西郷どんを訪ねて ゆかりの地巡り

西郷どんを訪ねて ゆかりの地巡り

6 徳之島 <奄美大島・他 離島>

西郷どんを訪ねて 第十五回

島流し! 徳之島での日々

(平成30年6月19日 情報WAVEかごしまで放送)

「西郷どんを訪ねて」。今回のテーマは「島流し!徳之島での日々」です。

先週の大河は御覧いただけましたか?
第23回の放送は奄美から帰還した吉之助が、今度は罪人として徳之島への流刑に処せられる場面で終わりました。

これから島で、一体どんな生活が待ち受けているのでしょうか。

今回は一足お先に徳之島で、西郷どんの足跡をたどります!

島流し!徳之島での日々

初めての徳之島ということで張り切って出かけたのは内アナウンサー。
しかし天気は驚くほどの曇天。

曇天 内アナウンサー

でも気を取り直して、西郷どんの足跡をたくさん発見してきました!

訪ねたのは天城町。西郷どん上陸地の記念碑の前で待ち合わせしていたのは、歴史資料館「ユイの館」の松村義則館長です。

歴史資料館「ユイの館」松村義則館長
西郷どんは徳之島ではどんな風に語り継がれているんですか?

「西郷さんのことは小さい頃から、祖父やお年寄りから聞いていましたが、呼び捨てにするなんてまずない。」という松村館長。
「子供時代から西郷さんに対する敬愛の念を島民全員が持っている。」と教えていただきました。

ここは西郷どんが暮らしていた住居跡。

西郷どんが身を寄せた住居跡

この家の隣に住んでいたおばあさんとのエピソードが残っています。

ある時、西郷どんをお茶に呼んだおばあさん、西郷どんに向かって「よほどあんたは不届き者だ」と言ったのだそうです。
『一度流されたら、普通は改心して二度と流されないようにするのに、あんたは二回も流された。よほどの不届き者だ』と説教をしたそうです。
すると、西郷どん。

大の西郷が小さくなって非常に恐縮していた

顔を真っ赤にして恐縮していたんだそうです。
等身大の西郷どんを感じることができる、ほんわかエピソードです。

ただ、罪人として徳之島で暮らし始めた西郷どんは、友人への手紙にこうつづっています。
「この度は徳之島から、もう二度とは出られないだろう。」

そんな西郷どんを親身に世話した人物の名前が、島の記念碑に刻まれています。

記念碑に刻まれた「琉仲為」

その名は「琉仲為りゅうなかため」。今で言う警察署長や副町長にあたる島役人です。
本来、罪人を取り締まる立場ですが、非常に西郷どんに惚れ込んで、手厚く面倒を見たそうです。
仲為との交流を通して島の生活を知った西郷どん。
過酷なサトウキビの取り立てに苦しむ実情を藩に訴えたりもしました。

このように西郷どんと深い関係にあった仲為の子孫が、天城町に住んでいると聞いて訪ねました。政 和子つかさ かずこさんです。

琉仲為の子孫 政 和子さん

政さんに、大切に保管している家系図や、祖母や父が集めた西郷どんに関する資料を見せていただきました。

資料を見る内アナウンサー

さらにはこんなゆかりの品も。

西郷どんに料理をふるまったとされる重箱

「この重箱は西郷さんに料理を出したお重だからと、うちの母がすごく自慢げに言っていた。」と教えていただきました。
また政さんが子供のころには、床の間にこんな木彫りの像が飾られていたそうです。

これ(西郷像)様々でしたからね、うちのばあちゃん

「どういう風に偉い人かは聞かないんだけどとにかく偉い人だから」ということで、この西郷どんの木彫りの像をいつも拝んでいたと言います。

「西郷さんはお役人にはちょっときついけど、普通一般の方にはすごく親切だったと聞いています。」
仲為との交流の中で、徳之島での西郷どんの姿をかいま見ることができました。

そんな西郷どんが島に来て2か月。西郷どんにとってこの上なくうれしい出来事が起こります。妻の愛加那が、2人の幼子を連れて徳之島にやってきたのです。

「このまま家族そろって徳之島で生きていきたい。」
そんな夢を見た矢先、非情な命令が本土の島津久光から届きます。

「沖永良部島に行かせ、牢に入れて監視しろ」

西郷どんへの激しい怒りに燃える久光は、徳之島では飽き足らず、さらに遠い沖永良部島への島流しを命じました。

愛加那たちと別れ、沖永良部への船を待つ西郷どんが腰かけていたと言われる松の木が今も残っています。

西郷の腰掛松

西郷どんは、ここに座りながら何を思ったのでしょうか。
実はここで島の人たちに残した言葉が言い伝えとして残っています。

「私も頑張るから、みんなも歯をかみしめて頑張るように」

松村館長は、不遇な状況の中で西郷どんが示した謙虚な態度と深い愛情にこそ、島の人達の尊敬が注がれているのだと言います。

「“視点は常に民のこと”というのはずっと貫いてきたんじゃないか。貧しい人たち、虐げられた人たちを少しでも助けてあげようという考え方が貫かれていることが、全員から親しまれ尊敬されることなのでは」と松村館長は考えます。

「西郷さんがここにいたことを島の人たちは誇りに思っている」

人は逆境にある時こそ、その真価が問われると思いますが、人生最大のピンチだった西郷どんが今でも尊敬されている事実は、西郷どんの人間性を理解するためには十分なものです。

当時の徳之島には多くの罪人が送られてきていました。横柄な態度をとったり島の人を見下したりする人も多かったと言われています。しかし西郷どんは、分け隔てない態度で島の人たちと接したようです。

西郷どんが徳之島で過ごした月日はわずか71日ですが、島の若者の中には西郷どんを慕って、のちに京都での討幕運動にまで付き従った者もいました。

徳之島の人々からも愛された西郷どん。
西郷どんの人となりが多くの人を魅了し、味方を増やしていったのですね。

次回のゆかりの地巡りも乞うご期待!

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