患者のための医療」や「医学の進歩」といった医師が本来追求するはずのものが欠落していたと言わざるを得ません。医学界では公的な研究費が限られる中で、製薬会社から資金を得て研究すること自体は問題無いとする考え方が一般的です。だとすればなおさら高い倫理観が求められるのではないでしょうか。

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臨床研究法は来年施行される見込みですが、それで研究不正は無くなるのかと言うとそう簡単ではありません。専門家はこの法律にも抜け道がある、と指摘します。企業から資金を得た研究でも、例えばまず症例を登録しておいて後から解析して研究とするような形を取れば、法律上は厳しい規制の対象外になるというのです。
法規制の対象とならない研究に対しても、文科省と厚労省が作った倫理指針では研究者の責務などを示しています。また、日本製薬工業協会も自主的にガイドラインを作り、社員が研究の中立性に関わる労務提供はしないことや資金提供の透明性を高めることを決めています。
しかし、これらは法律のような強制力はありません。では、どうしたら不正は防げるのでしょう?

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京都府立医大では関係者を処分すると共に再発防止策を模索してきました。その1つが、「研究開発・質管理向上統合センター」という新たな組織の設置です。どの研究室も患者に薬を投与するような臨床研究は、全てこのセンターの指導・監督を受けます。教授会などから独立した組織として透明性を確保しようというのです。さらに、データの管理や統計解析など専門的な業務の支援も行います。
それと並んで力を入れ始めたのが、医師や医学生への教育です。学位を取得したり研究を行うには、毎年、研究倫理の教育を受けることを必須条件にしました。また、統計解析などを全ての医学生が学ぶカリキュラムを作っています。
もちろん、倫理教育などをいかに充実させても、それで不正がゼロになるとは言えません。しかし、関係者が「どんな規制を作っても結局は医師のモラルや意識が変わらなければ新たな抜け道を探すだけになる」と言うのもまた一面の真実だと思います。
臨床研究は時として国民の健康や医療費の使われ方にも大きく影響を与えます。だからこそ全ての関係者にあらためて「誰のための医療であり医学なのか?」を自問して欲しいと思います。 
      
(土屋 敏之 解説委員)

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