消えた名刀を追え② “刀狩り”で失われた刀の運命は?

2021年12月10日

鹿児島市喜入の宮坂神社に奉納され、戦前に国宝に指定されていたものの、今や写真しか残っていない刀の行方を追跡した前回の特集

取材の中で、徳川吉宗にも腕を認められた喜入の刀工、一平安代の存在や、終戦直後に連合国軍に取り上げられたことなどが分かってきました。

放送後、その刀の没収について、ある情報が寄せられました。なんと250以上の刀を終戦後に没収されてしまったというのです。

当時のいわば“刀狩り”がどのような状況で行われたのか、話を聞くことができました。

(鹿児島局記者 堀川雄太郎)


【その住宅は国の文化財だった!】


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情報が寄せられた、いちき串木野市湊町の住宅を訪ねました。

大迫大一郎さん(69)は、母親の所有する家の管理をしているのですが、ただの家ではありませんでした。なんと100年以上前の大正5年に建てられ、3年前には国の有形文化財にも登録されたというのです。

まさに地域を代表する旧家。戦前までおよそ3万坪の農地を所有する地主だったということで、昭和16年には、皇族出身の竹田恒徳氏が宿泊しました。大迫さんは、竹田氏と祖父母が玄関の前で撮影した写真を見せながら、真珠湾攻撃を前にした当時の訪問について次のように話しました。


大迫大一郎さん

市来の海岸から始まる吹上浜はおよそ50キロありますが、そこに敵が上陸すると非常に守備が難しいということで、陸軍の秘密の大演習があったと聞いています。その視察に来られたのではという話を聞きました。そして、祖父が買い集めていた刀のうち、おそらく一番いいものを献上したのだと思います。

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戦時中は周辺が空襲に遭い、敷地内にある氏神様のご神体にもその跡が鮮明に残っていました。


大迫大一郎さん

機銃弾が氏神様に当たって、中のご神体の上の方が欠けています。家は焼け残っていまして、この氏神様がばらばらになっているのを見た祖父は、“氏神様が身代わりになってくれた”と言っていたそうです。



【戦後失われた250余りの刀】


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戦火を逃れ、歴史を重ねてきた大迫家の住宅ですが、戦後、失ってしまったのが刀です。

刀剣収集家として知られていた大迫さんの祖父と父が集めた250余りの刀は、すべて連合国軍に取り上げられてしまい、残っているのは写真のみでした。

この中には、前回取材した一平安代の刀もあったほか、同じ薩摩出身の正清の刀もあり、当時の将軍、徳川吉宗に腕を認められた証の葵の葉も刻まれていました。

大迫さんは、連合国軍に刀を取り上げられたときの状況を聞いていました。


大迫大一郎さん

没収が始まるということで、うちの持っていた山の中に行き、じゅうたんに巻いて焼酎がめに入れて埋めたと聞いています。ただそのあと金属探知機を持ってきて、もし隠していると罰せられるということで、孫が生まれたばかりで捕まるといけないと思ったのか、すべて掘り出したそうです。

さらに日本刀に対する連合国側の恐怖心を伝えるエピソードも。刀を取り上げる際、怖がって触ろうとしなかったというのです。


大迫大一郎さん

手で触るには怖いために足で触ったということだと思います。占領下であっても切り込みをされると非常に怖いということで、恐らく彼らの目にはすごく危ない長い刃物ということしかなかったのだと思います。

その後、刀がどこにあるのか博物館で探したこともあったということですが、大迫さんは、すべて海に投げ捨てられた可能性が高いのではないかと考えています。


大迫大一郎さん

父が私に刀の話はあまりしませんでしたので、おそらく相当気落ちはしたのだと思います。無事に刀が返ってくればうれしいですが、その可能性は極めて薄いと思います。



【刀の行方 さらなる証言が】


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刀は本当に海に捨てられてしまったのか。大迫さんに話を聞くと、大迫家の刀を研いできた研ぎ師の2代目が、今も鹿児島市で刀を扱っていることがわかり、会いにいくことにしました。

谷山地区で骨とう品店を経営している三反田忠さん(76)は、当時、連合国軍によって取り上げられた刀が、今の甲南高校の校庭に集められていたと父親から聞きました。父親は涙を流してその様子を見ていたと話していたそうです。


三反田忠さん

相当悔しかったみたいです。何回か見に行ったと聞きました。あちこちから刀が集められて船に積み込むところまでは見たそうです。そして積み込んだ刀を持って出たものの、そこには日本人は誰も乗っていなかったので、どこで廃棄されたのかが分かりません。ある人は底引き網で何度も回収しようとしたそうですが、1つもかかっていないということです。

県内でも数少ない研ぎ師の仕事を父親から受け継いだ三反田さんは、この仕事を続けていれば、いつか所在不明となった刀に再会できるチャンスがあるかもしれないと、わずかながらも期待を寄せています。

三反田忠さん

日本刀は刃物で美術品と認められています。いいものは何らかの形で返ってきてほしいと思います。刀はいいものになればなるほど僕らは目が輝きます。



【失われた数々の名刀 引き続き手がかりを】


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三反田さんによりますと、住宅などから集められた刀は今の甲南高校の校庭などに集められ、海に投げ捨てられてしまった可能性があるということです。一方、国宝の「太刀 銘 国宗」や、国宝だった一平安代の刀など、神社に奉納されていた刀については、また別に持ち出されたのではないかと話していました。

そして250以上あったという大迫さんの家にあった刀ですが、東京の国立博物館の関係者に写真を見せたところ、写真だけでも大変貴重なものだと言われたそうです。

行方の分からなくなった刀の手がかりは結果的に見つかりませんでしたが、NHKでは今後も取材を続けていきたいと思います。何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひお知らせください。




▶ 消えた名刀を追え 前回の記事はコチラから

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