【その住宅は国の文化財だった!】
情報が寄せられた、いちき串木野市湊町の住宅を訪ねました。
大迫大一郎さん(69)は、母親の所有する家の管理をしているのですが、ただの家ではありませんでした。なんと100年以上前の大正5年に建てられ、3年前には国の有形文化財にも登録されたというのです。
まさに地域を代表する旧家。戦前までおよそ3万坪の農地を所有する地主だったということで、昭和16年には、皇族出身の竹田恒徳氏が宿泊しました。大迫さんは、竹田氏と祖父母が玄関の前で撮影した写真を見せながら、真珠湾攻撃を前にした当時の訪問について次のように話しました。
戦時中は周辺が空襲に遭い、敷地内にある氏神様のご神体にもその跡が鮮明に残っていました。
大迫大一郎さん
【戦後失われた250余りの刀】
戦火を逃れ、歴史を重ねてきた大迫家の住宅ですが、戦後、失ってしまったのが刀です。
刀剣収集家として知られていた大迫さんの祖父と父が集めた250余りの刀は、すべて連合国軍に取り上げられてしまい、残っているのは写真のみでした。
この中には、前回取材した一平安代の刀もあったほか、同じ薩摩出身の正清の刀もあり、当時の将軍、徳川吉宗に腕を認められた証の葵の葉も刻まれていました。
大迫さんは、連合国軍に刀を取り上げられたときの状況を聞いていました。
大迫大一郎さん
さらに日本刀に対する連合国側の恐怖心を伝えるエピソードも。刀を取り上げる際、怖がって触ろうとしなかったというのです。
大迫大一郎さん
その後、刀がどこにあるのか博物館で探したこともあったということですが、大迫さんは、すべて海に投げ捨てられた可能性が高いのではないかと考えています。
大迫大一郎さん
【刀の行方 さらなる証言が】
刀は本当に海に捨てられてしまったのか。大迫さんに話を聞くと、大迫家の刀を研いできた研ぎ師の2代目が、今も鹿児島市で刀を扱っていることがわかり、会いにいくことにしました。
谷山地区で骨とう品店を経営している三反田忠さん(76)は、当時、連合国軍によって取り上げられた刀が、今の甲南高校の校庭に集められていたと父親から聞きました。父親は涙を流してその様子を見ていたと話していたそうです。
三反田忠さん
県内でも数少ない研ぎ師の仕事を父親から受け継いだ三反田さんは、この仕事を続けていれば、いつか所在不明となった刀に再会できるチャンスがあるかもしれないと、わずかながらも期待を寄せています。
三反田忠さん
【失われた数々の名刀 引き続き手がかりを】
三反田さんによりますと、住宅などから集められた刀は今の甲南高校の校庭などに集められ、海に投げ捨てられてしまった可能性があるということです。一方、国宝の「太刀 銘 国宗」や、国宝だった一平安代の刀など、神社に奉納されていた刀については、また別に持ち出されたのではないかと話していました。
そして250以上あったという大迫さんの家にあった刀ですが、東京の国立博物館の関係者に写真を見せたところ、写真だけでも大変貴重なものだと言われたそうです。
行方の分からなくなった刀の手がかりは結果的に見つかりませんでしたが、NHKでは今後も取材を続けていきたいと思います。何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひお知らせください。
▶ 消えた名刀を追え 前回の記事はコチラから
大迫大一郎さん